シンガーソングライターKucciが映画「女神降臨」の主題歌「ときめき」でデビューを果たした。Kōki,が主演を務める「女神降臨」は、韓国の同名Webマンガをベースに日本オリジナルの要素を取り入れた2部作。3月20日に「女神降臨 Before 高校デビュー編」、5月1日に「女神降臨 After プロポーズ編」が公開される。
この大型映画の主題歌アーティストとして彗星の如く現れたKucciとはいったい何者なのか。音楽ナタリーでは本人にインタビューし、その人物像を探った。さらに映画の監督を務めた星野和成、脚本家の鈴木すみれ、プロデューサーの古林茉莉からコメントを集め、「Kucciに聞きたいこと」を本人にぶつけてみた。
取材・文 / 真貝聡撮影 / YURIE PEPE
小学1年生のときに独学でピアノを始める
──Kucciさんは幼い頃からピアノを弾いていたそうですね。
はい。親から「ピアノを習いなさい」と言われたわけではなく、自発的に。ピアノを弾ける人に憧れがあったんです。それで小学1年生のクリスマスに、親から電子ピアノをプレゼントしてもらいました。最初は楽譜の読み方がわからなくて「この音符はなんて読むの?」と聞いても、両親は仕事がとても忙しかったので「教える時間がないから音で覚えなさい」と言われて。耳コピもできないし、絶対音感もなかったんですけど、自分なりに「この鍵盤を押すと、こういう音が出るのか」と探りながら純粋に音を楽しんでいました。
──最初は独学でピアノを弾いていたと。
めちゃくちゃ独学でした(笑)。よかったのが、私の電子ピアノは最初からクラシックなど定番の曲が収録されていて、弾くところが赤く光るタイプだったこと。最初はその機能を使って、押さえる鍵盤を覚えていきました。今もピアノを弾くときは楽譜を見るよりも、指で覚えて弾く癖がついています。
──そのあとは、どのように音楽に触れていきましたか?
小学校の高学年は合唱部で歌を学びつつ、小学4年生のときに本格的にピアノを習い始めました。中学校に上がると、合唱コンクールで伴奏を任せてもらえるようになりましたね。高校生になり、地元の名古屋にいたときは軽音楽部に所属して、アコースティックギターとエレキギターに触れました。
──小学生の頃、合唱部に入ろうと思ったきっかけは?
物心がついた頃から、親と頻繁にカラオケへ行っていたんです。歌うことが大好きだったので、小学校でも「入るなら合唱部しかない!」と思って入部しました。
──小さい頃はどんな曲を歌っていたんですか?
当時は「となりのトトロ」とか「魔女の宅急便」の「やさしさに包まれたなら」、「千と千尋の神隠し」の「いつも何度でも」など、主にジブリの曲を歌っていました。ジブリの物語って繊細で、非現実的な世界観で何回も観たくなるような魅力があるんですよね。あと、母が松田聖子さんの大ファンなので、私も子供ながらに歌っていたのを覚えています。
負けず嫌いなので、一度決めたらできるまでやる
──小学校時代はどのように過ごしていましたか?
合唱に力を入れていたんですけど、ほかにも習い事をやっていまして。書道、茶道、ピアノ、テニスをやっていたんです。とにかくいろんなことに興味があって、どれも自分から体験に行って、親には「習うことに決めたよ」と事後報告(笑)。
──かなり好奇心旺盛ですね(笑)。
友達の影響も大きいですね。小学3年生のときに引っ越したので、新しい土地で何か始めたい気持ちがありまして。友達から習い事の話を聞いているうちに、書道も茶道もテニスも全部やりたいと思って。
──それだけたくさんの習い事をしていたら、遊ぶ時間はなかったんじゃないですか。
でも、習い事がない日はめちゃくちゃ公園で遊んでいました。木登りが大好きで、よく高い木に登っていましたね。お休みの日は外に行くかピアノを弾くかという感じで、とにかく好奇心がすごかったです。
──おしとやかなのかわんぱくなのかわからない、不思議な小学生ですね。
ハハハ、そうですよね。なんでもやりたくなっちゃうタイプでした。
──そんなKucciさんのことを、親御さんはどう見ていたんでしょう?
当時は騒がしかったので「はっちゃけマン」と言われてました(笑)。だけど、いつからか大人しくなっていきまして。小学校時代の友達は今の私を見て「え? どうしちゃったの!?」と驚くと思います。
──今日の写真撮影の様子を見ていても、かなり明るくて元気な印象を受けましたけど、昔はもっとエネルギッシュだった?
もっと元気でした(笑)。幼少期から根底に負けず嫌いなところがあったので、一度やると決めたら全部できるところまでやりたくて。自転車を買ってもらったときも、早く補助輪なしで乗れるようになりたいから、朝から晩までこぎ続けて1日で乗れるようになりました。あと、一輪車にハマっていたときは家から公園まで一輪車で移動してました。
──ハハハ。誰かに言われたわけでもなく、自ら高いハードルを課していたんですね。
そうですそうです!
コロナ禍の高校時代にアコースティックギターを独学で
──さまざまな習い事や遊びをしていた中で、一番熱中したのは音楽ですか?
そうですね。音楽は好きというよりも、身近な存在でした。気付いたら鼻歌を歌っていましたし、ピアノも好きの延長で伴奏を任せてもらいましたし、一番身近ですね。
──小さい頃から音楽の道に進もうと決めていました?
お仕事にしようとは思っていませんでした。母がヘアメイクの仕事をしていたのもあって、私もメイクや美容にすごく興味があり、中学まではそっちの道に行こうかなって。ただ、私が高校1年生のときにコロナ禍になったんです。自宅待機で学校に通えない期間が3カ月くらいあって、そのときに、高校の入学祝いでプレゼントしてもらったアコースティックギターを弾き始めました。休校している間に独学で弾き語りができるようになり、そこからギターにどっぷりハマりましたね。
──アコギが欲しくなったのは、何かきっかけがあったんですか?
私の家は二世帯で暮らしていて。父が3人兄弟なんですけど、3人ともピアノを習っていて、祖母の家にグランドピアノがあったんです。ただ、二世帯とはいえ、祖母と私たちの住居スペースは別々だから、ピアノを弾きたいと思ったら、祖母の家に行かないといけない。でも、ギターだったら手に取ってその場で弾くことができる。その手軽さに惹かれて「アコースティックギターが欲しい」とお願いして買ってもらいました。最初は上手に弾けなくて、母も「大丈夫?」と心配していたんですけど、1週間くらいでチャンチャカチャンと弾けるようになりました。
──すごい!
昔から手先が器用なんです(笑)。それからコロナ禍が明けて、軽音楽部に入部をしまして。同じ部活の先輩や顧問の先生に、弾き方を教えてもらいました。初めてコピーしたのは、Hump Backさんの「星丘公園」。あとは、back numberさんの「クリスマスソング」を演奏していましたね。
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母が作った曲を歌ってSNSに投稿したら……