ナタリー PowerPush - LOST IN TIME
“今”を見つめる珠玉のベスト 海北&大岡に訊く10年間
中が骨で外が柔らかい感じになってきた
──壁にぶち当たったときの何くそ根性みたいなものは強いんですか?
海北 それは、今のほうが強いかもしれないですね。オープンになることって、つまり気持ちいい風も入ってくるけど、強い雨や聞きたくない轟音まで入ってくることで。そうなると、窓を閉めるんじゃなく、自分がいかに耐えるかっていうことが大事になってくると思うんです。僕、よく比喩で言うんですけど、初期の頃のLOSTってカニみたいな外側が固くて中身が柔らかいバンドだったんですけど、今は中が骨で外が柔らかい感じになってきた。コアの部分は変わっていない気がしますけど、肉付きが良くなったというか。実際、俺のお腹まわりとかもそうですけどね(笑)。でも、実際どうなんだろうね。「昔はもっとギラギラしてた」って人に言われるじゃん。
大岡 うん、海北くんはわかりやすくトゲトゲしい若者のイメージ。
海北 あのままで今の32歳まで生きてると思う?
大岡 どうですかね……昔の曲とかを聴くと、すごいことになってますからね(笑)。
海北 ハハハハハ!(笑)
──そういうところに源ちゃんは共感していたんですか?
大岡 俺、最近ブログで楽曲レビューみたいな企画をやって、曲を分析してて。……やっと始めたって感じなんですけど(笑)。今までは、歌詞のどこが好きなんだろうって考えてドラムを叩いたりはしてこなかったんですよ。そういうもんじゃないだろうって思うし。俺はただ、海北くんの歌声が好きだったから。
海北 きっとこれからも……いろんなチャレンジはしていくから一概には言えないけれど、コアにあるのは、今、僕が強く心揺さぶられるものに対して言葉を紡ぐということで。やっぱり、思ってないことは歌えないですよ。それだけは守ってきたから、バンドを続けてこられた気がする。
──今の自分に正直に?
海北 うーん、正直っていうか……自分に嘘をついてでも誠実でありたいっていうのかな。正直な気持ちで弱音を吐くよりは、自分がなりたいっていうイメージに対して誠実でありたい。僕は嘘自体が悪いとは思わないので。泥が多少ついていても、ちゃんと地に足が付いていて、誠実な思いを歌にしたほうがいいなって。それも今だから言えるのかもしれないですけどね。……10年ねえ……面白いよなあ。続いちゃうんだからな。
──他人事みたいですよ(笑)。
海北 でも、他人事みたいに思っちゃう気持ちもあって。30歳を過ぎると、自分の年齢も他人事みたいな瞬間って出てくるんだよね。それも含めて改めて思うのが、30代って面白いぞっていうことで。20代のときには……「大人は全員死ねばいいのに」「Don't trust over 30」ってリアルに思っていたけど。ただ、10年前の俺は、今の俺を否定すると思うんですよ。「きっともっとやれることもいっぱいあったろう」とか「どうしてそんな丸くなっちまったんだよ」とか。でも、今の俺は10年前の俺にそう言われることすらも織り込みずみで。お前はそのまま行けよ、いろんなところにぶつかっていけよって言いたいですね。
一番デカかったことは、榎本くんが抜けたこと
──ちょっと話を戻すと、海北くんが言っていた“if”に含まれる出来事の中でも、数回のメンバーチェンジは大きいですよね。
海北 はい。メンバーが変わるって、バンドにとって体の部位が変わるくらい大きな出来事だから。
大岡 一番デカかったことは、榎本くんが抜けたことなんですよね。榎本くんが辞める頃は海北くんと、音楽的な意見の食い違いで、だんだん仲が悪くなってきて、スタジオの雰囲気がすげえ悪くなってしまって。俺は「2人でしゃべればいいのに」って思いながら、間に入らず、スタジオでは無言で音を出し合って……っていう状態がとても嫌だった。
──それでも源ちゃんは、LOST IN TIMEであり続けようと思ったんですよね。
大岡 止めたらそこで終わっちゃうから、こんないいバンド終わらせるのはもったいないっつうか、壊れるまでやろうっていうか……。
──源ちゃん自身が、バンドに可能性を感じていたから。
大岡 可能性はあるし、海北くんはたまにめんどくさいときもありますけど(笑)、やっぱり海北くんの歌って同世代の中ではずばぬけているし、最初に聴いたときからずっとすごいと思ってますから。
サウンドを言葉に変換できる脳みそを三井くんは持っている
──その後、弥吉さん(弥吉淳二 / G)、有江さん(有江嘉典 / B)、シュンスケさん(渡辺シュンスケ / Key)という、キャリアを重ねてきた方々がサポートメンバーとして参加することによって、バンドの魅力が、クローズドなところから普遍的なところへシフトしていきましたね。
