二丁目の魁カミングアウトが2020年1月8日に東京・中野サンプラザホールでワンマンライブ「『ゲイでもアイドルになれる!』in 中野サンプラザ」を開催する。
2011年に二丁ハロとして結成され、「ゲイでもアイドルになれる」をコンセプトに活動している二丁魁。2017年5月に現在のグループ名に改名して以降は東京・ステラボールやZepp Tokyoでのワンマンライブを成功させるなど、順調に活動のスケールを拡大させている4人だが、ここに至るまで長い苦悩の日々があった。音楽ナタリーではメンバー4人全員にインタビュー。現在までのグループの道のりをたっぷりと語ってもらった。
※インタビューは8月上旬に実施したものです。
取材・文 / 南波一海 撮影 / 映美
2/7の合格率だったオーディション
──ふと思い出しましたけど、以前、アイドルネッサンスが掲げていた「名曲ルネッサンス」をモジって「ゲイ曲ルネッサンス」という企画をやってましたよね。
ミキティー本物 うわ、懐かしい(笑)。アイドルネッサンスのファンが怒ってた。
白鳥白鳥 その単語、聞いたことある。なんだっけ?
ぺいにゃむにゃむ 川本真琴さんの「1/2」や、反町隆史さんの「POISON ~言いたい事も言えないこんな世の中は~」を歌ってて。
──ゲイが歌うと意外とハマる曲や、実はゲイっぽさが潜んでいる曲をカバーするんですよね。
ミキティー そうそう! 今考えるといい企画じゃん。めちゃくちゃ面白くない?
──今回はそういう話も掘り起こしていけたらなと。音楽ナタリーでの二丁魁のインタビューは初めてなのですが、グループの成り立ちなどはあちこちで読めるんですよね。なので、結成してから現体制に至るまでの道のりなどほかで語っていないような話を聞いてみたいと思います。
ミキティー いいね。
──もともとはミキティーさんが新宿二丁目のイベントでハロプロの振りコピをしていて、アップアップガールズ(仮)の番組でダンスカバー対決をすることになり即席ユニットを結成する、という流れが2011年の春にあって。その後、グループは二丁ハロとして本格的に動いていくことになるわけですが、2期メンバーのぺいにゃむさんが加入する経緯はどんな感じだったのでしょうか。
ミキティー 即席で集めたメンバーの中には顔出しNGとか、親バレしたくないとかいろんな人がいたので、結成初日から新メンバーを探すことは決定していたんです。ただ、最初の5人で行けるところまで行くと決めていたので、すぐに探すわけにはいかなくて。1年くらい活動を続けたあとに2人辞めることになり、新メンバーオーディションをやったんです。全国から集まった7人から2人が選ばれて、そのうちの1人がぺいちゃん。
──2/7が合格(笑)。
ぺいにゃむ 猛者の中から選ばれました。
ミキティー 2/7の逸材。ちゃんと歌や表情を審査してね。
──ぺいさんは当時の二丁ハロのどんなところに惹かれたんですか?
ぺいにゃむ ちょうどその頃、周りの友達に絵を描いてる子や音楽をやってる子がいて、「自分には何もないな」と思う日々が続いていて。普通に仕事して、家に帰って寝て、起きて、また仕事してという毎日に悶々としていたんですよね。周りと比べて自分は何なんだろうって。そんな中、二丁目のイベントに遊びに行ったときに初めて二丁ハロを見て、衝撃を受けたんです。すごくキラキラしていて、素直に「ここに入りたい」と思いました。
ミキティー 始めて2年目くらいかな。あの時代の二丁目には振りコピユニットが全然いなくて。私たちみたいにちゃんとメンバーをそろえてユニットとして活動してる人たちが少なかったんです。珍しかったよね?
ぺいにゃむ ショーの内容にもエンタテインメント性があったし。
ミキティー あの頃からただ曲を流して踊るだけじゃなく、勝手にいろいろとアレンジを加えてショーとして見せられるように工夫していました。
何回も注意して、めちゃくちゃ泣かせた
──ぺいさんはそれまで歌やダンスの経験はあったんですか?
