「すごいポテンシャルでやったよな、俺たち」「46にもなってまだこんなに歌えるのかい」
──ライブでも歌い続けている楽曲が大半かと思いますが、こうしてリテイクしてみたからこそ新たに得られた気付きって、何かありましたか?
キーが無駄に高いなと(笑)。というのも、実は作曲の段階ではこれよりも半音から1音低いんです。当時のアレンジャーやプロデューサーの意向があって今のキーになったんですけど、そこは今回も変えてません。あの頃はまだ90年代半ばの、小室哲哉さんプロデュース楽曲の余波で、「どれだけ高いキーで歌えるか」が重要視されていた時代でしたからね。もちろん、自分が最初に選んだキーこそ、そのメロディがもっともいい形で響くことがわかっているわけだから、もともとのアイデアを尊重してキーを戻したほうがいいのかもしれないけど、世に出たバージョンのキーのままで歌うことも僕のプライドなわけで。ライブでももちろん、あの頃の曲はキーを下げることは一切ないですし、そこも含めてファンのみんなには理解してもらえたらうれしいです。
──歌に関してはいかがですか? 20代前半の、あの若さだからこそ出せたよさもあると思うんですけど。
キーに関してはいろいろ政治があったにせよ、歌は自分がいいと思うテイクを選んできたので、あの頃のものに関してなんの文句もないし後悔もないんです。でも、今は46歳の中島卓偉で歌っているし、年齢とともに表現方法は変わってきている。ファンもそれをわかっていると思うんですよ。ただ、1999年の音源をリテイクするとなると、また別問題じゃないですか。なので、今回に関しては完コピすることを選びました。そういう意味では、当時の100点満点の歌をもう1回なぞるだけだったので、別に「若いな」とも思わなかったですし、「こうやって歌っていたな」ということを再確認した程度であって、「お前、若かったな。今の俺だったらこう歌うよ」はなかったです。むしろ「当時もすごいポテンシャルでやったよな、俺たち」と当時の自分に話しかけるように、逆に20代前半の自分から「あんた、46にもなってまだこんなに歌えるのかい」と褒めてもらえたような感覚もありました。
──まさに、曲を通して当時の自分と対話していたと。普通に新作だけを作っていたら、得られない経験ですよね。
ライブでは似たような感覚は得てきたけど、レコーディングにおいては初めての経験でしたね。
「こんなにも自分の意見って通らないものなんだ」ソロデビュー直後の苦悩
──今作はアートワークにおいても、TAKUI名義の作品とリンクしたものになっています。初回生産限定盤は5thシングル「Calling You」(2001年)、通常盤とアナログ盤はデビューシングル「トライアングル」(1999年)のジャケットを、それぞれオマージュしたものですよね。
そこに関してもリメイクしたといいますか。幸い体型も体重も変わっていないので、当時の衣装を着る分にはいいと思ったし、個人的にもいい機会になりました。
──デビューシングル「トライアングル」が発売されたのが1999年10月21日。今回のリテイクアルバムの発売日が2025年10月22日ですが、タイミングも合わせてきたんでしょうか?
そうです。10月21日にぴったり合わせることはできなかったんですけど、ほぼ一緒っていう。
──27年目の第1歩を踏み出すという意味では、絶好のタイミングだと思いました。せっかくの機会なので、ここからは卓偉さんのデビューからの26年をザッと振り返ってみたいと思います。TAKUI名義でシングル「トライアングル」でメジャーデビューした当時、21歳になったばかりの卓偉さんはどんなことを考えながら、活動に臨んでいましたか?
その1年前までバンドをやっていて、その後ソロになって「20's CALBORN」というデモテープ(※のちにCD化)を自分1人で作ったんですけど、「トライアングル」もカップリングの「BOYS LOOK AHEAD」もそこから選ばれた曲なので、実はそこで1回リメイクをしているわけですよね。ただ……ソロとしてデビューしたから、自分の意見しかないわけじゃないですか。バンドって4人いたら意見が4つあるから、その中からいいものを選んだり1つの答えにまとめたりするんですけど、ソロの場合は自分1人の意見に対し、スタッフが5人いたとしたら1対5での意見のぶつけ合いになる。そうすると、こんなにも自分の意見って通らないものなんだと実感するわけです。だから、正直ワクワクする気持ちは少なかったですよ。
──「これからどうなるんだろう」という不安のほうが強かった?
