中山美穂の「ザ・ベストテン」全出演シーンがBlu-ray5枚に、歌手としての輝かしい足跡を振り返る

中山美穂がTBS「ザ・ベストテン」に出演した際の歌唱シーンを中心にまとめた5枚組Blu-rayボックス「~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂『ザ・ベストテン』永久保存版」がリリースされた。

1985年にデビューし、2024年12月にこの世を去るまで歌手 / 俳優として大きな輝きを放ち続けた中山。歌手活動においては“ザ・歌謡曲”テイストの王道楽曲から、新進気鋭のアーティストを制作に起用した革新的な楽曲までアイドル / ボーカリストとして珠玉の作品を残し、大勢のファンを虜にした。

「~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂『ザ・ベストテン』永久保存版」は、中山が2025年にデビュー40周年を迎えるにあたり、スタッフとともにリリースの準備を進めていた作品。貴重な映像の数々を通して、中山の歌手としての魅力を改めて実感することができる。本稿ではライター秦野邦彦によるテキストで歌手・中山美穂の足跡をたどり、Blu-rayボックスの見どころを紹介する。

文 / 秦野邦彦

40周年に向けて制作してきた思い出の作品

「私にとっても記念になる思い出の作品。いつまでも心に残していただきたいなと思います」

同年代の憧れの存在として数多くのドラマや映画に出演し、さらに1992年発表のシングル「世界中の誰よりきっと」が累計売上枚数200万枚を突破するなど、俳優と歌手の両方で一時代を築いた中山美穂。今年デビュー40周年を迎えるにあたり、彼女が1年前からスタッフとともに制作を進めていた「~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂『ザ・ベストテン』永久保存版」がリリースされた。

中山美穂「~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂『ザ・ベストテン』永久保存版」ジャケット

中山美穂「~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂『ザ・ベストテン』永久保存版」ジャケット

中山美穂「~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂『ザ・ベストテン』永久保存版」展開イメージ

中山美穂「~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂『ザ・ベストテン』永久保存版」展開イメージ

「ザ・ベストテン」は、1978年1月19日から1989年9月28日までTBS系列にて毎週木曜夜9時から生放送され、最高視聴率41.9%を記録した伝説の音楽番組だ。視聴者が支持する楽曲を正確に取り上げることを目的に、レコードの売上、リクエストハガキ、ラジオや有線放送のランキングをもとに独自集計した結果をカウントダウン形式で紹介するスタイルで人気を博した。

長洲忠彦指揮のオーケストラ生演奏をバックにした生歌唱、趣向を凝らした豪華なセットと斬新な演出。そして「追いかけます、お出かけならばどこまでも」を合言葉にコンサート会場やドラマの収録スタジオなど全国津々浦々に、TBSのネットワークを活用してカメラが向かう“追っかけ中継”。放送時間内に出演者の到着が間に合わないアクシデントが発生しても司会の黒柳徹子たちによる軽妙なトークによるサポートが、それすらもエンタテインメントの一部にしていく。番組のプロデュースおよび演出を手がけた山田修爾の著書「ザ・ベストテン」には、今のテレビ業界では考えられないような苦労話が数多く記されているが、それほどまでに「ザ・ベストテン」の臨場感あふれる番組作りには他の追随を許さないものがあった。

「~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂『ザ・ベストテン』永久保存版」のメインは、中山の「ザ・ベストテン」での全歌唱シーンだが、ご覧になる方はまずそのボリュームに驚くはずだ。というのも、彼女が同番組10位内にランクインした回数は合計104回で全出演歌手中12位。デビュー時期を考えれば、田原俊彦(247回)、松田聖子(224回)、中森明菜(223回)、近藤真彦(211回)、チェッカーズ(157回)、西城秀樹(155回)、沢田研二(139回)、山口百恵(122回)、サザンオールスターズ(120回)、小泉今日子(120回)、郷ひろみ(105回)というそうそうたる顔ぶれを相手に大健闘したと言えるだろう。

「C」から始まる未来

1970年生まれの中山は、幼稚園の頃からテレビで歌うキャンディーズの姿に憧れ、大人びた楽曲を歌うことが大好きだったと過去のインタビューで語っている。将来の夢は歌手になり「ザ・ベストテン」に出演すること。そこには長年苦労してきた母に家を買ってあげたいという思いもあった。1982年、中学1年生のときに東京・原宿でスカウトされ、芸能界入り。雑誌やCMにモデルとして出演していた時期を経て大きな転機となったのが、1985年1月8日に放送開始されたTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」のヒロイン・森のどか役を射止めたことだった。「毎度おさわがせします」は思春期の性をテーマにしたドタバタホームコメディで、一人称「オレ」のツッパリ少女を体当たりで熱演する中山の姿はたちまち話題となり、中学卒業後の同年6月21日にキングレコードからの歌手デビューが決定する。

