どこまでが本当の姿なんだろうか
──ここからは、アルバムの内容についてもう少し具体的にお聞きします。例えば「making a bridge|橋を架ける」冒頭の「旅は唐突に終わり うとうとと天井を見る 自分の腕枕に眠る 綺麗な顔を見つめる」は、前編で睡眠薬を飲んだ主人公が眠りから覚めた場面なのかなとか、ということはこの曲より前は眠りの中で見ていた光景なのかなとか、聴いていてそういった想像が膨らみました。あえて余白を残している以上、ストーリーラインについてどこまでつまびらかにするべきかは難しいところですが、そういう話の筋について少しヒントをいただけたりしますでしょうか。
鈴木 今おっしゃっていただいた解釈は、基本的に自分が考えていたものと近いですけど、僕の中で「肌と雨|skin and rain」は眠っている人を見ている側の曲ですね。そこから2人が記憶の中に潜るような感じというか。それぞれの後悔や考えが混ざり合って、「恋人へ|Koibitoe」でそれらが解決する。「恋人へ|Koibitoe」は、前編の「5-10-15 I swallowed|夢みる手前」で描いたシーンを当人たちがやり直しているイメージなんです。前編にある「君だったら見つけて困るだろうか 困るだろうな」という歌詞が、後編では「これくらいじゃ君は傘を差さないだろうな 差さないだろうか?」に変わっていて。要は、自分がわかった気になっている相手はどこまでが本当の姿なんだろうかということを、主人公が意識し始める。それをきっかけに2人が解決へとたどり着き、「making a bridge|橋を架ける」で眠っていた主人公が目を覚ます。そういう流れが自分の中ではありました。
井上 いいヒントだ。
──眠っている側の内省もあれば、それを見ている側の内省もあると。
鈴木 そうですね。眠ってる側の内省が多いのは間違いないと思うけど、少なくとも「肌と雨|skin and rain」は眠ってる側を見ている人の視点になっているかな。
──「雨」と「鳥」がモチーフとして頻出するのも気になったのですが、これにはどういった意図があるのでしょうか?
井上 めっちゃ雨降ってるよね、このアルバム。
鈴木 そうなんですよ(笑)。これは「エターナル・サンシャイン」という映画からの影響です。部屋の中に想像で雨を降らせるシーンがあるんですけど、その場面を観て以来、自分の中では“雨=少し非現実的なもの”という印象で。「現実と非現実の境が崩れる瞬間には雨が降っている」というイメージが頭の中にあるんですよ。それを歌詞に落とし込んだ結果、こうなったのかなと。
──なるほど。
鈴木 鳥に関しては、ベタに「何にも縛られていない」というイメージですね。不自由さを抱える人が憧れるものの象徴。それをツバメとかできれいに描く一方で、ゴミ捨て場のカラスのようなネガティブな存在にも、そういう憧れを見出したくて。みんな自由ではあるけれど、その自由の中にもいろんなグラデーションがあるよね、ということを描くために、いろんな曲に鳥を点在させました。
作家としての根本にあるもの
──鈴木さんは前回のインタビューで「物語の始め方や結末は最初からなんとなくイメージしていた」とおっしゃっていましたよね。そもそも鈴木さんは、どういったゴールに向かって制作を進めていったのでしょうか?
鈴木 いろんな事象を2人の登場人物の間で起こすということは決まっていたんですけど、そのうえで「目の前にある世界を2人の人間が分かち合うことに意味がある」という結末を用意していて。ただ、2人の関係が壊れてしまったときに、壊れてしまったことを悲しいと捉えている側が、自分を納得させるためにそういう答えを見つけ出すのは、ある意味バッドエンドでもあるというか。物語を都合よくそこに押し込む偽善っぽさがあるじゃないですか。そこをなんとかして解消できないかというのを、後編を制作している間ずっと考えていましたね。
礒本 僕ら2人も何も知らされていないので、今すごく集中して聞いてました(笑)。
井上 ごめん、1回だと飲み込めなかったんだけど、何がご都合主義って?