海北 チャレンジはしましたよね。榎本くんのギターがなくなって、コアとして残ったものが僕の歌だったから、そこに思いっきりピントを合わせて、普遍的なものにチャレンジしたい時期だったんでしょうね。あの1~2年は、得難いものを得ることができたし。ああいうことをやってみて思ったんですよ。俺、バンドやりたいんだなって。それぞれが独立したミュージシャンが集まっている究極の形を味わって、最初は面白かったんですけど、サポートメンバーの方が忙しくなって、みんなで一緒にスタジオに入る時間もないし、ライブの本数も減ったんで「やっぱバンドやりてえなあ」って思って。バンドがやりたいってどういうことか、わかりやすく言うと、曲のアレンジとかに対してメンバーでああだこうだ言いながら楽しく作るってことで。そういうタイミングで三井くん(三井律郎 / サポートギタリスト)が入ってきてくれたのは、めちゃめちゃ大きかったんですよね。音楽で会話ができる喜びを一番強く教えてくれたのは、三井くんです。サウンドを言葉に変換できる脳みそを三井くんは持っていて、榎本くんとやりたかったけどできなかったことが、三井くんとはできて、そっからはきゅっとバンドに戻れましたね。ただ、その紆余曲折の時期に俺が一番すまなかったと思うのは、ファンのみんなを置いてきぼりにしちゃったこと。そこまで目が届かなかった自分の浅はかさを、今でも背負ってる。だから、置いてきぼりにすることは、二度としないっすよ。
──でも、あの編成の時代があったからこそ客層も広がったんじゃないかな、とは、先日の新代田FEVERでのライブを観たときにも思いましたよ。
海北 ね。そこは財産っすね。あの頃、僕らを一番引っ張ってくれた曲が「旅立ち前夜」で、しかもそれは18歳のときに書いた歌で。26~7歳の僕が18歳の僕に助けてもらった感じがありましたね。「旅立ち前夜」は、このあいだのライブで久々に演奏したときも、すごくお客さんからリアクションがあって。だからね、その時代その時代で、精一杯できることをやれてきたから、今がある気はするんですよね。「バンドの形が変わったからやらない」じゃなくて「今あるもので何をするのよ」って試行錯誤しながら続けてきた10年なのかなって。そう考えると、しごく真っ当なインディーズのバンドなんだと思います。
──はい。
海北 基本は自分たちの衝動や気持ちに帰結する活動が、インディーズバンドの根幹だと思うんですよ。10年間、そうやって活動してきて、インディーズバンドを10年やるってこういう感じかもって。僕はメジャーを経験したことはないけど、インディーズというフィールドでバンドをやることに面白さを感じているし、続けてて良かったなって思います。そういう話も、今後ちょいちょい若い子たちにしていけたら、30過ぎたおじさんの(笑)役割としてもいいのかなって気がしている。もちろん同じステージに立ったらガチンコですけど、自分の経験が自分だけのものじゃなくていいっていうか。
──そう考えると、周りが「死ねばいい」って言っていた時代から、10年間で変わりましたね(笑)。
海北 おかげさまで(笑)。
CD収録曲
- 再会(新曲)
- 花
- 翼
- 通り雨
- 約束
- 教会通り
- 列車
- 昨日の事
- 北風と太陽
- 秘密
- 然様ならば
- 足跡(STEP UP RECORDSコンピレーション「OUT OF THIS WORLD 4」収録)
- ひとりごと
- ニジノシズク
- 進む時間、止まってた自分
- グレープフルーツ(新曲)
CD収録曲
- あしたのおと(新曲)
- 線路の上
- 手紙
- ヒカリ
- ココロノウタ
- あなたは生きている
- 声(DVD「秒針」ボーナストラック)
- はじまり
- 旅立ち前夜
- 最後の一球
- 26
- 合い言葉
- 希望
- ハローイエロー
- 陽だまり
- バードコール(新曲)
- ぼくらの声の 帰る場所(新曲)
LOST IN TIME(ろすといんたいむ)
2001年1月、海北大輔(Vo,B)と大岡源一郎(Dr)を中心にバンド結成。2002年6月に初のアルバム「冬空と君の手」を発表し、同年9月に榎本聖貴(G)が正式加入する。その後「きのうのこと」「時計」といったアルバムをリリースし着実に評価を高めていく。2006年7月に榎本が突然のバンド脱退を表明。その後も海北・大岡の2人でバンドを継続し、CDのリリースやライブを重ねる。現在はギタリストに三井律郎(THE YOUTH)を迎えた3人編成で活動を行っている。