もしも今回が最後のアルバムになるとしたら──KEN THE 390が新作「Last Note」に込めたパーソナルな思い

KEN THE 390が通算13枚目となるアルバム「Last Note」を2月19日にリリースした。

2000年代初頭より本格的にラッパーとしての活動をスタートし、長きにわたり日本のヒップホップシーンを牽引し続けてきたKEN THE 390。近年では、「『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage」や「『進撃の巨人』-The Musical-」、「舞台『サイボーグ009』」といった舞台作品の音楽監督を務め、またオーディション番組「PRODUCE 101 JAPAN」のSEASON 2およびSEASON 3にラップトレーナーで参加するなど活躍の場を広げている。

傍から見れば順風満帆なキャリアを構築してきたKEN THE 390ではあるが、いちラッパーとしての彼は、ここ最近、自らが何を歌い、何を伝えるべきか、逡巡を繰り返す日々を重ねていたのだという。ラッパーになる夢を叶え、シーンで確固たる地位を築き、多くの仲間や仕事に恵まれ、家庭を持ち、子供が生まれ──それでもまだ、どこか満たされることのない自分。そんな彼のリアルな心の内が、ニューアルバム「Last Note」では、あるがままに描かれている。最後のアルバムになることも考えていたという今作を作り上げたKEN THE 390に話を聞いた。

取材・文 / 高木“JET”晋一郎撮影 / 斎藤大嗣

自分のアルバムで書くべきことが見当たらなかった

──ニューアルバム「Last Note」は、“現在のKEN THE 390のあり方”が強く押し出された、非常にパーソナルな内容になったと思いますが、そのイメージはどのように?

環境の変化が大きく作用したんだと思いますね。個人的な部分で言えば子供が生まれたことが大きかった。1人のラッパーに家族ができて、子供が生まれて、親になることで物事に対する考え方が変わったことが作品につながっていって。環境が変わり、落ち着かなかったライフスタイルが、去年の夏ぐらいに自分の中でようやく定着してきて、そこで親である自分、限られた人生の残り時間の割り振りみたいなイメージが自分の中で生まれてきたんですよね。

KEN THE 390

──パーソナルな部分が出ているのはそういった影響だったと。

父親になってから初めて出すアルバムだから、そういう意味でもパーソナルな部分について言えることが増えていると思うし、外部に提供する歌詞だとそれは絶対に書けないんで。ただ、アルバムに向けてスムーズに進めたわけではなかったですね。

──というと?

マインドの変化もあるし、仕事的な部分で言うと、ここ数年は曲を書く機会がとてつもなく増えているんですね。昨年12月までプロデュースしていたボーイズグループMaison Bの曲作り、それから舞台への楽曲提供も多くて。

──宝塚歌劇団宙組「HiGH & LOW -THE PREQUEL-」でのラップ指導やヒプステ(「ヒプノシスマイク-Division Rap Battle -Rule the Stage」)、「舞台サイボーグ009」、そして「進撃の巨人-The Musical」など、最近は舞台に関わる仕事がかなり多いですね。

1つの舞台に向けて10~15曲を提供することもあるし、キャリアの中でこの2、3年は一番曲を書いてる。それぞれ充実しているし、やりがいもあって楽しんでるんですが、それもあってか、自分の作品、特に自分のアルバムに向けて何かを書いてもしっくりこない時期があったんですよ。

──提供曲は、KEN THE 390とは別の人格の作品ではあるけど、絶対にどこかにはKENさんの意識の欠片が入ってるだろうし、そこで表現欲求が解消される部分もあるでしょうね。

そう。だからソロ曲を書けば書くほど、いろんな要素が削ぎ落とされて、自分のパーソナルな、日記的なリリックになっていって「何をどこまで書いたらいいかな……」みたいな。そのときに「Last Note」というテーマが思い浮かんだんです。

アルバムのテーマは“自分の話”

──香水の一番深い香りを「Last Note」と言いますね。そして「Note」には「音符」という意味もあります。だから「最後の音符」という意味にも取れて、タイトルを知ったときには、「え、大丈夫?」と。

スタッフもびっくりしてました。「これ、ラップをやめると思われますよ!」って。

──20年以上ひたすらラップを続けているKENさんが音楽活動をやめるというのは、リスナーにとって信じられないことでしょうね。

確かに。ラップすること自体をやめることは考えてもいないけれど、でも、もしかしたら自分がアルバムというフォーマットで作品を作るのは、そしてCDというパッケージでリリースするのは、これが最後になる可能性もあるよな、とは思ったんですよね。

──それは時代的にも?