同ドラマの主題歌「Romanticが止まらない」は当時ポリドールでC-C-Bの担当ディレクターだった渡辺忠孝が実兄の筒美京平に必ずヒットする曲を作ってほしいと依頼し、「松本隆が歌詞を書くなら引き受ける」という条件で生まれた楽曲だったが、今度はドラマを観た松本が中山の自由奔放な演技に興味を示して作詞を志願。自ら筒美に作曲を依頼し、デビュー曲「『C』」(作詞:松本隆 / 作曲:筒美京平 / 編曲:萩田光雄)に結実していく。

中山美穂「『C』」ジャケット

中山美穂「『C』」ジャケット

ファンの大半は中高生の少女。ドラマのイメージならツッパリ路線が妥当だが、イメージが固定化してしまうことは避けたい。同年8月から放送される本人主演のTBS系ドラマ「夏・体験物語」主題歌の話も進む中、育ての親の1人であるキングレコードの福住朗チーフプロデューサーは「それまでに確立されていたアイドルの方法論がすでに使えない時期だったので、男の子と女の子が恋をする場合、対等の関係を作ってみようと思った。自分で決めて、自分がそうしたいからそうするんだっていう女の子のイメージ」と考え、そういう若者にとっての理想的な恋愛像を中山も含め話し合いながら作っていったという(「オリコン・ウィークリー」1990年1月22日号より引用)。松本が「トパーズの月明り あなたを追って Tシャツを脱ぎながら 入り江に走る」というロマンティックなフレーズを紡げば、筒美もBPM160の疾走感でこれでもかとばかりにドラマティックなメロディ展開を盛り込んでいく。流行のシンセポップサウンドに編曲した名匠・萩田光雄の手腕も見事である。

まだ幼さの残る歌声、ピッチの不安定さといった課題はあれど、速いテンポを乗りこなすリズム感、表情を含めた表現力、何より歌に対する真摯さは多くの人々の心を動かした。「抱きしめて」で左手を体に回し、「ささやいて」でその手を耳元に上げる、といった振付も凛としたものがあった。歌唱映像をご覧になる際はマイクを持つ手に注目いただきたい。古来よりアイドルはマイクを利き手で持つと必要以上の力が入るなどの理由から、左手でマイクを持つように指導される。右手持ちは山口百恵、松田聖子、中森明菜、本田美奈子、浅香唯などごく少数。いずれもロック色の強い楽曲を得意とする歌い手たちである。デビュー前のオーディションでは必ず「スローモーション」を歌っていた中山にとって、右手持ちは明菜への憧れもあったのかもしれない。

「『C』」というタイトルについては、2025年1月11日付の朝日新聞に掲載された松本の連載エッセイ「書きかけの…」で真意が語られている。「最短の曲名にしたのには、前段がある。『Romanticが止まらない』は、オリコン誌のタイトル欄に1行で収まらない長いものをと狙ってつけた。じゃあ今度は1文字で。AやBでは意味不明だが、Cなら歌詞中の『Close Your Eyes』の頭の文字だとか、コード(和音)名のCだとか、いろいろ解釈できる」。想像膨らむ1文字のインパクトが功を奏し、「『C』」は累計17万枚という新人としては破格の好セールスを記録。「ザ・ベストテン」にも1985年7月18日、ランクイン目前の注目曲を紹介する“今週のスポットライト”のコーナーに22位で初登場した。念願の舞台に浮き足立つことなく落ち着いた受け答えをする中山の姿に黒柳徹子が「あなた本当に15歳なの? 大人っぽいと言われない?」と感心するひと幕もあった。オーケストラ演奏による歌唱も貴重なテイクだ(最高15位。以下、順位はすべて「ザ・ベストテン」のランキング。参考資料:山田修爾「ザ・ベストテン」)。

続いて中山は2ndシングル「生意気」(1985年10月1日発売。作詞:松本隆 / 作曲:筒美京平 / 編曲:船山基紀。最高11位)、3rdシングル「BE-BOP-HIGHSCHOOL」(1985年12月5日発売。作詞:松本隆 / 作曲:筒美京平 / 編曲:萩田光雄。最高5位)を発表。1985年は“花の82年組”に匹敵するほど新人アイドルの当たり年で、斉藤由貴、芳本美代子、本田美奈子、浅香唯、南野陽子らがデビュー。同年、松田聖子が6月に結婚し、年内をもって歌手活動を休止。7月にはフジテレビのバラエティ番組「夕やけニャンニャン」から生まれた大人数アイドルグループ・おニャン子クラブがシングル「セーラー服を脱がさないで」でデビューし、以後メンバーのソロ曲、ユニット曲を次々と発表して瞬く間に社会現象を生み出した。そうした激動の中、中山は年末に「第27回日本レコード大賞」で最優秀新人賞を史上最年少(当時)で受賞した。