大江千里「Letter to N.Y.」発売記念特集 大江千里×宮藤官九郎|エネルギーに満ちていた80'sカルチャーとパンデミック下の表現を語り合う

大江千里が、ジャズピアニストに転身して以降7枚目のオリジナルアルバム「Letter to N.Y.」をリリースした。本作ではコロナ禍のアメリカ・ニューヨークに在住する大江がすべての楽曲の演奏と録音を1人で行っており、彼はこのアルバムを「“Electronic Senri Jazz”の始まり」と称している。

このアルバムの発売を記念して、音楽ナタリーはニューヨーク在住の大江と脚本家・宮藤官九郎によるリモート対談をセッティング。対談は、宮藤の舞台「大パルコ人④ マジロックオペラ『愛が世界を救います(ただし屁が出ます)』」で藤井隆が演じるシティポップシンガー“大江三千里”についての話からスタートし、そこから1980年代のカルチャー談義へと。宮藤が学生時代に見ていたという当時の大江の音楽活動について、さまざまな秘話が飛び出す。

また特集の後半にはニューアルバム「Letter to N.Y.」に関する大江のソロインタビューを掲載。コロナ禍のニューヨークに思いを馳せて作ったというこのアルバムがどのようにして形になったのか、作品の制作背景に迫る。

取材・文 / 秦野邦彦

大江千里×宮藤官九郎対談

大江三千里しか思い付かなかった

宮藤官九郎 大江さんが司会をされていたNHKの「トップランナー」にうちの松尾(スズキ)さんが出たときにVTRでインタビューに応えてるんですけど、直接お会いするのは初めてなんですよね。

大江千里 そうなんですよね。初めてお目にかかります。

「大パルコ人④ マジロックオペラ『愛が世界を救います(ただし屁が出ます)』」ビジュアル

宮藤 舞台「大パルコ人④マジロックオペラ『愛が世界を救います(ただし屁が出ます)』」は2055年の東京・渋谷が舞台で、近未来の戦後、若者の間で1980年代のポップスが流行っているという設定の話なんですけど、藤井隆さん演じるシティポップアーティストの名前を何にしようかと考えた結果、“大江三千里”しか思い付かなかったんです。

大江 はははは。

宮藤 ごめんなさい。風貌や曲調などを寄せるつもりはなかったんですけど、藤井さんも僕も大江さんの音楽を聴いていた世代なので、稽古中にどうしても寄ってきてしまって。「これはご本人にご挨拶しておいたほうがよくないか?」と思って連絡させていただきました。すみません!

大江 とんでもない。ありがとうございます。

宮藤 僕は1970年生まれで、大江さんがデビューされたときがちょうど思春期真っ盛りだったので「ミュージックトマトJAPAN」(テレビ神奈川で放送されていた音楽番組)とかよく観てました。うちの姉が大江さんの大ファンで、めちゃめちゃヘビーローテーションして聴いていて。僕にとって1980年代のポップスといえば大江さんなんですよね。

大江 本当ですか? うれしいです。これまで宮藤さんの作品を拝見して「大江千里の音楽はあまり通らずにいらしたのかな」という印象だったので、マネージャーさんからお手紙をいただいたときに驚いたし、台本を読ませてもらって思い当たる節もいくつかあったので、「どこまでリサーチされているんだろう」って震えてました(笑)。

1980年代カルチャーの独自性

宮藤 振り返ってみて、1980年代のカルチャーって独特だったなと改めて思うんです。職業柄ネタにすることも多く、そのたびに「あれはなんだったんだろう」と思うことが多くて。大江さんも映画やドラマに出られてましたよね。

大江 俳優業は大森一樹監督の「法医学教室の午後」(1985年)という作品で、菅原文太さん扮する教授のところに「教授! 僕を法医学教室に入れてください」って嘆願する医学生の役で出たのが最初でしたね。

宮藤 昔、白井貴子さんに舞台に出てもらったことがあって(2001年「大人計画ウーマンリブvol.6『キラークイーン666』」)。白井貴子さんのファンがひどい目に遭いながらも必死でコンサート会場に向かう物語なんですけど、僕の中では1980年代の文化って、そういうふうに人を夢中にさせるパワーがあるイメージなんです。

