ナタリー PowerPush - 杉本恭一
LÄ-PPISCHデビュー25周年目前! ソロ新作「Macka Rocka」リリース
杉本恭一が自身6枚目となるソロアルバム「Macka Rocka」(マッカロッカ)をリリースした。2年5カ月ぶりのソロアルバムとなる本作には、ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉(Key)や、7年にわたり杉本のソロ活動をサポートするVOLA & THE ORIENTAL MACHINEの有江嘉典(B)、LÄ-PPISCHのサポートも行う矢野一成(Dr)が参加。計10曲にわたり鮮烈なサウンドを響かせている。
今回ナタリーでは、そんな杉本恭一に初のインタビューを実施。昨今の活動についてはもちろんのこと、LÄ-PPISCH初期のエピソードや上田現との思い出まで、気になる話題を存分に語ってもらった。
取材・文 / 吉田豪 インタビュー撮影 / 中西求
バンドを辞めて就職するのかなって思ってた
──まずは取材と関係なく、ただの自慢でグッズを持ってきました。阪神ファンの杉本恭一さんをうらやましがらせるためだけに(笑)。子供用の掛布雅之Tシャツなんですけど、最高のデザインですよね?
おおーっ! 最高やなあ(笑)。俺が一番夢を描いてたときの掛布だ。借金魔王になる面影もないな。
──今大変なことになってますからね(笑)。
心配ですよね! 俺が心配してもしょうがないけど。
──本題に入ると、LÄ-PPISCHについては「バンドライフ」(2008年 / メディアックス)っていう本でMAGUMIさんを取材してるんですけど、杉本恭一さん側の話も聞いて立体的にしたいと思います。
まあ、お互い同じ記憶でも印象が違うことが結構増えましたからね。若いときは同じような感じだったんですけど、記憶の中でズレが出てきて。
──どっちが正しいんですかね?
どっちも正しいんじゃないですかね。MAGUMIからの景色と俺の景色が違っただけで。
──元々中学からの付き合いですからね。当時から一緒に合唱部に入ってたりで、音楽つながりではあったんですか?
いや、全くないですね。MAGUMIは当時からみんなの前で歌ったりとか、にぎやかなヤツだったんですよね。ふざけてピンク・レディーを踊ってるあいつは何度も見たことありますよ、中学のときに。
──あの人、俳優になろうとしてたぐらいですからね(笑)。
そうです! 応援にも行きましたよ、「スターは君だ!」の熊本予選でオーディション受けるとき。ワンコーラスで鐘が鳴ってましたけど(笑)。
──あっさり夢破れて(笑)。それで高校を卒業し、上京して一緒にバンドを組むわけですよね。
ちょうど上京してすぐくらいにLÄ-PPISCHの母体となるようなバンドはやってましたね。プロになろうとかそういう感じでも全然なかったですけど。で、いつもMAGUMIが観に来ててですね、まあアマチュアバンドのライブだから盛り上げようと思って、あいつが舞台に上がって踊ったりラッパを吹くようになるんですね。そしたらそこだけ盛り上がるんですよ(笑)。
──メンバーでもないのに(笑)。
「じゃあお前、一緒にバンドせんか」みたいな話になって。でも既にボーカルもいましたから、MAGUMIはなんの役目で入れればいいんだってことになって……。ただ、時はニューウェイブで、そういう不思議なメンバーがいるバンドって結構あったじゃないですか。まだ出現はあとだけど、HAPPY MONDAYSのタンバリンだけ振るやつとか。
──はいはい。ベズですね(笑)。ピエール瀧的なポジションの。
だから、MAGUMIも形だけティンバレスを置いてて、基本的に踊ってて、たまにラッパを鳴らすという役割だったんです。そしたらボーカルが辞めてバンドが止まっちゃって、ちょうど就職シーズンだったから、もうバンドも辞めて就職なのかなっていう、普通のサラリーマン家庭の考え方があったんですね。
──でも、そこで一歩踏み出したわけですよね。
うん。そこでやっぱり音楽が一番やりたいんだってはっきり気付くんですよね。で、まあそこから上田現と出会って、LÄ-PPISCHというバンドになるわけですけど。
ニューウェイブはカラダで覚えた
──LÄ-PPISCHは当時としてはホント珍しい方向性のバンドでしたけど。
