ナタリー PowerPush - 倉内太
最悪な毎日を軽くするブルース
倉内太が2ndアルバム「刺繍」をリリースする。ここに詰まっているのは絞り出すような声で歌われるセンチメンタルなブルース。しかしそこに悲壮感はなく、どこかあっけらかんとした熱が心に届く。この希有な音楽はいかにして生まれたのか。倉内本人に話を聞いた。
取材・文 / 大山卓也 インタビュー撮影 / 上山陽介
ギターに触りたかった
──アルバム「刺繍」聴かせてもらいました。ここには素のままの倉内さんがいる気がして、裏側に何か隠されているという感じがしないんですよね。
特になんもないですね。空っぽです(笑)。
──戦略的にやってるわけではない。
頭悪いんですよ。作戦とか立ててないです。
──では今回はナタリー初登場ということで、まず倉内さんが歌い始めたきっかけから教えてもらえますか?
最初は小学生のときです。ギターに興味を持って、アコギを買ってもらって自然と歌うように。
──それは何かの影響で?
いや、家族が楽器やってたわけでもないし、たぶんマンガ雑誌の後ろのページの広告を見て、いいなあと思ったのかな。
──憧れのアーティストは?
そんときはいなかったですね。
──いないのにギターが突然弾きたくなった?
ギターに触りたかったんだと思うんです。どんなだろうって、たぶんプラモデル的な感じで。ギターを買ってからは周りにいる大人の人がTHE BEATLES貸してくれたりしましたけど。
──音楽はもともと好きだったんですか?
いや、別に。家もなんか貧乏だし、ヘンな宗教やってるし……。ロックとかあんまり聴けなかった。
──じゃあ自分で自覚的に音楽を聴き始めたのはいつ頃ですか?
小学生か中学生の頃はTHE BEATLESとかTHE WHOとか。10代の頃はパンクが好きでしたね。日本のフォークはもうちょっとあと。成人してから聴き始めました。
──人前でちゃんと歌い始めたのは?
バンド始めてからだから、わりと最近ですね。
イライラする気持ちしかなかった
──倉内さんは“ヨーコ”というバンドを2005年に結成してるんですよね。
21歳か22歳くらいのとき。地元の埼玉のさえない人たちと(笑)。さえない人といるほうが落ち着くんです。「いいことないね」って感じの人たちとバンドをやってました。
──そのバンドは何を目指して組んだバンドだったんですか?
なんなんですかね……。正直その音楽で人を感動させるぞみたいなことは全然考えてなかった。とにかくステージで大きい音でやって、なんかガッてぶつけて打ちどころ悪くて死んじゃえばいいのに、みたいな感じでやってました。
──何か伝えたいことはあったんですか?
それがなかったんですよね。なんかイライラする気持ちしかなかったです。
──当時の倉内さんをイライラさせてたものはなんだったんでしょうか?
なんですかね。当時アトピーがひどかったり。
──その頃は学生ですか?
当時はいろんなバイトをたくさん、コロコロ変えながらやってました。
──どんな仕事を?
風俗の店の人とか、合法ドラッグ屋さんとか。合法じゃないのも。
──それはまずいですね(笑)。
なんかその時期興味があったんですよ。
──イライラした感情を音楽にして吐き出したいという自覚は自分の中にあったんですか?
ありましたね。でもできなかったです。
──なぜできなかったんでしょうか。
たぶん言葉が届かなかったから。その時期にフォークとか聴き始めて、面白いと思ったんですよね。でもその当時やってたバンドって音が大きかったし、歌ってても何言ってるかよくわかんない感じで。
収録曲
- 時を踊る少女
- cry max
- 22.5
- イライラキラキラ
- 倉庫内作業員の遊び方
- 失神させたい
- どうしようもなく今
- 愛なき世界
- キッドのポエム
- 倉庫内作業員の休日
- 女の子が笑うと嬉しい
倉内太(くらうちふとし)
1983年埼玉県生まれのシンガーソングライター。小学校5年生でアコースティックギターを弾き始め、2005年にロックバンド・ヨーコ(後のヨーコヨーコ)を結成する。2008年、倉庫内作業員のアルバイトに採用されたことがきっかけとなり、意欲的に楽曲制作に取り組む。2012年11月に「倉内太と彼のクラスメイト」名義で1stアルバム「くりかえして そうなる」を発表し、2013年5月に2ndアルバム「刺繍」をリリース。また同年4月には三浦直之(ロロ)監督による映画「ダンスナンバー 時をかける少女」の音楽を担当した。