大江千里

大江 「今夜は今夜しかないのさ!」(「白井貴子のオールナイトニッポン」での決めフレーズ)ですね。僕は東京に初めて出てきてオープニングアクトをやらせていただいたのが貴子さんです。かわいがっていただいて。会場だった新宿RUIDOのトイレの場所が特殊で、客入れしたらおしっこに行けないんです。それで僕が本番前にそわそわ内股にしてると、貴子さんが手元のガラスコップを差し出して、あの口調で「これにしちゃいなよ!」と言ってくれて。

宮藤 ははは! それ、たぶん本気ですよね?

大江 「私、見ないからさ。我慢しちゃいけないよ!」って(笑)。とてもいい人。

宮藤 僕の中では1980年代の文化ってとにかくエネルギッシュなイメージがあって。その結果、途中から大江三千里がどんどん悪い人になっていくんですけど……。

大江 いやいや、僕には悪い人には思えなかったです。毒付けば毒付くほどよく見えるし、親近感を覚えましたよ。

宮藤 よかった。演じるのが藤井さんだから、ポップなキャラクターになるだろうという安心感もあって。劇中、三千里がシティポップを歌うんですけど、タイトルが「好きっていう気持ちをうまく言い表せない僕らは十人十色でみんないい」という(笑)。時代の雰囲気というか。同世代ならわかってもらえるかなという感じで。すみません、本当に。

大江 いや、最高です(笑)。

「十人十色」で“ラッシュの波に押されて”来たのは……

宮藤 さっきデビューの頃の話を聞いて、ちょっと興奮しちゃったんですけど、もう少し詳しく聞いてもいいですか?

大江 僕は大阪出身なんですけど、東京に進出するとき僕の担当プロデューサーが佐野元春、大江千里、TM NETWORK、渡辺美里、岡村靖幸を手がけたチームで「大阪じゃ弱いから、神戸出身のおしゃれな男の子ってことにして売り出そう」って言われて(笑)。もしユーミンが男の子だったら、みたいな。

宮藤官九郎

宮藤 デビュー時のキャッチコピー(「私の玉子様、スーパースターがコトン」)は、林真理子さんが書かれたんですよね。

大江 当時エピックに、のちにドリカムのプロデューサーになるハンサムな男の方がいて、一緒に林さんのところに挨拶に行ったら「カッコいい!」ってその人に釘付けになり、僕の方をスタッフだと思っていたという(笑)。当時はいろいろ演出が入ったんですよ。雑誌の「セブンティーン」で、大江千里くんが住む自由が丘で黄色い自転車のカゴにフランスパンを差して……みたいな特集が組まれたり。

宮藤 すごいプロデュースの仕方ですね。

大江 味覚糖のCM曲が決まってサビだけ急遽作んなきゃいけなくなったとき、デビュー直前のTM NETWORKの小室哲っちゃんがコンピューターで編曲してくれたんです。それがのちの「十人十色」(シングル盤は清水信之が編曲)。あれは最初「僕を選んだことを後悔させない きっと世界一の幸せにさせる」っていう30秒のフレーズしかなかったんです。

宮藤 じゃあ、Aメロはそのあと作ったんですか?

大江 そうなんです。当時EPOの音楽に憧れていて、本人に「ごはんを食べようよ」って言ったら、彼女がわざわざ自由が丘まで遊びに来てくれたんです。おしゃれしたEPOが改札をバーッと抜けてくる姿を見て、この光景をAメロに使おうと思って。それで書いたのが歌い出しの「ラッシュの波に押されて」。

宮藤 ラッシュの波に押されて来たのはEPOさんだったんだ!

大江 完成した曲を聴かせたら「この歌詞、胸にキュンとくるよ」って言われて、モデルになってる本人がキュンとくるんだから大丈夫だなって。「十人十色」がスマッシュヒットした結果、次のアルバム「未成年」はオリコン5位に入ったんです。