鈴木 例えば、恋愛に破れた側に「でも、その世界を2人で分かち合ってきたことに意味があるよね」と肯定させるのは、都合のいい部分にその登場人物を押し込めてしまうなって。
井上 破れた側がそう思うことがご都合主義になる?
鈴木 いや、破れた側が実際にそう考えるのは別にいいよ。でも、物語の作り手として「この人がこう思ったからハッピーエンドですね」と押し付けるのは違うんじゃないかってこと。
井上 あー、なるほどね。
──長い時間をかけて2人の人間の不和をじっくり描いた果てに、最終曲「後味悪いや|sour」でアルバムを締めくくるのは、確かにハッピーエンドとは言い切れない苦味がありますよね。これは、ご都合主義にならないようビターな結末に振り切ったのか、別のハッピーエンドの形を見出したのか、どちらなのでしょう?
鈴木 僕の中では「後味悪いや|sour」の前の「orange and white|白と橙」で一旦物語は終わっていて、「後味悪いや|sour」はエピローグ的な感覚なんですよ。この曲で描きたかったのは利己的な欲求。「自分に対して嘘偽りなく何かを求める」ということを、最後に肯定したかった。相手を思いやるうえで自分を抑えるということが、「orange and white|白と橙」で1つのハッピーエンドとして描かれていて。その先で、もっと自分本位な曲を書きたかったんです。例えば1人でこの曲を歌っているとしたら、それはバッドエンドかもしれないけど、自分本位な自身を肯定できるようになること自体は、本人にとってプラスでもあるんじゃないかと。少なくとも、1つの価値観に登場人物を閉じ込めることはしていない。そういうラストを用意したくて。バッドとハッピーの割合が見方によって変わるよう、最後に「後味悪いや|sour」を置きました。
──最終曲は「後味悪いや|sour」だけど、物語自体の結末は「orange and white|白と橙」であると。
鈴木 そうです。
──その「orange and white|白と橙」で描いている結末は、制作を進めていく中で見えてきたものなんですか?
鈴木 いや、この曲を結末として持ってくることになるんだろうなという予感は、けっこう早い段階からありました。アルバム全体のテーマが決まる前から、歌詞もほとんど定まっていましたし。自然と書いたものではあるけど、ということはこれが自分の作家としての根本にあるものなんだろうし、であればそれを中心にアルバムを作っていったほうがいいのかなと。自分の根本に流れているものじゃないと、前後編というボリュームの作品にすることはできないので。
──井上さんと礒本さんは、こういった話の流れについては、イメージしながら制作に向き合うんでしょうか?
井上 どこからが現実で、誰が何を思っているのかはインタビューで知るんだろうなと思ってました(笑)。
礒本 あえて聞いたりもしないしね。なんとなく「ここはこういうことなのかな」と考えることはあるけど、答え合わせをしたりはしないかな。答えを知っちゃうと、自分のプレイにも正解ができてしまうので。
井上 設定とか時間帯とか、この曲は誰の視点なのか?とか、そういうことがガチガチに決まってしまうと、聴き手のイメージも狭まっちゃうというかね。別に聞こうと思えば聞けるけど、そこはあえて聞かずにやってます。まあ、聞いても教えてくれないかもしれないけど。
礒本 たぶん教えてくれない。
鈴木 そんなことはないよ(笑)。でも、1つ確実な解釈があると、どうしても作品がコンパクトになっちゃいますからね。いろいろお話ししましたけど、永遠の謎にしておきたい部分も、本当はたくさんあるんです。みんなが腑に落ちるであろう流れは一応自分の中にあるけど、それは各々が考えてくれればいいのかなと。受け手の数だけ解釈があるものこそが、いい作品だと自分は思っているので。
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