筋肉少女帯が振り返るナゴムレコードの日々 ~ 80年代の初期曲をリメイクしたメンバー4人に当時の話を聞く (2/3)

KEEP CHEEP TRICK
オリジナル:空手バカボン「バカボンの頭脳改革 -残酷お子供地獄-」(1988年)

──「バカボンの頭脳改革」バージョンでは内田さんの物憂げなバイオリンの旋律が印象的でしたが、橘高さんの変幻自在なギターで重厚さ、壮大さが加わりましたね。

内田 「バカボンの頭脳改革」はケラさんに「空手バカボンの3枚目を出そうよ」と言われたけど、僕らは「もう空バカはいいんじゃないか」って面倒くさがりながら適当に作ったアルバムで……。

大槻 いや、そこは認識の違いで、僕はあのレコーディングは楽しくてしょうがなかった。吉祥寺のペンタ(スタジオ)で、くだらない冗談を言い合いながらどんどん作り上げていく喜び。あんなに楽しかったレコーディングはないよ。ずっと笑ってた。

内田 確かに楽しんで作ってましたね。でも、レコーディング自体は適当だった。バイオリンも1回しか弾いてないし。

橘高 いやいや、あれは素晴らしい。ベストテイクだよ。

大槻 今回の「KEEP CHEEP TRICK」は大喜利のところのセリフを変えてるんですけど、これがけっこう悩みました。今回レコーディング中に僕、コロナになりまして。療養してる10日間ぐらい考えたけど全然思い浮かばなくて、ほぼアドリブで入れたんです。

内田 「いくぢなし」の最後のセリフだけオリジナル音源を使うのも、その場の思いつきだよね。

内田雄一郎(B)

内田雄一郎(B)

内田雄一郎(B)

内田雄一郎(B)

橘高 知らずにヘッドフォンして大きな音で聴いてたら、あそこで急にヒスノイズが上がるから修正しなきゃと思ったもん(笑)。楽器陣の3人で最終プリプロに入ったとき、内田くんが「あの頃はエレクトーンしかなかったからできなかったけど、『KEEP CHEEP TRICK』はドラムとか入れてどんどん盛り上げたり展開させたかったんだよね」と言ってて、「なるほど。あの頃の内田少年の頭の中ではいろんなバンドサウンドが鳴ってたんだ。だったら当時の内田少年がやりたかった夢を今の筋肉少女帯というベテランミュージシャンたちが叶えるプロジェクトにしよう」と思ったの。そうすると少年期の内田くんが喜んでくれるんじゃないかって。おせっかいにもね。なので少年のピュアな部分をどこまで残せるか、内田少年の横にいるベテランミュージシャンの立場でミックスからマスタリングまで「これでどう?」って聞きながら進めたつもりです。粗大ゴミ捨て場から拾ってきたバイオリンの部分を、マイケル・シェンカーみたいな人が情感たっぷりにギターで弾いたらこうなるよ、とかね。

──素晴らしいです。内田さんは頭の中で鳴っていた音が40年後にこうして形になっていかがですか?

内田 「KEEP CHEEP TRICK」は当時のことを思い出しました。この曲はフランク・ザッパの「The Torture Never Stops(拷問は果てしなく)」みたいなジャジーな雰囲気で本当は作りたかったんです。ドラムがテリー・ボジオ、キーボードがエディ・ジョブソンの感じで。だけどエレクトーンしかないので、ペコペコペコ、ボンボンボンだったんですけど(笑)。

80年代の内田雄一郎(B)。

80年代の内田雄一郎(B)。

橘高 セルフカバーってエネルギーがいるけど、過去の自分たちと対峙することでいろんな発見があるんだよね。当時から応援してくれている人は新鮮に聞こえるだろうし、初めて聴いてくれた人はオリジナルに興味を持つことで40年の時間を疑似体験してもらえる機会になるし。どっちのバージョンも愛おしいものとして価値が高まるからハッピーなことしかない。1つの楽曲でいろんな角度から見れるのは、アニバーサリーのタイミングにはとてもいいものだと思いました。

