川嶋志乃舞|伝統芸能×ポップス、2つをつなぐ新時代のバランサー

藝大時代に伝統芸能ポップを考案

──高校卒業後は東京藝術大学へ進学されました。

高校3年生の夏までは国立大学を目指していたんですけど、「このままでは難しいかも」と思って。そしたら、学校の先生が進路相談で「三味線が弾けるんだから藝大にいっちゃえば」とおっしゃったんです。三味線の会の中に藝大に通っていた姉弟子がいたこともあり、母もゴーサインを出してくれました。

──そこから藝大を目指したと。

川嶋志乃舞

はい。だけど受験勉強はすごく大変でした。音楽理論の科目があるんですけど、私は何も知らなかったので急ピッチで勉強を始めました。そしたら音楽科コースの子たちよりも成績がよくなっちゃって。

──すごいじゃないですか。

もっと苦労したのは実技の試験でした。藝大の場合、私の弾いてきた津軽三味線じゃなくて長唄三味線を弾かなければいけなかったんです。言うならば、ロックの人がクラシックの世界に飛び込むような感じ。それぐらいまったく違うジャンルなんですよ。最初はなんの知識もなかったし、譜面も読めなかったですね。知り合いに長唄三味線を教えてくださる方がいたので、毎週茨城から東京まで通ってなんとか藝大に現役合格しました。

──大学では音楽学部邦楽科で長唄三味線を専攻し、古典邦楽を勉強されたそうですね。

歌舞伎や日本舞踊の伴奏でやっているような音楽をイチから勉強しました。ここでも実技の勉強が大変でしたね。津軽三味線の場合は曲の長さが5分くらいなのに対し、長唄三味線は30分近くあるんですよ。なので「あなたは覚えが悪い」とよく言われました。コンサートの裏方や先生の荷物持ちとか、いろんなことをやらせていただいて「この世界に興味があります」ということを体を張ってアピールしていました。

──この頃に、和楽器とポップスを融合させた新しいジャンルを考案されたそうで。

三味線の演奏法が云々というよりも、私は言葉のほうに着目して“伝統芸能ポップ=和ポップ”というヒントを得たんです。例えば今では使わないような枕詞や言い回し、例え話というのは芸術として発展してきたからこそ紡がれてきた言葉であって。大学では能楽の授業も受けていて、「緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり 月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や」という表現を知ったときに感動したんです。そこからいろんな歌詞に注目して、花魁のことをディスコパーティ風に表現してシティポップに仕上げようと考え、長唄の歌詞を引用した「遊廓ディスコ」を作りました。それが日本邦楽のルーツに新しい要素を足した伝統芸能ポップの始まりですね。

──古典邦楽に新しい血を入れることに、抵抗はなかったんですか?

なかったですね。というのも、もともと家元がジャズの「Take Five」やラテンの曲を三味線で演奏していたんですよ。家元は前衛的かつポップでオシャレな人でありながら、全国大会の審査員長を務めるくらい民謡もすごく上手だったんです。そういう両刀使いだった師匠のおかげで、私もオシャレなものに三味線を乗せることしかり、立って演奏をするライブスタイルにもまったく違和感を覚えなかったです。

伝統芸能継承者としては注目されたくない

──22歳の頃までの歩みをたどってきましたが、振り返ると本当に輝かしい経歴ですね。

私が思っている以上に、世間は三味線や伝統芸能の部分に強く注目しがちで。日本一だとか、海外公演をやっているとか、伝統芸能継承者として生きていたことばかりに目を向けられてしまうのが嫌なんです。もっとフラットに見てほしい気持ちはありますね。そういう周りとのギャップはすごく感じます。

