The VOCALOID Collection ~2021 Spring~ | カンザキイオリ×まふまふ 二次創作を通じてリスペクトを寄せ合う クリエイター同士の関係

ボーカロイドにまつわるさまざまな企画が繰り広げられるイベント「The VOCALOID Collection ~2021 Spring~」の開催を記念して、音楽ナタリーではイベントに賛同するクリエイターにスポットを当てた特集を複数回にわたって展開中。最終回となる第3回は、「命に嫌われている。」「あの夏が飽和する。」といった楽曲を手がけるボカロP・カンザキイオリと、“歌ってみた”の投稿をきっかけに自身のアーティスト活動をスタートさせたまふまふの対談を掲載する。ボカロを用いた楽曲制作者と、その二次創作を行う歌い手が互いにリスペクトを寄せる関係性を紐解きながら、2人が活動の軸とし続けるインターネット上での音楽シーンの魅力について語り合ってもらった。

取材・文 / 倉嶌孝彦

借りた曲が人生を変える1曲に

──Twitter上でのやり取りなどで交流はあるようですが、お二人が対談をするのは今日が初めてと伺いました。

カンザキイオリ 初めてです。だからすごく緊張してます。

まふまふ 僕も緊張してます。よろしくお願いします。

──まふまふさんが2018年1月に「命に嫌われている。」の“歌ってみた”を投稿したのが、2人の作品をつないだ最初の出来事ですよね。まふまふさんがこの曲を歌った当時のことを教えていただけますか?

まふまふ 「命に嫌われている。」を歌わせていただいたとき、僕はインフルエンザにかかっていました。それで少し心が弱っていて……。もともと「命に嫌われている。」は存じていたのですが、自分が弱っているときに聴いてみたら、すごく心に刺さる歌詞であることに改めて気付いたんです。

カンザキ そうだったんですね。

まふまふ 世の中に明るい曲はたくさんあると思うのですが、あえて暗い曲を書いたり、ネガティブな思いを吐露するような曲を書かれる作家さんはとても少ないと感じています。カンザキさんの曲を聴いたとき、そういった作風が心に響きましたし、ものすごい才能だと思いました。

カンザキ 当時、僕の曲はそこまで人に知られていなくて、まさか学生の頃から知っているまふまふさんに歌ってもらえることになるなんて思ってもいなくて、すごくビックリしたんです。なんて夢のようなんだ!って。確かまふまふさんが「命に嫌われている。」を投稿した翌日に、友人と遊びに行く予定があって、そのときに友達にその喜びを伝えまくったのを覚えています。感動しました。うれしかったです。

まふまふ うれしい……すごくうれしいです。歌い手って、言ってしまえば勝手に人様の曲を歌っているだけだと思うのです。だから「原曲を作っている方はどう思っているんだろう」というのは常々気になっていました。「勝手にお借りして申し訳ない」みたいな気持ちは常に持っていたので、そう言ってもらえてホッとしました。

カンザキ ボカロPとしてではなく普通に1人の人間として、自分の作った作品を知ってもらってそれを歌ってもらえるというのは、本当にうれしいことなんです。どっちのほうが聴かれているとか、どっちのほうがいいとかは全然関係なくて、ボカロは人間じゃないからいろんな解釈ができるものだと思っているし、人間が歌うことでそこに新しい曲の世界観が生まれることもあるはずなので。カバーしてもらうことは、僕にとっては音楽をやる意味にもつながるぐらい、すごくうれしいことでしかないです。

まふまふ ゼロから何かを生み出すこと……、詞や曲を書くこと、楽器を演奏すること、すべてがものすごく大変なことだと思います。自分をはじめとした歌い手は「楽曲を貸していただいているんだ」というところだけを担うわけで、僕らは「楽曲を貸していただいているんだ」という気持ちを絶対に忘れてはならないと思っています。本家様ありきの二次創作ですから。

カンザキ 逆に僕のほうも歌い手の皆さんをリスペクトしています。ボカロ曲を書いているのは、自分で歌うのが苦手だからという理由もあるんです。歌詞で書かれている感情を読み取ってそれを歌で表現する、この誰でもできるわけではない表現を生業にしている歌い手さんのほうがすごいと思っています。ありがとうございます。

──「命に嫌われている。」はまふまふさんの“歌ってみた”動画の中でも代表作と言われるほどの再生数を誇っています。この曲のカバーが多数の支持を集める手応えは、発表当時から感じていましたか?

まふまふ 実を言うと“歌ってみた”を投稿した当初はここまで反響があるとは思っていなかったんです。レコーディングをしたときはインフルエンザがようやく治ったくらいのタイミングで、体もまだダルくて、声の調子もそこまでよくないのに「ただこの曲を歌いたい」という気持ちだけで歌った感覚があります。なので、歌ってみたを投稿したあと、元気になってから動画の再生数を見てものすごく驚きました。「『命に嫌われている。』からまふまふさんのことを知りました」というリスナーの方も多くて、とんでもないものをお借りしてしまったなという気持ちでいっぱいで、カンザキさんには本当に頭が上がらないです。1人でいるときに練習がてらよく家で歌を歌うのですが、昨日も一昨日も「命に嫌われている。」を歌いました。お借りした曲なのですが、自分の人生を変えてくれた大切な楽曲になっています。

カンザキ ありがとうございます。まさか自分が作った曲が、誰かの人生に影響を及ぼすとは思ってなかったので、すごくうれしいです。

キーを変えないというリスペクト

──先ほどカバーをする際のリスペクトという話がありましたが、まふまふさんがボカロ曲をカバーする際に特に意識していることはなんですか?

まふまふ 人によっていろいろなリスペクトの方向があるので、あくまでこれは僕の場合として受け止めてほしいんですけど、極力キーを変えないように意識しています。

カンザキ それはどうしてですか?

まふまふ そのキーで作られたことに意味があると思うからです。例えば、この曲はハ長調だからいいんだとか、フラットがいっぱい付いているからいいんだとか、このポジションで開放弦を使わないとこの音は出ないからキーを変えないほうがいいんだ、など。なので、とてもキーの高い曲を歌うとき、自分自身がそちらに合わせにいくから無理のある声になっちゃうことがあるんです(笑)。人によってはキーを変えて無理のない歌い方をすることがリスペクトだと考える方もいらっしゃると思いますし、僕の考え方がすべてではないと思いますが。

カンザキ まふまふさんがキーを変えない理由はリスペクトの思いからきていたんですね。僕は自分でアコギを弾いて曲を作ることもあるので、そのときのコード感、曲の空気感をそのまま表現してくれているような感覚がありました。

まふまふ アコギで曲を作っているんですね。

カンザキ 曲を作り始めるとき、メロディを1回整理するときにアコギかピアノを弾きながら鼻歌を乗せるようにしています。そのときに、「こういう歌詞を乗せるならこのキーだよな」と思いながら曲作りを進めているんですが、思いもよらないところで曲の意図を汲み取ってもらえていると思うとすごくうれしいですね。