岸洋佑|アーティスト・岸洋佑が自分の足で歩き出すまで

人間としてのターニングポイント

──そして岸さんは高校卒業後、2012年に早稲田大学へ進学。ここでのちに「師匠」と呼ぶことになる、音楽家のマシコタツロウさんと出会います。

この頃の僕はユニットから外れてソロになったことで、初めて自分は何もできないってことに気付いたんです。ギターも弾けなければ踊りもできないし、歌も特別うまいわけじゃない。「自分に一体何ができるんだろう」と迷っていたときに、同じ事務所のタツロウさんを紹介していただいて。「この人に付いて行かないとヤバい」と、藁にもすがる思いでした。

──そうだったんですね。この出会いが、アーティストとしてのターニングポイントになるのでしょうか。

岸洋佑

アーティストとしてもそうですけど、それ以上に人間としてのターニングポイントでもありました。僕は13歳のときに親父が亡くなって、それ以降「男とはどうやって生きるのか」みたいなものの指針がなかったんですよ。だからすごくチャラチャラしちゃって。そんな僕に、タツロウさんは背中ですべてを語ってくれた。そういう意味では、男として彼の生き方をマネするようになったのが19歳の頃。音楽面もそうですけど、人としての人格形成を彼が担ってくれたと思います。

──マシコさんと出会う前後で何が変わりました?

何が変わったのか答えるのが難しいほど、すべてが変わりました。それまではどう生きていけばいいのかわからなかったし、人のせいにしてばかりの人生だったんです。でも、彼と出会って……彼は「自分の人生に責任を持って生きる」ということを体現している方なので。そこへの意識が一番変わったかもしれないですね。

──その頃はギターを1日8時間も練習していたそうですね。

はい。初めてタツロウさんの家へ行ったとき、僕はギターとベースの区別もつかないくらいだったんですけど……「1カ月半後には1stライブがあるので、それまでにギターが弾けるようになってください」という過酷な条件を求められたんです。だから、1日8時間は練習しないと間に合わなくて。僕もあとがないから「とにかくやらなきゃ」という感じでした。夢というよりも、事務所すらなくなったら俺はどう生きたらいいかわからない……そんな感覚だったので、今思うと“ネガティブなポジティブ“と言うか。「売れたいから」とか、「音楽を出したいから」とか、そういう次元じゃなくて。「ここで生きる場所を失いたくない」という思いでした。

僕の圧倒的な強み

──2013年、20歳の頃には劇団EXILEの舞台「あたっくNo.1」に出演されましたね。急にお芝居へ転向されたのはどうして?

事務所の方が「洋佑はお芝居をやったほうがいいよ。まずは練習として稽古のお手伝いをしなよ」と言ってくださったんです。朝早くから演者の皆さんが帰るまで、掃除や人がいないときの台本読みをやってました。そうしたら、全配役の動きとセリフを覚えたんですよ。ある日演出家さんから「お前も舞台に出るか?」と本番の1週間前に言われて。それがふんどしで、裸エプロン姿のオカマの役でした。そのときに僕は「このままお芝居をやるなら、一生懸命音楽をやりたい」と思ったんです。

──そして2014年、事務所を辞めることを選んで。

「このおいしい仕事をなくしたくない」とか「LDHと関わりたい」とか「モテたい」とかばっかり考えてた人間が、「音楽をやりたいけど実力がない」という壁にぶち当たったんです。できることをやり切って、ダメだったらしょうがないと思って。サラリーマンとして働きつつストリートライブをするという日々を1年間続けたのち、思うような成果が出なかったので事務所を退社しました。

──サラリーマンという言葉が出ましたけど、大学在籍中に働いていたんですよね?

そうです。大学は通信制だったので、平日の朝から夜までサラリーマン。学校は土日に通ってました。

──サラリーマン時代は営業で50件アポイントを取ればいいところを、岸さんは100件もこなしていたとか。ギターを1日8時間も練習した話しかり、舞台で演者のセリフをすべて覚えた話しかり、みんながなかなかできないような努力をしている方だなと思うんですよ。

それが僕の圧倒的な強みだと思ってます。やるべきことへの努力が1mmも苦じゃないと言うか。大学卒業に関してもそうで、僕が通っていた学校は卒業率30%くらいなんですよ。それでもがんばって卒業できたし。ただ、芸能の世界はいくら努力しても売れない人は売れないじゃないですか。逆に、全然努力しなくても売れる人は売れる。「芸能界以上につらい世界はない」と思ってサラリーマンも始めたんですけど……会社では初めて努力と結果が比例したんですよ。「ちゃんとやれば結果が出るんだ!」と。当時の会社に、自分の成果に対して表彰してもらえたということが大きな自信になった。人から褒められる経験って16歳以来なかったので、単純にめちゃめちゃうれしかったです。

──そうしたら、音楽じゃなくサラリーマンを続けようと思わなかったんですか? そっちのほうが居心地いいじゃないですか。

音楽に関しては、しがらみがなくなっていい方向に向かったんだと思います。「歌が楽しい」と思いながらライブをやっていたら、以前よりもお客さんが増えたんです。そのことによって、「努力をすれば仕事も音楽も実を結ぶんだ」と思えた。

──なるほど、すべてがうまく回り始めたんですね。

会社では評価していただき、ライブではお客さんが増えてきて、大学の卒業も迫ってきた。「本当にやりたいことはどっちだ」と思って自問自答を繰り返しましたね。会社側も「このまま会社にいてくれ」と言ってくださって悩んだんですけど、今やらなければ後悔するなと思って「芸能界に戻ります」と。そうしたら社長が「わかった。もしダメだったら、いつでも戻っておいで」と言ってくれたんです。それが自分にとってはすごく大きくて「本当に死ぬ気でやらなければ」と思いました。

岸洋佑

奇跡以外の何物でもないです

──そして、2016年に両A面シングル「夏、キミ。/ 笑って」を発表されました。

この作品のミュージックビデオ撮影は、僕がカメラマンの費用や撮影代などすべて用意したんです。そのときから、セルフプロデュースを大事にするようになりました。サラリーマン時代に営業、企画、制作といろんなことをやっていた経験がここにつながったと思います。「夏、キミ。/ 笑って」は自分で業者に連絡してCDを作ったものだったし、MVも僕がプロデュースしているので、アーティストとしての岸洋佑の礎を築いた作品ですね。

──ちなみに今の事務所には、どのような経緯で所属することになったんですか?

すごく不思議な話なんですけど……僕が事務所を辞めた日に、前に一度だけお会いした方から4年ぶりに電話がかかってきて。突然「お前、最近は何してるの? 今から会おう」と言われて、西麻布に行ったんです。そしたら「まだ事務所が決まってないなら、ウチに入りなよ」って。「今日会社辞めたのに、こんな展開あるのか!?」と内心思いましたよ。そうしたら、もう3人隣に座っていたんですけど……それがフジテレビのプロデューサーさんだったんです。しかもちょうど夏のイベントに出演する若手を探していたらしくて……さらに! その3人の中でLDHに僕がいたことを知っている方がいて。「岸くん、ケイダッシュでやるの? 一緒にやろうよ」と。

──ドラマじゃないですか!

仕事を辞めた直後に、新しい仕事が決まりました。それで「お台場みんなの夢大陸」というイベントに出演するミストマンというグループに入れてもらいました。こればっかりは奇跡以外の何物でもないです。