カンザキイオリ|“不器用な男”がセルフボーカルに挑戦する理由

ボカロPとして広く知られるカンザキイオリが、セルフボーカルによる新作アルバム「不器用な男」を8月11日にリリースした。

ボカロPとして自身のキャリアをスタートさせ、近年はバーチャルシンガー・花譜のコンポーザーとして数々の楽曲提供や、自身の楽曲をもとした小説「あの夏が飽和する。」がデビュー作にして10万部を超えるヒットを出すなど、作家業を活動の主としていたカンザキ。6月にセルフボーカルによる新曲「不器用な男」を配信リリースし、7月には初のワンマンライブを開催、さらに15曲入りのフルアルバムをリリースするなど、シンガーソングライターとしての活動を本格化させている。彼をセルフボーカルに駆り立てた理由はなんなのか? 「不器用な男」という架空の主人公の一生を描いた作品をもとに、カンザキ本人の表現欲求の源泉やクリエイターとしての葛藤に迫る。

取材・文 / 倉嶌孝彦撮影 / 神藤剛

「白紙」の悔しさをバネに

──以前音楽ナタリーで実施させていただいたまふまふさんとの対談で、カンザキさんは「ボカロだからこそ込めたい気持ちを躊躇なく100%入れられる」とおっしゃっていたので、セルフボーカルのプロジェクトが発表されたときは驚きました(参照:「The VOCALOID Collection ~2021 Spring~」開催記念特集 カンザキイオリ×まふまふ対談)。

もちろんボカロは僕の原点ですし、ボカロだからこそ作れてきた曲もあるんですが、数年前くらいからボカロPの皆さんがセルフボーカルに挑戦する流れがあって、その盛り上がりを見て「自分でもやってみようかな」と思っていて。実を言うと、2019年4月に発表した1stアルバム「白紙」の制作時に、セルフボーカルでのレコーディングに挑戦していたんです。でも当時は自分のボーカルがものすごく下手なうえに、下手であることに気付けないくらい自分のボーカルを客観的にも見れていなかった。結局「白紙」はボカロのアルバムとしてリリースしたんですが、それが自分の中ですごく悔しくて。その悔しさをバネにずっと歌の練習をしてきた成果がこの「不器用な男」なんです。

──いろんなボーカリストに曲を提供してきたカンザキさんは、ご自身で歌うにあたってどんなボーカリストを理想としたのでしょうか?

“感情を込めた歌い方”にものすごく憧れがあって、うまいか下手かは置いといて自分の歌に感情を込めることだけは必ず成し遂げようと、ずっと考えていました。最近で言うと花譜ちゃんに曲をたくさん提供させていただいているので、僕の一番近いところにいるボーカリストが彼女なんです。だからこの2年間は花譜ちゃんのこともをリスペクトしながら歌を練習してきた感覚があります。

──ボカロに曲を歌わせることと、自分で歌うことに感覚の違いは感じましたか?

アルバムを作る前は「ボカロでも自分で歌ってもそんなに変わることはないだろう」と思っていたんですが、自分で歌うと曲に込めた本心が歌に出てしまう怖さはありました。ボカロだったら、何を歌わせてもある程度折り合いがついていたんです。僕はもともと人に何か物事を伝えるのが苦手な人間で、音楽なら自分の本心を躊躇なく表現できると思ってボカロを始めたんですが、自分で歌ってみたら自分自身が丸裸になってしまうような怖さを感じてしまい……。自分の本性をさらけ出したかったはずなのに、さらけ出しすぎるのは怖い。自分の中に矛盾を感じてしまい、悩んで挫折をした時期もありました。

──その挫折はどのように乗り越えたんですか?

何か大きなきっかけがあったわけではないですね。「白紙」のときにセルフボーカルができなかったことへの悔しさが何よりも大きくて、今回は絶対にあきらめないという気持ちで乗り越えられたんだと思います。

カンザキイオリ第一回公演「不器用な男」の様子。

ライブとアルバムで異なる結末

──アルバムタイトルと同じ「不器用な男」というライブが7月に開催されました。ライブのセットリストとアルバムの曲順はほぼ一緒なので、これは再現ライブとも言えるし、ライブをパッケージ化したものがアルバムとも言えると思います。ライブとアルバム、どちらの構想が先にあったんですか?(参照:カンザキイオリ、“不器用な男”の生涯をステージで表現した初ライブ

どちらが先ということはあまりなく、ほぼ一緒に生まれた感覚があります。もともと「ライブをいつかやりたい」という思いは以前からあって。それとは別でアルバム制作が進み始めたとき、僕は1人の男の物語をコンセプトにしたアルバムにして、その物語をライブで表現してみようと思いついたんです。スタッフさんに話してみたらこのアイデアが好評で、僕の構想をもとにライブ作りとアルバム作りが並行して進んでいきました。

──ライブの演出もかなり凝ったものでしたよね。花譜さんによる朗読が入ったり、ダンサーさんが踊りのみならず役を演じるような演出もあって。

「物語調のライブにしよう」とは考えていましたが、ここまでライブ演出を豪華にできたのは総合演出を担当してくれた杉山(弘樹)さんの力が大きいです。ダンサーさんに僕の描いた物語の主役を演じてもらうアイデアや、風船をたくさん置いたステージセットは杉山さんにいろいろ提案してもらったから形になったと思います。僕としても想像を超えた1日になりました。

──ライブのセトリとアルバムの収録曲はほぼ一緒ですが、結末にあたる部分だけがライブとアルバムで大きく違いますよね。ライブは「不器用な男」の演奏後、“死”を連想させるエンディングで幕を閉じますが、アルバムには「不器用な男」のあとに「春酔い」という、どちらかと言えば明るい曲調のインスト曲が収録されています。なぜライブとアルバムで物語の結末が異なるんですか?

