MIYAVIが7月24日にニューアルバム「NO SLEEP TILL TOKYO」をリリースした。コラボレーションアルバム「SAMURAI SESSIONS vol.3 - Worlds Collide -」からわずか半年のインターバルでリリースされる本作は、彼にとって約3年ぶりのオリジナルフルアルバム。これまで世界を視野に入れた活動を行い、ワールドワイドな評価を集めた“サムライギタリスト”MIYAVIが、今作では“TOKYO”をテーマに据え、日本語を多用したリリックで新たなアプローチをしかけている。変革の季節を迎えたMIYAVIに話を聞いた。
取材・文 / 内田正樹 撮影 / 映美
改めて「日本最高!」
──今回の収録曲のうち、「Stars」「No Sleep Till Tokyo」「Tears On Fire」「Under The Same Sky」は5月と6月に行われた「THE OTHER SIDE」ツアーですでに披露されていました。
そうですね。いつもはアルバムを出してからツアーに出るんだけど、今回は逆で、先にライブでお披露目でした。実際、言いたいことをまずいち早く足を運んでくれるお客さんに届けるという意味でも、やってみると自然な形でしたね。
──前回、ナタリーで実施した「SAMURAI SESSIONS vol.3 - Worlds Collide -」のインタビュー(参照:MIYAVI「SAMURAI SESSIONS vol.3 - Worlds Collide -」インタビュー)のときに、「実はオリジナルソロアルバムの曲も、もうほとんどのデモができている。自分が何をすべきか、ようやくわかってきた」という話をされていました。
曲はもう、ほぼほぼ出そろっていましたね。「SAMURAI SESSIONS vol.3 - Worlds Collide -」の前にできていた曲もあるぐらい。「THE OTHER SIDE」ツアーって、どう見えましたか?
──改めて日本のオーディエンスとより強くコミットしようとしているような意思が感じられました。それはフィジカルな距離感もだし、新曲を中心に、日本語がベースになっている歌詞が多かったことも含めてそう感じたのですが。そこは自覚的でしたか?
うん、自覚的だった。「NO SLEEP TILL TOKYO」という言葉もまさにそうだけど、改めて外国人が日本に来て「日本最高!」と言う気持ちが、今、すごくわかるというか。この国の素晴らしさや面白さを改めて実感しています。やっぱりすげえ便利な国だし、面白いカルチャーもたくさんある。それって日本で生まれ育ったら当たり前のことだけど、外から見たらすっごく特別。それはコンビニにも自動販売機にもウォシュレットにも言えること。海外に拠点を移してフラットに日本を見られるようになって、今、日本を再発見している自分がいる。前回のツアーと今回のアルバムのリリックにはそうした気持ちも反映されていると思います。リリックに関しては前々からお話してきた通り、自分の中で、基本はギタリストであり、「ギターで歌いたい」という思いがまず根底にあって。で、「WHAT'S MY NAME?」(2010年10月発売のアルバム)ではスラップ奏法、「Fire Bird」(2016年8月発売のアルバム)ではファズとワーミー、そこにトレモロアームを付けて、新しい自分のシグネチャートーンを確立してきた。今回の「NO SLEEP TILL TOKYO」は、言わば「WHAT'S MY NAME?」と「Fire Bird」のサウンドが合体したもの。ある意味、MIYAVIのギターサウンドとして集大成的な1枚なのかもしれない。あと、やっぱどこかで俺は歌い手としてのMIYAVIのファンではなくて……。
──それ、ことあるごとに言いますよね(笑)。
うん。自分は決して歌い手ではないという気持ちが、まだ根本にあるんですよね(笑)。これまでのライブでシンガーを入れていた理由は、自分がギタリストとして自由になれる瞬間が欲しかったから。スタッフからは反対されたんだけどね(笑)。でも「THE OTHER SIDE」ツアーでは、新曲たちにより直接的に訴える歌詞が多かったから、シンガーを入れない編成で回りました。オーディエンスに強くコミットしようとしているように見えたのは、そのせいかもしれません。その分、パフォーマンスも大変だし、そもそも動きが激しいから、ライブではどうしても歌が粗くなるけど、今回のアルバムのボーカルについては歌の表現力という点で決して後退していないというか、表現力は確実に増したと感じていて。生っぽいというか人間っぽいというか。
──実際、伝達力や説得力も増した気がします。
英語で歌うことが自分の肌になじんできたからこそ、初めて日本語も自分の武器の1つとして使えるようになってきたというか。日本語でしか歌えないとか、英語が不得意だから日本語で、というのがずっと嫌で。それもあって意地でも英語で歌ってきたんだけど(笑)。そのあたりの意識も変わってきましたね。
──意識の変化に影響した要因はほかにもありましたか?