7年殺し
オリジナル:空手バカボン「バカボンの頭脳改革 -残酷お子供地獄-」(1988年)

──こちらも演奏面がパワーアップしたのに加えて、大槻さんのボーカルがビートに乗ったことで本格的なエスノファンクナンバーに生まれ変わりました。

内田 Talking Headsの「リメイン・イン・ライト」というアルバムが好きで。この頃、バカボンって言葉をいろんなメロディにして歌ってるんですけど、その一環です。

大槻 Emerson, Lake & Palmerの「展覧会の絵」に乗せて「♪か~ら~て~、バカボン、バカボン」ってのもあったよね。途中で笑っちゃって歌えなかったけど、楽しかったなあ。今回「7年殺し」は筋少ライブのオープニングSEとかライブ中の転換タイム、ソロ回しで使える曲になればいいなという気持ちもあってリメイクをお願いしたんです。仕上がりを聴いたらエディが激しく弾きに行かずに静かに弾いてるじゃない? それが衝撃でした。へーっ、こういうアプローチなんだと思って。あれ面白いよね。

橘高 うん、俺も思った。

──ライブではさらに長いバージョンでも聴いてみたいです。

内田 「まあ、こんなもんでしょ」ってぐらいの適当さが出ればいいかと思って、4分ちょっとの尺にしたんですけど。

大槻 内田くんの楽曲って、その割り切りがあるんだよね。そこがすごく出てて面白かった。今回の「7年殺し」も「♪バ~カボンッ」で終わるじゃない? いるのかな、これ?っていう。いいと思います。あれは内田くんしかやらない。

内田 ああ、そうかもしれない。あのラストもドラムを録りながら考えたんだよね。「7年殺し」はトラックダウン寸前でふと「何か足りない。なんだろう?」と思ってオリジナルを聴き直したら、ケラさんがなぜか「グラッチェ!」って叫んでるんです(笑)。「これか! これは外せない!」と思って、ギリギリでデータを作って送りました。

橘高 マスタリング前日の最終落とし5分前に連絡が来て。そこは確かに俺も大槻くんの歌がちょっと早めに終わって間が空いてたから、「ここに何かあってもいいな」と思ってたから入れてよかったです。

内田 オリジナルを聴き込んでる人も「おお、グラッチェ!」と喜んでくれると思います。

橘高 もっと早く言ってほしかったけどね(笑)。

橘高文彦(G)

橘高文彦(G)

橘高文彦(G)

橘高文彦(G)

──若い人が今回のアルバムを聴いて、「当時こんな面白いバンドがいたんだ!」とナゴム時代の筋肉少女帯を再発見してくれたらいいですね。きっとギターサウンドの幅広い表現力に魅了されるんじゃないかなと思います。

橘高 今の人はギターソロになったら飛ばして聴くんでしょ?(笑) そういう話は90年代にグランジが出てきた頃もあったんだけどね。筋少はそれを分かってて、独自性の1つとしてテレビで演奏するときもギターソロを入れてたの。それも、ほかの人がやってないことをあえてやったわけじゃなく、もともと自分たちにあったものだから。今でも俺、ステージにマーシャル(アンプ)10台積んでるけど、それも俺が10代の頃からの美学で、ギターソロと一緒。そういうのがダサいとされる時代は何度もあったけど、目の前にマーシャルの壁が出てくるとお客さんは喜んでくれるし、ああいうのを積んでギターを弾きたいっていう夢を持つ少年は相変わらずいるみたいだし。

──大槻さんもお話しされていた普遍性ですね。

橘高 筋少は、時代が変わったからといって自分たちが内包してるものを封じるんじゃなく、堂々と出せば出すほど「筋少らしい」と言われてきた歴史があるから。今回の楽曲を見てもそう。「いくぢなし」を書いた人たちのバンドだから40年残った、という証明でもあると思って。いろんなブームを経験してきた間も俺たちが俺たちであり続けたことが、オリジナリティにつながって40年という月日を過ごせたので、このことを誇りに思っています。