母が作った曲を歌ってSNSに投稿したら……
──軽音楽部で組んだバンドでは、ボーカルをやっていたんですか?
最初はギター担当でした。でもいろんな事情があり、急にドラムの子がいなくなっちゃったんですよ。それで「誰がドラムをやる?」という話になり、なぜかボーカルの子が叩くことになって(笑)。そこから私がギターボーカルを任されることになりました。
──名古屋から上京して事務所のレッスン生になったのは、どのような経緯があったのでしょう?
16歳のときに自分が歌っている動画をSNSに投稿して、それを発見してもらったのがきっかけです。しかも、そのときに歌っていたのは母が作った曲だったんですよ。
──ええ!
母は音楽経験がまったくないんですけど、あるときオリジナル曲を作りまして。それを私に歌ってほしい、と言ってくれて「わかった、歌う!」と。その動画は30秒もないんですけど、SNSに投稿したらたまたま今の事務所の方が観てくださって、という経緯です。
──連絡が来たときは率直にどう思いました?
もう、びっくりです! 高校2年生だったので「大学はあそこに進もうかな」と進路を考えていたときにお話をいただいて。
──お誘いを受けようと思ったのはどうして?
決定打となったのは、私が歌っていた曲ですね。母が作ったその曲は、亡き父に向けて書いたもので。それがきっかけで事務所に声をかけていただきましたし、そもそも私は音楽が本当に好きなんです。あとは、1人で弾き語りをしているときに友達からリクエストされた曲を歌ったら、みんなが「元気をもらえる」とすごく喜んでくれたんですよ。それが本当にうれしくて。そういった理由から、東京に行って本気で音楽をやってみたいと思いました。友達とも仲がよかったし、学校生活も楽しかったけど、勇気を出して上京することにしました。それが高校2年生の冬。そこからレッスン生として作詞作曲もそうですし、歌い方も含めて音楽の勉強に打ち込みました。
音楽の難しさを痛感したレッスン生時代
──振り返って、レッスンの日々はいかがでしたか?
とにかく自分の作る曲に満足できず、たくさん悩みました。アーティストさんの曲を聴いて「このメロディ、このコード進行はいいな」とインプットしても、自分がアウトプットした曲に対して「なんでこうなっちゃうんだろう?」と納得いかない期間が1年くらいありまして。そのとき音楽の難しさを痛感しました。頭で思い描いたことを形にするのはスキルも必要ですし、経験値を上げるしかないよなと。作詞作曲が楽しいと心の底から感じられるようになるまでには、少し時間がかかりました。めげそうな瞬間もあったんですけど、親身になってアドバイスをしてくれる方もいたし、名古屋にいる友達とか家族に形として、ちゃんと活動している姿を届けないと上京した意味がないと思って。それが支えとなってがんばれましたね。
──その結果、今では50曲以上のオリジナル曲ができた。
はい。ケータイとか小さいノートに「この言葉は曲作りに生かせるかも」と思ったことをメモするようにしていて。そのまま衝動で1曲書くこともあるんですけど、メモをしたら一度寝かせておいて、別で何か閃いたときに、前にメモした言葉と掛け算するように組み合わせることが多いです。あと、最初に曲の印象的なキーワードを考えるんですね。プラス、その言葉を聞いて情景が浮かぶかどうか。そこから曲を作ることが多くて、ギターを持って歌詞とメロディを同時に作ることが多いです。
“本当は人に見せたくない自分”を曲にしたい
──これまで多くの曲を書かれてきた中で、共通点はありますか?
あります。痛み、弱み、もどかしさや“本当は人に見せたくない自分”を曲にする姿勢は一貫していますね。
──幼少期のお話を聞いていると、Kucciさんは天真爛漫で明るい印象を受けました。あまりダークな部分を感じなかったですが、実は心の内側にそういう陰の部分がある?
そうですね。両親が忙しかったのもそうですし、一人っ子なのもあって、ずっと孤独は感じていました。親は忙しいから、なかなか甘えられない部分もあって。だから1人になるのが嫌で、積極的に外へ行っていたと思うんですよ。小さい頃に抱えていた「もっと私のことを見てほしかった」という気持ちが曲にもつながっている気がして。そこと向き合って心の隙間を埋めていくというか、自分を癒してあげるような気持ちで、音楽に昇華している感覚があります。でも、昇華できるところまで曲のクオリティを上げるのが大変で。「出てきたものがコレ?」みたいな。そこの作業が当時は苦しかったですけど、向き合ってちゃんと乗り超えられてよかったです。
──他人に見せたくない部分とか蓋をしていた感情を曲にしたとき、昔の自分が抱えていたものをポジティブに捉えられるようになりますよね。
それ、すごくわかります。私がいつも思うのは、誰かに曲を聴いてもらうときに、ちょっとした恥と不安を感じる場合はちゃんと自分が出せている。なぜなら自分の中で恥ずかしいと思うってことは、見せたくない部分を曲に反映できているわけで。それを晒け出せているときは、いい曲が書けた証だと思うようにしています。必死に自分と向き合って形にした曲が、誰かの支えになることもあるので、音楽の力はすごいなって思います。
──レッスンを通して、ご自身の武器は見つかりましたか?
一番は声ですね。音楽って、その人の人間性が如実に表れるじゃないですか。だからこそ自分を晒け出す恐怖もそうですし、とにかく向き合うことが重要で。それが露骨に出るのが声。そこを信じているので、自分の武器は声だと思います。
──少し話がズレますが、音楽のレッスンに励む中、去年タイのバンコクへ留学されましたよね?
留学はタイ料理と雑貨好きがきっかけだったんですよ(笑)。私は毎年1月になると「今年やりたいこと100」をリストアップしていて、去年はそのリストに「タイに行きたい」と書いたんですね。それから2カ月ほど経って、事務所の人に「最近Kucciは何にハマっているの?」と聞かれて「タイ料理にハマってます!」と言ったんです。「そんなにタイに興味があるなら、タイ語を習ってみたら?」と勧められて、語学を習うところから始めました。そしたら、よりタイに行きたくなりまして(笑)。それで事務所の方と相談して「いついつにメジャーデビューをするから、逆算したらタイに行くタイミングは今しかない」と。
──その時点でデビューが決まっていた?
そうなんです。デビュー前は日本でいろいろと準備をするべきかもしれないですけど、デビューしてからタイの留学経験を生かせるかもしれない。じゃあ、迷っている場合じゃないということで、去年8月から4カ月間ほどタイに行かせてもらいました。向こうのエンタメもそうですし、吸収できたことはたくさんありましたね。
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理想と現実のギャップを描いた「ときめき」