そう。当時は今の時代と違って、どんな若いミュージシャンもバンドもメジャーデビューすることがまず通過点のひとつであり目標なわけですよ。そんな中で「自分にできることは200%やること」という責任感は当然ありましたけど、どう転がるんだろうっていう不安ばかりだった記憶で。どんどんCDが売れなくなっていくこともわかっていたし、しかもバンドサウンドでロックをやるソロアーティストって、当時も今もほとんどいないんですよ。レコード会社からは「売りにくい」と言われ、事務所からも「同じようなアーティストがいないから、どうプロモーションしたらいいかわからない」と言われるという、そんな1999年10月でしたね。
──80年代後半のバンドブーム以降、どうしてもソロよりバンドという傾向が強かったですものね。
もちろん吉川晃司さんとか尾崎豊さんとか、探せばそういうタイプの方もいますけど、「バンドサウンドなのにソロなの?」ってことはよく聞かれました。それもあってなのか、「イベントに出しづらい」「雑誌もどこに出せばいいの?」とか言われて、本当に自分みたいなアーティストの居場所ってないんだなと実感しました。
──最初の数年はレーベル移籍も続きました。
そうですね。最初の5年はそんなことばかりでしたから。というのも、どこに売っていいのかわからないうえに、当時は舵取りをする大人が多すぎたから「あの人はこう言ってる」「誰々はこう言ってる」と、なんにも定まらない。僕の楽曲が幅広いこともあって、「もっと焦点を絞るべき」ということで、最初はアコースティックをやらせてもらえないこともあったし。自分だけがブレてなくて、周りのみんなは終始迷ってましたね。それで、結局レコード会社が変わり、事務所が変わり……ということを繰り返していたんです。
これまでの後悔を、プラマイゼロまで持っていけると信じて
──そこから2006年に現在の中島卓偉名義となるわけですけど、この26年の中でご自身にとっての転機を挙げるとしたら?
もちろん、1999年のメジャーデビューはめでたい話なわけで、欠かせない転機ですよね。次は、2000年に1stアルバム「NUCLEAR SONIC PUNK」を出したときかな。この頃はすごくいい環境で作らせてもらえて、今でも感謝しています。そして、やっぱり中島卓偉名義に戻したとき……当初はほかの作家が書いた曲を歌わなくちゃいけなかったり、髪を黒くしなくちゃいけなかったり……要するに、「もうロックを歌うな」という指令があった中での活動。僕自身はブレていないつもりでも、周りの思惑によってファンにはブレているように見えた時期だったんじゃないかな。当時は今みたいにSNSがない時代だったので、「本当はこうなんだ」とか説明ができなかった。そこから、2010年にアップフロントに直で抱えてもらって、マネジメントしてもらえるようになったことでセルフプロデュースに戻って。30代に入ったタイミングに、また大きなターニングポイントを迎えたわけです。
──2010年頃からは、ハロー!プロジェクトへの楽曲提供が盛んになりました。
まさに、それもすごく大きかったですね。だから、今挙げたようなタイミングが自分のターニングポイントだったのかな。そのあとは……結婚と子供について公表したとき(2017年)と独立(2022年)ですね。
──お話を聞いていると、20代はいろいろ思い通りにいかなかった10年間だったけど、30代に入ってからは好転し始めているように見えます。
もちろん満足して作れたアルバムもあるけど、事務所に所属しているわけなので、当然「こういう歌詞じゃダメだろ」とか「こういう曲を書かないと」みたいな、いい意味でも悪い意味でも制約はありました。そんな中で楽曲提供もしていたので、30代も試行錯誤が多かったんですよ。とはいえ、事務所から楽曲提供について依頼されたことについては、すごく感謝しているんです。それによって自分がミュージシャンとして成長できたと思うし、自分が書いた曲がコンペを通して何十曲、何百曲の中から選ばれて、チャートのトップ10に入るヒットも味わわせてもらえた。しかも、セルフカバーまでさせてもらえる強さもありましたしね。ロックじゃない曲を書くとか、アイドルに曲を提供するとか、そういうことを抜きにしても、外部の要望に応えていい曲を提出する。それはすごく勉強になりましたし、自分の活動に対するフィードバックもたくさんありました。
──なるほど。
自分のことをヒットメーカーとは思わないですけど、そういう切り口でやろうとする自分の側面が強まっていく一方、絶対に誰にも奪われたくないという部分は当然あるわけで。その誰にも奪われたくない部分が、日に日にマグマのように沸々とたぎっていく。果たしてこのままでいいのか、中島卓偉の表現者としての部分をもっと出していくべきなんじゃないかと。その結果、この先あと何年やれるかわからない時代の中で、自分が本当にやりたいことを世に放つには独立すべきじゃないかという結論に至ったのは、すごく自然な流れだったんです。
──卓偉さんはデビューした21歳以降、10年単位で大きなターニングポイントを迎えてきたんですね。
確かに。大きく30年と捉えたら「こんなに思い通りにできねえのか!」という20代、人のニーズに応えて、ビジネスにして音楽を学んだ30代、そしてまだ答えは出ていないですけど、独立してよりフレキシブルに動けるようになった40代……自分自身がやりたいと思うことを全部実現させることに、どれほど意味があるかを実感したい40代なのかな、という気がします。
──卓偉さんがデビューした頃と比べると、最近はメジャーとインディーズの垣根も曖昧になっていますし、活動方針によってはインディーズのほうがメリットが大きい場合もあります。
