元SKALL HEADZのAYATOMO(Vo, G)、MIKI(G, Vo)、YANOK(Dr, Cho)を中心に2018年に始動し、2021年には元ORESKABANDのSAKI(Tp, Vo)、PON(T.Sax)も加わり、現在の体制となったMAYSON's PARTY。コロナ禍においても精力的なライブ活動を行い、メキシコでもツアーを行うなど、勢いを増すメイソンズから2ndアルバム「GO」が届けられた。
勢いあふれるタイトルが付けられたこのアルバムには、The Monkees「Daydream Believer」のカバーを含む計11曲を収録。メンバーのキャリアに裏打ちされた確かな演奏力と、結成6年目の“新人”ならではのフレッシュさが味わえる1枚だ。新作のリリースを記念して、音楽ナタリーでは楽曲制作の要であるAYATOMO、MIKI、SAKIにインタビュー。MAYSON's PARTY誕生の経緯から、「GO」完成に至るまでを語ってもらった。
取材・文 / 西廣智一撮影 / 山崎玲士
解散したSKALL HEADZがMAYSON's PARTYを結成したワケ
──AYATOMOさんやMIKIさん、YANOKさん(Dr, Cho)が在籍していたバンドSKALL HEADZが2017年に解散して、その翌年にMAYSON's PARTYが結成されたんですよね。
AYATOMO(Vo, G) そうです。2017年にSKALL HEADZのメンバーが半分抜けて、まずは「バンドを続けるためにはどうすればいいか?」と考えたんです。なので、現メンバーのTSUKASA(B, Cho)やMOE(Tb)には最初、SKALL HEADZのメンバーとして声をかけていたんですけど、バンドを再編していく過程で「バンド名を変えてゼロからスタートしたほうがチャンスがあるんじゃないか」という話をいろんな先輩とか知り合いからされて。僕も最初は続けることしか考えていなかったものの、確かにその通りかもしれないと思うようになったんです。「思い切ってSKALL HEADZを解散してしまってはどうか」という話をメンバーにしたら、「そのほうがチャンスがあるならそうしよう」ということでMAYSON's PARTY結成に至ったわけです。
MIKI(G, Vo) 改めて新しいバンドを始めるほうが、自分たちの気持ち的にもいろいろ変えられるんじゃないかと思うところもあったので、結果的には正解だったと思ってます。
──MAYSON's PARTYの活動がスタートした当初、SAKIさんはサポートメンバーとしての参加でした。
SAKI(Trumpet, Vo) そのときはまだORESKABANDをやっていて、2つのバンドに籍を置いて掛け持ちするのが嫌だったので「サポートならナンボでもするよ」と。もともとSKALL HEADZのメンバーとは友達だったので新しい門出を応援したくて、ライブのサポートをしたりホーンアレンジを手伝ったりしてました。
AYATOMO SKALL HEADZの解散後すぐにMAYSON's PARTYを動かさないと、という思いがあったので、サポートメンバーでもいいからということで参加してもらいました。
──MAYSON's PARTYが始動して以降、2018年12月にばってん少女隊のライブでバックバンドを務めたり、2019年春には早くもアメリカツアーを実施したりと、かなり精力的に動いていた印象があります。
AYATOMO SKALL HEADZのときの事務所やレーベルも離れてゼロから始めようというタイミングだったので、チャンスがあればなんでもやろうとは思っていたんです。そこで、たまたまばってん少女隊のプロデューサーの方が僕たちを見つけてくれて、バックバンドを丸ごとスカバンドに任せたいといことで抜擢していただいた。昔のちょっと尖ってた時期だったら断っていたかもしれないんですけど、そういうタイミングだったこともあって快く引き受けさせていただいて、実際ものすごくいい経験になりました。アメリカツアーに関しても、周りに対して自分たちがどこまで本気でやっているかを示したいという思いから決めたことで、ちょうどアメリカのスカシーンが盛り上がってきているという話も聞いていたし、あの頃は自力でアメリカツアーに行くインディーバンドがあまりいなかったので、だったら率先して行っちゃおうと。
MIKI で、実際に行ってみると自分が想像していた以上に大きなものをいっぱい得られる瞬間が多くて。ライブでお客さんが踊ってくれているのを目にすると「自分たちがやってきたことは何も間違ってなかった。どこでも勝負できる、ちゃんと音楽をやれてる」という感覚になれたので、自分にとってもバンドにとってもプラスになる経験でした。
──そこまで順調に経験を積み重ねてきたものの、2020年のコロナ禍で音楽業界を含め社会が一旦止まってしまう。ライブが思うようにできないこの時期を、皆さんはどう乗り切りましたか?