──自分のルーツがネックになって、伝統芸能ポップが認知されないと。

川嶋志乃舞

そうですね。私のやっていることには先人がいないので、イベントのブッカーさんに「誰と対バンさせていいのかわからない」と言われることが多くて。私も受け入れてもらえるように、歌モノの曲を増やしてきました。そうやってアプローチを続けたことで、理解のあるブッカーさんも増えてきて、応援してくださるファンの方も「あの子は三味線がうまいだけじゃない」とわかってくださるようになりました。振り返ると、ここに至るまでの開拓がものすごく大変だったなと思います。伝統芸能とポップの間のいいバランサーでありたいです。

──川嶋さんは伝統芸能を尊敬しつつも、「違う要素を加えた新しい形があってもいいんじゃないか」という考えなんですよね。そしてその意志を体現した音楽こそ、今回リリースされた完全民謡盤「光櫻 -MITSUSAKURA-」と伝統芸能ポップ盤「SUKEROKU GIRL」だと。

完全民謡盤と銘打っているだけあって「光櫻 -MITSUSAKURA-」には歌をたくさん入れているんですけど、基本的に三味線奏者は自分で歌わないんですよ。ゲストボーカルとして民謡歌手を助演に迎えることはあるんですけど、自分で歌って、三味線を弾いて、太鼓を叩いて、曲にアレンジを加えている三味線奏者はなかなかいないんです。

──川嶋さんは3歳の頃以外にも民謡を習う機会があったんですか?

藝大卒業と同時に、民謡の先生に教えていただくようになりました。その先生は、第2の母と言えるほど昔からお世話になっている方で「しのちゃんがやりたいなら、どんどん勉強しなさい」と言ってくださいました。

──なるほど。ちなみに「光櫻 -MITSUSAKURA-」というタイトルの由来はなんですか?

小学6年生のときに名取でいただいた名前なんです。小学生の頃は春の時期に大会に出て賞をもらっていたので、“櫻”という文字を入れて“光櫻”。つまり民謡のほうの芸名をタイトルにしたわけです。

全部うまいこと取り入れた「SUKEROKU GIRL」

──伝統芸能の真髄を表現した「光櫻 -MITSUSAKURA-」に対して、「SUKEROKU GIRL」にはシティポップやスカなど本当に多くのジャンルの音楽が盛り込まれていますね。

好きな音楽を歌ったり弾いたりしたいと思いつつ、三味線の要素を抜くと私の個性が薄くなるので、全部うまいこと取り入れて「自由だよ」ということを示したかったんです。ということで、「SUKEROKU GIRL」はわがままな1枚になりました。

──作曲はどうやって進めたんですか?

基本的にピアノで作り始めます。歌モノは歌詞先行で考えて、後からコードだったりリズムだったり、やりたいジャンルを設定する流れですね。

──三味線からじゃないんですね。

三味線はアレンジャーから音が返ってきて最後に弾くんです。最初から三味線を入れることで、アレンジャーのセンスを伝統芸能の方向に引っ張りたくないんですよ。

──人と制作することを考慮したうえでの順番なんですね。

はい。アレンジャーに頼む理由は、私に打ち込みの技術が足りてないのもあるんですけど、それよりも自分の中にない新しい世界を持ってきてくれると信じているからで。ちなみに、アルバムの中でお好きな曲はありましたか?

──個人的には4曲目「Not575」が一番好きです。オシャレなブラックミュージックに、川嶋さんのソウルフルな歌声が見事にマッチしていて。

自信作なのでうれしいです! ああいう曲は今回初めて作ったんですよ。R&Bテイストの曲はあったんですけど、どちらかと言えばシティポップ風のライトな感じだったんです。「Not575」はもっとダークというか、青黒いイメージで聴いてもらいたいなと思って作りました。日本人はコードをやたら回したり、AメロBメロをハッキリ分けたりしがちですが、今回は洋楽のニュアンスに近付けたかったので、最初にリズムを打ち込んで、なるべくコードをシンプルに仕上げました。

──5曲目の「津軽じょんがら節」ではどちらかというと伝統芸能寄りになって、一気に雰囲気が変わりますね。

そうなんですよ。5曲目から一気に畳み込んでいく感じがあります。