時代の変化ですね。グローバルな音楽シーンやエンタテインメントのシーンの中で、ローカルな言語を含めた表現や、マイノリティな文化に対しての包容力、多様性もどんどん見られるようになってきました。今、時代が変わりつつある肌感覚もあります。それは映画業界においても起こっています。「ブラックパンサー」や「クレイジー・リッチ!」のヒットなど、どんどん多様性が広がり、浸透しつつあるように思います。それもあって今回、日本語のリリックにも再挑戦してみました。あと、みんなはどう感じているかはわからないけれど、俺は令和に入って、この国の中でも風向きが変わってきたような気がしていて。まだまだ問題は多いけれど、詰まり気味だったいろいろなことが徐々に浄化されてきて、端的に言うとポジティブな方向へ向かっているように感じています。
世界基準でどう聞こえるか
──日本語のリリックでありボーカルについてはどのように考えているんですか?
やっぱり自分の慣れ親しんだ母国語だから、細かい言い回しは英語よりもかなり表現しやすいですね。でも何より、5年前、10年前とはまた違った角度で日本を見ている自分がいる。日本語に対しての意識も変わりました。今までも、世界中で自分の日本語の歌詞を大合唱してくれるファンを10年以上も前から見てきましたが、ここにきて改めて、新鮮にその景色をまた描きたいという気持ちがあります。今まではずっと世界で戦いたいから英語で歌うことにこだわってきたんだけど、もしかしたらここから先は違う道を作れるかもしれない。
──そうですね。
例えば今まで海外で暮らしてきて、年末年始に子供たちを連れて墓参りに日本へ帰って、浅草とか伊豆とか連れて行くと、もう子供たちにとっては異国文化なんですよね。それを見ているだけでも、客観的に接して「カッコいい」「面白い!」と捉えられる日本の素晴らしさに気付かされる。と同時に、自分の子供たちやよその国の子供たちにも、そういう日本をもっと見てほしいと思わせられます。向こう(アメリカ・ロサンゼルス)にいる日系の子で、日本のことをあまり理解できていないことでアイデンティティクライシスに陥ってしまうケースも見てきました。自国のよさや文化を理解することは、本当の意味での国際人になるために不可欠なのだとも思います。
──そこは海外で生活しているからこそ気付かされる部分も大きいのでしょうね。
そうですね。ぶっちゃけ日本にいて息苦しさを感じる場面もあります。これまでも自分の音楽を邦楽や日本の音楽シーンに向けたベクトルだけではやっていなくて、常に「世界のマーケットの中でどう聞こえるか」ということに向き合ってきたつもりです。その中で、日本語で歌うことがマイナスではなく、むしろ武器として1つプラスされる時代になったと感じられるようになってきた。スラップやアーミング(ギターのブリッジに付いているアームで音をビブラートさせるプレイ)と同じぐらい強い武器だと言ってもいいハイブリッド感があると思います。俺は今も変わらず自分の足で世界中をツアーしているけれど、その一方で、家からまったく出なくても世界中とつながっている子たちだっている。「世界で戦う」ための戦い方も、時代の流れと共に、刻々と変化しているんですよね。
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リスナーの感情に寄り添う