AYATOMO 僕らは結成1、2年目でその状況に突入しているので、逆にキャリアのあるバンドよりはなんでもできるという逆転の発想もありましたし、その時期があったからこそ今があるんだろうと思います。コロナ禍においても比較的早めにツアーを始めましたし、地方に行ったときも「コロナ禍に入ってから来てくれた2バンド目です」と言ってくれたライブハウスもありましたね。なので、その時期がマイナスでネガティブだったというよりも、むしろプラスになって今につながっている印象です。
SAKI あの頃、ライブハウスの床にマスみたいな仕切りが書かれていたじゃないですか。スカダンスってあそこの枠で全然収まるんですよ(笑)。それを発見したときに「スカってすごいな」ってみんなと話した記憶があります。あの時期、いろんなバンドが解散しちゃったりとかネガティブな要素もたくさんありましたけど、それでも続けるという選択肢を私たちは取っていたので、全部がプラスに働いたと私も思ってます。
やっぱりバンドに戻ってきちゃう
──そして、2021年2月にはSAKIさん、PONさん(T.Sax)が正式メンバーになります。
SAKI ああ、そんなタイミングでしたか……はい、入りました(笑)。
MIKI そのあとにツアー(2021年3、4月開催の「改めましてメイソンズパーティーです。TOUR 2021」)をやって。
SAKI そうでした。入るつもりはなかったのに、AYATOMOがしつこく誘ってくるものだから……って冗談ですけど(笑)。これはよくいろんなところで話してますが、AYATOMOが「SAKIじゃないと嫌なんだよ」と言ってくれたんです。それまでずっと「どうしようかな?」と迷っていたんですが、自分が必要とされるってうれしいことじゃないですか。そんなに求めてもらえるんだったら、自分がこの人たちにできることは全力でやろうと思って入ることにしました。
──その年の7月には、HEY-SMITHの猪狩秀平さんをプロデューサーに迎えた1stミニアルバム「MAYSON's PARTY」を発表。コロナ禍はまだ明けていませんでしたが、この頃からさらにバンドの勢いが増していった印象があります。
AYATOMO 結成してからの2、3年はレーベルも事務所もない状態で。僕は30歳を超えてから新しいバンドを始めているし、ほかのメンバーもみんな年齢が近いので、その状況でなんの後ろ立てもないことで不安になることもたくさんありました。猪狩くんがプロデュースしてくれた流れというのもSKALL HEADZ解散から新しいバンドになるところも見届けてくれて、「俺でよければ力になるよ」と言ってくれたことが大きかったし、その縁からSouthBell(今の所属事務所)と一緒にやっていくことになり。自分たちが思い描いていたようなバンドマン人生が、ようやくそこからスタートできたなっていう感覚です。
──バンドを長く続けていると、周りの同世代の仲間が生活のためにバンドを辞めていくタイミングも多々あったと思うんです。そんな中で、30代に入った皆さんが新たなバンドでスタートを切れた原動力はなんだったんでしょう。
AYATOMO 結局バンドマンという職業に憧れて、バンドマンが一番カッコいいと思っているからじゃないですかね。「まだやれるかも」というあきらめきれない気持ちが残っていたから、「これで最後」と思って新しいバンドを始められた。メンバー全員そういう意識だと思うんですよ。なので、今も気持ち的には18、19のままですけど、実際には自己破産してラストチャンスぐらいの気持ちで臨んでます(笑)。
MIKI SKALL HEADZが解散する直前ぐらいに、「これだったらうまくいくかも」という感覚が少しつかめた気がしていたんですよ。でも、ほかのメンバーが抜けることもあって続けること自体が難しくなってしまった。「これができていたら、もしかしたらうまくいったのかも」という悔しさがあったから、バンドを辞めて別の人生を歩もうっていう感覚自体がなくて。だから何かを原動力にしたのではなくて、一定に続いていた気持ちみたいなものが全然途切れずここまで来て、その間に仲間が増えていくことでどんどん楽しくなっていったというのが正解かもしれないです。逆にSKALL HEADZのまま活動を続けていたら、コロナ禍においてバンドの体力的に続いていなかった気がします。
SAKI 私にとっての原動力は、面白そうか面白そうじゃないかですかね。なんか面白そうって思ったんですよね、MAYSON's PARTYが。あとは自分が必要とされていること。私、30歳でORESKABANDを辞めたんですけど、その時点で人生の半分くらいバンドをやっていた。なので、そこからはほかのことをしようと思って作家活動を始めたんですけど、やっぱりバンドに戻ってきちゃうんですよね。だって、バンドは面白いから。今も楽しいからやっているんだと思います。ただ、機材車移動とかはちょっとしんどいです。
AYATOMO このバンドで初めて機材車移動したとか言ってますからね(笑)。
SAKI 温室育ちだったので(笑)。
MIKI 10代から新幹線移動だったそうですし。
SAKI でも、もう慣れましたよ(笑)。
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1人でも欠けたら今の僕たちはいなかった