ぺいにゃむ してないです。ズブの素人です。
──そうなんですね。ミキティーさんはぺいさんのどんなところに惹かれて採用したのでしょうか。
ミキティー 最初、ぺいちゃんは落とすつもりだったの。ただ、メンバーをバーっと並べたときに陽なキャラがいなくて。私含め、みんなちょっと根暗というか。グループのイメージを変えて引っ張っていけるような人が欲しかったんだよね。ぺいちゃんはオーディションのときも振りをあまり覚えてなくて(笑)、自分勝手に踊ってて。私たちをいい意味で乱してくれる明るい光になれると思ったから、それに賭けたよね。めちゃくちゃ調教したけど。
ぺいにゃむ されました(笑)。
ミキティー 入った当初と今じゃ、まったく人が違う。
ぺいにゃむ パフォーマンスはもちろんなんですけど、ミキティーは人間的な部分をちゃんと導いてくれるんです。
きまるモッコリ うんうん。
ミキティー 3人共そうなんだけど、ぺいちゃんには「こういうことはダメだよ」と何回も注意して、めちゃくちゃ泣かせた。「アイドルなんてつまらなかったら辞めればいいや」くらいの気持ちだっただろうから、もっと自分の嫌な部分と向き合うようにいろんなことを話したよね。
──それが今では熱い煽りとハイトーンボイスでグループに欠かせない存在になり。
ミキティー もう最強だもん。最強のゲイギャル。
ぺいにゃむ うれしい。ゲイギャルはなかなか浸透しないですけど(笑)。
白鳥 ここからですよ!
ぺいにゃむ 最初の頃は憧れのグループに入れた喜びだけで続けられたんですけど、だんだんとおなカマ(二丁魁ファンの呼称)が増えていって。その愛をもらう分、責任も感じるようになっていきました。練習はいつもすごく大変でしたね。
ミキティー 今でも練習量はすごいかも。ライブ前は必ずスタジオに入るし、仕事が何もない日も練習するし。
素の自分を愛してくれる人がいるなんて
──ぺいさんが入ったあとも、しばらくはダンスカバーをやる時期が続きますよね。
ミキティー オリジナル曲をやっていくことは目標にしていたんですけど、そのまま始めてもちゃんとしたアイドルの一員になれないことはわかっていたんですよ。まず準備段階として、振りコピユニットとしてステージに立ってダンスを学んで、自分たちがどんな曲を歌いたいかを探しました。それが二丁ハロ時代。オリジナル曲は自分の子供みたいに大事にしたかったので、どういう曲を歌いたいのかわからない状態で歌うのは嫌だったんだよね。
ぺいにゃむ うん。
ミキティー 私が振付師としての仕事も始めて、コネを作りながらステージングを学んでいきました。それでBiSの曲を歌ったり、「ゲイ曲ルネッサンス」とかもやったりするようになって(笑)。
──振りコピだけでなく、歌を歌うようになったのはBiSの「nerve」がきっかけで?
ミキティー BiSが解散することで彼女たちの曲が歌われなくなるから、それを機に歌もやっていこうかと話し合ったんです。でもやっぱり、人の曲を歌うことでは私たちの気持ちを伝えられないなと気付いたの。ただ盛り上がるのは違うし、素直なままの歌詞を書こうと思ってオリジナル曲を歌い始めました。
──当時、ぺいさんがかなり高い音程を出せることに驚きました。
ミキティー 昔から煽りの声も高かったんだよね。
ぺいにゃむ 以前はキャラクターもかわいい路線だったし。
ミキティー 最初の頃は私のプロデュースでかわいいキャラを演じてもらってて。
──確かにそうでした。スキンシップも多かったし。
ミキティー ……そこは私のプロデュースじゃないけど(笑)。でも、あるときから素のキャラで行く方向にシフトチェンジしたんだよね。
ぺいにゃむ うん。かわいいキャラもあれはあれで楽しかったですけど。
ミキティー 私も自分を演じてたし。今のように暗い歌詞を書くような一面は見せないで、「ゲイでーす!」みたいな明るい感じだった。テレビで多くのオネエタレントが活躍されていた時期だったので、自分たちもそうしなきゃ支持されないんじゃないかと思ってたからね。
ぺいにゃむ 素の自分を愛してくれる人がいるなんて思ってなかった。
ミキティー ファンの方が増えてきて、ありのままの自分を見せても共感してくれる人がいたから、少しずつ変わっていけたよね。演じなくてもいいんだと気付けた。
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狩りに行く父親の気持ちだった