川口レイジ「Departure」 PR

川口レイジ|世界に向かって放つ、鮮烈なメジャーデビュー作

川口レイジが7月24日にアリオラジャパンよりメジャーデビュー作品「Departure」をリリースする。

昨年5月にアメリカのシンガーソングライターであるマーティ・ジェームスとコライトした楽曲「R.O.C.K.M.E. ft. Marty James」を突如配信リリースした川口。その後、同曲はマーク・ロンソン「Uptown Funk ft. Bruno Mars」のリミックスでグラミー賞を獲得したデーヴ・オーデや、日本人として初めてグラミー賞リミックス部門ノミネートを果たした音楽プロデューサー・starRoによるリミックスバージョンも配信され、これもまた大きな話題を呼んだ。日本とロサンゼルスを行き来しながら作られたというメジャーデビュー作品には、マーティ・ジェームスとの共作曲「Like I do」「Summers Still Burning」、Carlos K.と制作した「Night Divin'」、starRoを共作者に迎えた「two prisoners」など全7曲を収録。世界の音楽的トレンドを吸収、昇華しながら、独自の世界を描き出す川口のほとばしる才能が詰め込まれた作品だ。音楽ナタリーでは川口にこれまでの歩みや本作に込めた思いを聞き、その人物像に迫った。

取材・文 / もりひでゆき 撮影 / 斎藤大嗣

父の遺品から見つけたクラシックギター

──川口さんは現在25歳です。幼い頃から積極的に音楽に触れてきたんでしょうか?

いや、幼い頃はまったく音楽に興味がなくて。すごいヒット曲であれば耳にしたことはあるけどタイトルは知らない、みたいな感じでした。その後、10代半ばから後半くらいにかけてようやく興味を持つようになっていくんですけど。

──学生時代はスポーツに打ち込んでいたそうですね。

はい。小学生の頃は剣道、中学からは野球をやっていました。野球に関しては夢を持って邁進していたんですけど、高校2年のときにケガで退部することになってしまって。10代の自分にとってのすべてだった野球を失ってしまったことでの喪失感はものすごく大きなものがありましたね。しばらくボールを見るのも嫌になってしまったくらいで。

──それがきっかけで音楽へ興味が向くようになったわけですか。

一番のきっかけは……高校2年の初めくらいに父を亡くしたんですけど、その遺品の中からクラシックギターを見つけたことだったと思います。そこでギターと出会い、そのあと学校の音楽の授業でチューニングや演奏方法を教えてもらったことで、能動的に弾くようになったんですよね。「意外とできるな」みたいな感じで。そこからは友達と一緒に演奏したり、自分の演奏をインターネットの動画サイトに投稿したりするようになりました。

──音楽にどんな楽しさを見出したんでしょうね?

最初は単純に、できないことができるようになっていく楽しさを感じていたんだと思います。ただ、その後、路上ライブをやるようになったとき、まったく知らない人たちが僕のギターと歌で集まり、声をかけてくれたりすることに対して新鮮な感覚を味わえたというか。音楽は自分の生き方、人生そのものを変えてくれるんじゃないかなという直感があったんですよね。

──じゃあ、そこで音楽の道に進むことを決意して。

最初はなんとなく漠然とした思いではありましたけどね。高校時代、いろんなことで心に穴が開いていたときに、僕は玉置浩二さんの曲に救われたんですよ。包み込んでくれるような楽曲の数々で、進むべき道を示してくれた。だから自分もそんな音楽を歌っていけたら、そんなふうに生きていけたらいいなという憧れはありました。で、路上ライブでは人がたくさん集まってくれるようにもなっていたし、そのあとに始めたツイキャスでもいい反応をもらえたりしていたので、その憧れがだんだん強くなっていって。難しい世界だとは思うけど、この道でやっていこうという決意が芽生え始めましたね。

川口レイジ

“行き詰まり”から生まれた今のスタイル

──オリジナル曲はいつ頃から作り始めたんですか?

最初はカバー曲を中心にやっていたんですけど、路上なんかで「オリジナル曲はないんですか?」と聞かれることが多くなって。その言葉に背中を押されて作るようになりました。最初は見よう見まねで、ギターをかき鳴らしながら歌詞を書いていく感じでしたね。曲調に関しては、大好きだった玉置浩二さんにだいぶ影響を受けていました。ゆったりとした雰囲気の、歌謡曲やフォークソングといったイメージを持つ曲がメインだったと思います。そこが自分にとっての1つのルーツではあるので。

──でも今の川口さんの楽曲を聴くと、その音楽性はかなり変化されているように感じます。今のスタイルになったのはどうしてだったんでしょう?

きっかけは“行き詰まり”ですね。ライブハウスでライブをするようになると、それまで作っていた曲だけだとどうしても盛り上がりに欠けるんですよ。自分としてはもっとメリハリを付けて、エンタテインメント性のあるライブをしたいけど、それができないという。そこで知り合いの方に相談したところ、「いろいろな洋楽を聴けばヒントがあるかもしれないよ」というアドバイスをいただいたんです。そこから洋楽をたくさん聴くようになり、そのサウンド感やメロディの雰囲気を自分の曲作りにも取り入れるようになりました。ただ、洋楽の雰囲気を自分なりに曲へ盛り込んでみても最初はまったくうまくいかなくって。また行き詰まることになるという(笑)。

──そこでロサンゼルスへ渡ることを決意するわけですね。

はい。ツイキャスをやっているときに今のレーベルの方と出会い、育成契約をさせてもらってたんですよ。その方に、アメリカのトップライナーと一緒にコライトというスタイルで曲を作ってみないかというお話をいただけて。その段階で僕は海外に行ったことすらなかったんですけど、「お願いします」と即答しました。で、ロサンゼルスでセッションしたり、曲作りをしていく中で、今の音楽性を自分のものにしていくことができたんです。

──迷うことなく海外へ旅立てた行動力がすごいですね。

変に構えることなく新しいことに挑戦できるタイプなので、そのへんの感覚が鈍いのかもしれないです(笑)。そういうお話をいただけたことに対してもちろんびっくりはしましたけど、洋楽への憧れもあったのでそこはわりとすんなり決断できたというか。せっかくの機会だから、精いっぱいがんばっていろんなことを吸収して帰ってこようと思って。その段階では英会話も学校で習ったレベル、入国審査でちょっとつまずくくらいのレベルでしたけど、それも現場で覚えていった感じですね。