そう考えると、今の若い世代は本当にうらやましいですよ。それくらい、自分はミュージシャンとして精神的に苦しいことばっかりだったので。でも、こういう話も今だから言えることであって、20代や30代の頃はファンにも説明できなかったですからね。そういう苦しさの中で曲を書かなきゃいけなかったけど、今の若い世代はその苦労をしなくていいわけなので、本当にがんばってほしいし、自分の好きを貫いてほしい。もうね、「Don't trust over 30」(30歳以上の大人を信じるな)っていう気持ちのままでいいと思うんですよ。それくらいの精神じゃないと、絶対にあとあと後悔すると思うしね。ただ、自分の場合はその後悔した部分を40代以降で全部補えたら、最終的にはプラマイゼロまで持っていけるんじゃないかなと。今はそう信じて活動しているところです。
公演情報
TAKUI NAKAJIMA REVIVAL & MAXIMUM ROCK'N'ROLL TOUR 2025~2026
version 1 TAKUI SONGS ONLY ~Retake The Best~
- 2025年11月29日(土)北海道 PLANT
OPEN 15:00 / START 15:30 - 2025年12月7日(日)静岡県 LIVE ROXY SHIZUOKA
OPEN 14:00 / START 14:30 - 2025年12月13日(土)宮城県 仙台MACANA
OPEN 14:00 / START 14:30 - 2025年12月20日(土)新潟県 GOLDEN PIGS RED STAGE
OPEN 15:00 / START 15:30 - 2025年12月27日(土)神奈川県 新横浜 NEW SIDE BEACH!!
OPEN 14:00 / START 14:30 - 2026年1月10日(土)福岡県 DRUM Be-1
OPEN 14:00 / START 14:30 - 2026年1月31日(土)千葉県 千葉LOOK
OPEN 14:00 / START 14:30 - 2026年2月14日(土)大阪府 OSAKA MUSE
OPEN 14:00 / START 14:30
version 2 TAKUI SONGS ONLY ~こっちが本当のBEST~
- 2025年12月6日(土)三重県 club chaos
OPEN 15:00 / START 15:30 - 2025年12月7日(日)静岡県 LIVE ROXY SHIZUOKA
OPEN 17:00 / START 17:30 - 2025年12月14日(日)埼玉県 HEAVEN'S ROCK さいたま新都心 VJ-3
OPEN 14:00 / START 14:30 - 2025年12月21日(日)石川県 vanvanV4
OPEN 14:00 / START 14:30 - 2026年1月10日(土)福岡県 DRUM Be-1
OPEN 17:00 / START 17:30 - 2026年1月31日(土)千葉県 千葉LOOK
OPEN 17:00 / START 17:30 - 2026年2月14日(土)大阪府 OSAKA MUSE
OPEN 17:00 / START 17:30
version 3 独断ALL TIME BEST & NEW SONGS
- 2025年11月30日(日)北海道 PLANT
OPEN 14:00 / START 14:30 - 2025年12月13日(土)宮城県 仙台MACANA
OPEN 17:00 / START 17:30 - 2025年12月14日(日)埼玉県 HEAVEN'S ROCK さいたま新都心 VJ-3
OPEN 17:00 / START 17:30 - 2025年12月21日(日)石川県 vanvanV4
OPEN 17:00 / START 17:30 - 2025年12月27日(土)神奈川県 新横浜 NEW SIDE BEACH!!
OPEN 17:00 / START 17:30 - 2026年1月11日(日)広島県 広島セカンド・クラッチ
OPEN 15:00 / START 15:30 - 2026年2月15日(日)京都府 KYOTO MUSE
OPEN 15:00 / START 15:30
~SPECIAL!ガチのてんこ盛りBEST~
- 2026年1月17日(土)東京都 Spotify O-EAST
OPEN 15:00 / START 16:00
プロフィール
中島卓偉(ナカジマタクイ)
1978年10月19日生まれ、福岡県出身のロックシンガー。中学卒業と同時に1994年単身上京し、バンド活動を経て1999年10月21日にTAKUI名義のシングル「トライアングル」でデビューを果たす。以後、ライブを主軸に音楽活動を展開。2006年に名義を本名の中島卓偉に戻し、ジャンルに捉われずさまざまな楽曲を発表していく。また作家としても活躍し、ハロー!プロジェクトをはじめとする多数のアーティストやグループに楽曲を提供。2022年3月には約18年間にわたって在籍していた事務所ジェイピィールームおよびアップフロントグループを退所。4月に株式会社FOR ROOTSを立ち上げて独立した。2025年10月にTAKUI名義で発表した楽曲を再録音した“リテイク”アルバム「Retake The Best ~TAKUI SONGS ONLY~」をリリース。同年11月より、4つのバージョンからなる全国ツアー「TAKUI NAKAJIMA REVIVAL & MAXIMUM ROCK'N'ROLL TOUR 2025~2026」を開催する。