そうですね。パンクとニューウェイブっていうところに触れたバンドでしたけど、ニューウェイブの表現っちゅうのは日本ではもうちょっと知的にやってる感じが多かったので。
──テクノにしても頭のいい人たちがやる音楽って感じで。
そうですね、そういうイメージ。でも、俺らは大貫憲章さんのロンドンナイトとかで踊って遊んで、カラダで覚えてああなっちゃったっていう感じなんですけどね。なんでそういうバンドがいないのか不思議なくらいで。
──あの時代、スカやってる人も相当少なかったですよね。今普通に写真とかライブの映像とか観ても、バンドブーム期のバンドってファッション的に恥ずかしくて見てられない人が多いんですけど、LÄ-PPISCHは普通にカッコいいですし。
ああ、ありがとうございます。まあ肩パットたまに入ってますけどね(笑)。
──ダハハハハ! まあスーツの形は時代で変わりますからね(笑)。
でも、逆にLÄ-PPISCHだけあの頃はキレイな格好してたじゃないですか。それが嫌だった時期もありますけどね。「どうしてヒロトたちにはライブにあんな男いっぱい来てるのに、LÄ-PPISCHには全然いないんだ!」って、まだバカだからマネージャーにそんなこと訊くじゃないですか。その頃はマネージャーも若いから、バカな答えをするわけですよ。「向こうは汚い格好してるけど、あんたらはキレイな格好してるからですよ」って。「じゃあなんでキレイな格好してるんだ!」って話になって、それで雪好が髭を伸ばし始めたんですよ。
──あ、そういうことなんですか、あれ!
ものすごくレベルが低い(笑)。
──わかりづらすぎますよ、電波の出し方が(笑)。
わかりづらい。振り返っても都合のいいようにしか思い出さないようにしてるから、人に言われてそのバカバカしさにあきれ返りますね。くっだらないですよ、ホント。すべてがくだらなかったです。
──女性客の多さにモヤモヤしてたんですか?
最初だけですね。急に状況が変わっちゃったから。ライブハウスでやってたのがメジャー契約して。で、雑誌もその頃って「宝島」と「ロッキング・オン」と「ミュージック・マガジン」くらいしか知らないじゃないですか。「B-PASS」とか「PATi-PATi」とか「ARENA37℃」とかのこと知らないんで。
──ロフトやアンチノックとかで活動してる人は、そっちの世界を知らないですからね。
ええ。だから何をしてるのか最初わからなくて。
──なんでこんなにキメキメで写真を撮んなきゃいけないんだ、みたいな。
うん、特にバンドブームの到来のあたりとか毎日何してるかわかんなかったですからね。いつもスタジオ行って着替えて写真撮って、またスタジオ行って着替えてグラビア撮って。もう一番辞めたかったです、あの頃。なんのためにミュージシャンになったんだと思って。
──ただ有名になりたい人ならいいだろうけど。
うん。俺個人、有名願望っていうのはゼロだったんですよ。もちろん作るものをすごくたくさんの人に観てほしいとか聴いてほしいとかはありましたけど。
収録曲
- Birth
- Fantasia
- RED MONKEY
- ENCORE
- Piece of Cake!
- キャロラインベッキー
- KY? O....... IC! H I
- オー・ソレ・ミオ
- moon
- Antique Radio
杉本恭一 & The Dominators
「Tail Peace Tour 2011」
- 2011年12月3日(土)愛知県 名古屋ell. SIZE
OPEN 18:00 / START 18:30 - 2011年12月4日(日)大阪 梅田Shangri-La
OPEN 18:00 / START 18:30 - 2011年12月17日(土)東京都 原宿アストロホール
OPEN 18:00 / START 18:30
杉本恭一(すぎもときょういち)
1964年熊本県出身。1984年にLÄ-PPISCHを結成し、1987年にメジャーデビュー。1996年には初のソロアルバム「ピクチャーミュージック」をリリースし、自らが率いるバンド、analersでも精力的な活動を行う。2003年にLÄ-PPISCHが活動を休止した後はソロを中心にリリースやライブを続け、2011年10月に6枚目となるソロアルバム「Macka Rocka」を発表した。現在は上田健司とのユニット、穴場でも活躍中。