ライブとアルバムの結末で大きく違うのが、語り手なんです。ライブの「不器用な男」では最後の朗読を僕が担当したんですが、これは主人公の男本人の語りであることを強調したいという狙いがある。それに対して、アルバムの最後の曲「春酔い」は主人公と恋をしていた女性視点の曲なんです。

カンザキイオリ第一回公演「不器用な男」の様子。

──アルバムの“スペシャルBOX盤”には小説が付属します。「不器用な男」の物語の全容は小説を読むことで明らかになる、ということでしょうか?

はい。ライブで読まれていた朗読をより深く掘り下げた小説がボックスに封入されています。小説は収録曲に連動した短編を書いたんですが、それらの短編を主人公の“ある男”が書いたものと定義しています。それらの小説を1つずつ曲にしていくことで、音楽で男の一生を描く、というのがこのアルバムの裏設定なんです。その中でも異色なのが「春酔い」というラストトラックで、この曲は女性視点で書いたものですし、この曲に連動している小説も女性の視点で書かれています。

──「不器用な男」は架空の小説家を主人公としたフィクションとして描かれている作品ではありますが、少なからずこの主人公の中にはカンザキさん自身も投影されていると感じました。

体裁としてはフィクションなんですが、自分の本性、自分の気持ちがものすごく入り込んでいる実感は確かにありますね。だからすごく恥ずかしい気もしてくるんです。特に「不器用な男」に出てくる「生み出したい」という言葉は、「あの夏が飽和する。」という小説を出したあとにふと自分の中に浮かんできたもので。お金のためとか、そういうことではなくて、なんの意味もなんの価値もなくていいから何かを生み出していたいと。そうした気持ちから歌詞を考えていたら涙が出てきてしまったんです。泣きながらアコギの弾き語りで曲を作っているとき、「ああ、これが僕の本心なんだな」と気付いた気がして。だから「不器用な男」の主人公は架空の人物であり、間違いなく自分自身の一部でもあると思います。

花譜が歌う「大人」とカンザキが歌う「大人」

──アルバムのテーマは「大人になること」ですが、カンザキさんの書く曲には予てから「大人」と「子供」の対比がよく出てきていました。例えば花譜さんへの提供曲にも「大人」というキーワードはよく登場しますが、花譜さんへの提供曲で書く「大人」とカンザキさん自身が歌う「大人」では意味合いが違うと感じました。

アルバムのタイトル通り、僕は不器用なタイプなので、花譜ちゃんへの提供曲と自分が歌う曲をそこまで区別して書いてはいないんです。単純に「魔法」(花譜が2020年11月にリリースしたアルバム作品)の曲を書いていたときは大人になることへの悩みを感じ始めた頃だったから、そのときの感情がそのまま出ている感覚があって。「魔法」を作り終えて自分のアルバムを作り始めたとき、その悩みを考え抜いた答えが少し出かけていたんですよね。だから花譜ちゃんのアルバムと僕のアルバムで「大人」というものの捉え方が少し変わっているんだと思います。

──カンザキさん自身は大人になることをどういうものだと捉えていますか?

その質問、アルバム制作中にマネージャーとごはんに行ったときにも聞かれたんですよ(笑)。そのときは「家の掃除をちゃんとする人」と答えたんですが、もうちょっと真面目に答えると、僕は大人と子供の境目がまったくわからないまま「不器用な男」という作品を作ってしまった感覚があるんです。自分の中で理想の“大人像”はあるんですよ。それは掃除ができて、筋肉ムキムキで、髪もさらさらな人間。でも結局このアルバムが完成しても理想の大人にはなれなかった。だから僕はまだ大人でないと思うこともあるし、客観的に見て大人だとしたら子供に戻りたいとも思ってしまう。

──実は以前、メールインタビューで花譜さんにも同じような質問をしてみたんですよ。花譜さんにも理想の大人像というものがあって、「早く大人になりたい」と答えていました(参照:花譜「魔法」インタビュー)。

そうなんだ。花譜ちゃんは大人になりたいと思っているのか。

──でもカンザキさんも花譜さんぐらいの年齢のときは「早く大人になりたい」と思っていたんじゃないですか?

思っていました。大人になりたいというより、もしかしたらずっと「変わりたい」と思っているのかもしれないですね。自分じゃない自分になりたいというか。大人になってから「子供に戻りたい」と思うのも、結局は変わりたいだけなのかもしれない。だから僕は子供に戻りたかったり、しっかりした大人になりたかったりするのかな。