そう。「もしも最後のアルバムになるとしたら、何を言わなくちゃいけないのか」というメッセージを柱にしようと思ったので、思い切って「Last Note」というタイトルはどうかな、と。そのイメージが浮かんだら、パートナーとのことや、自分の子供に向けてや、自分は何を考えて、どんな道を進んできたラッパーなのかとか、すごくパーソナルな、でも今回のアルバムの指針になるような曲が生まれてきた。そこから一気に筆が進んだし、今の自分はこういうことが書きたいんだなと自覚できたんです。感覚としては、初めてソロを作った頃に近かったですね。本当に自分のために作った作品になりました。

KEN THE 390
KEN THE 390

──オープニングを飾る「All Day, All Night(REMIX)」は、前作「Unfiltered Blue」収録のオリジナルよりもビートやラップの“温度”を下げているから、表現の着地点が変化して、よりKEN THE 390のパーソナルな話に収れんするような感触がありました。

発言者を明確にしたいと思ったし、だからこそ、この曲でアルバムを始めれば、どういうアルバムなのかがわかるのかなと。

──今回のアルバムでは、「こう見せたい」とか「こう聴いてほしい」といった“アク”が抜けてると思いました。それは近作で言えば「Verses(feat. GADORO & NORIKIYO)」や「衝突(feat. FORK & Zeebra)」、もっと言えば「What's Generation feat. RAU DEF,SHUN,KOPERU,日高光啓 a.k.a.SKY-HI」や「真っ向勝負 feat. MC☆ニガリ a.k.a 赤い稲妻,KOPERU,CHICO CARLITO,晋平太」といった、KEN THE 390のアルバムでは定番だったスキル勝負系の曲が収録されていないことからも感じました。もちろん、ラップスキルのバリエーションは豊富なんだけど、それが“勝負”の方向には向いていない。

“自分の話”をテーマにしているから、マイクリレー曲をそもそも想定していなかったんですね。あとは「うまくラップしなくてもいいや」という思いがけっこうありました。もちろん、うまくラップしたいし、韻も固く踏みたいし、実際踏むところは踏んで、フロウのバリエーションも形にしてるんだけど、同時に今回はメッセージやテーマ、自分の言いたいことに重きを置こうって。

あるがままの自分を認めてあげることも大事

──パーソナルな部分ということでは、「The Game Is Over」では、自分自身が感じているシーンからの視線を書いていますね。

しかもセルフディスみたいな形で。

──ちょっと自傷的な、被害妄想的な部分もありますよね。

極端に言えば、「そういう視点で自分を見ることで、自分を終わらせる」ぐらいの感じだったんですよね。そう思われてるかもな、それもわかってるよ、というのを公開することで、自分が楽になるんじゃないかなと。

──あまりKENさんはそういうリリックを書いてこなかったから、すごく意外でした。

ただ、「終わらせる」といっても決してネガティブな意味合いじゃなくて、「終わらないと始まらないから」という気持ちをリリックに込めました。1stヴァースの「遊ばれてるのに関係を終わらせられない人」はラップにこだわり続ける自分とも通じるし、2ndヴァースの「仕事が忙しくて生活を蔑ろにしてる人」も、自分にもそういう部分があるなって。それが3rdヴァースで完全に自分の話になっていくんだけど、全部がどこか自分につながっているんですよね。

KEN THE 390

──その「The Game Is Over」へのある種のアンサー的な「そこだけじゃない」、そしてそれを包括しつつ、乗り越える意識を与えるような「Love Myself」という7~9曲目の流れが、個人的にはすごくグッときました。

その流れは意識しましたね。「Love Myself」は自己肯定感がテーマの曲ではあるんですけど、自己肯定感と言っても「俺はすごい! 最高!」みたいなことではなくて、どちらかと言えば自己受容に重きを置いていて。あきらめてるわけじゃないけど、「俺はこういう人間だな」みたいな。あるがままの自分を認めてあげることも大事だと思ったし、自己受容については絶対にリリックで書きたかったんです。自分をどれだけ許せるかっていう。

──「しょうがねーなー、でもそれが自分だしな~」みたいな(笑)。

そうそう(笑)。「俺はすごい! もっとすごくなりたい!」という気持ちも大事だし、それは前向きになる原動力かもしれない。同時にあるがままの自分も認めてあげないと、精神的にキツい。だからどんな形であっても、まず自分を認めようよと改めて書こうと思ったんです。自分の子供にもそれは言っておきたい(笑)。