嘉門タツオのアルバム「至福の楽園~歌と笑いのパラダイス~」が3月19日にリリースされた。
6年8カ月ぶりのアルバムとなる本作には、「ハンバーガーショップ」「鼻から牛乳」「小市民」といった代表曲の新録版など全16曲を収録。1983年のレコードデビューから40年以上にわたり替え唄およびコミックソング界を牽引してきた嘉門タツオの魅力を存分に味わうことができる。ナタリー初登場となる今回のインタビューでは、新作の話題を中心に、「嘉門」の名付け親である桑田佳祐との出会いや、万博への思い、替え唄と時代との関係性など、さまざまなトピックについて語ってもらった。
取材・文 / 秦野邦彦撮影 / 吉場正和
「嘉門」の名付け親は桑田佳祐
──本日はおろしたてのギターをお持ちいただき、ありがとうございます。さすが真新しいK.Yairiのギター、輝きが違いますね。
先週できてきたばかりで、「なごり寿司(さびマシマシ)~なごり雪~」のミュージックビデオの撮影で初めて使いました。最初はテイラー・スウィフトが使ってるギターぐらいラメラメにしようかなと思っていたんですけど、十分輝いてますよね(笑)。新しいギターはデビュー30周年に大阪の万博記念公園でやった「真夏のカモン!EXPO! 歌と笑いと食のワンダーランド」のときに作って以来、12年ぶりになります。
──今作は6年8カ月ぶり、メジャーレーベルからのリリースとしては28年ぶりのオリジナルアルバムということで並々ならぬ気合いを感じます。
今回、偶然にもサザンオールスターズのニューアルバム「THANK YOU SO MUCH」と同じ日に僕のアルバムが発売されるんです。サザンは16枚目ですけど、こっちは34枚目ですから倍以上。桑田佳祐さんのソロを入れたら、枚数的にはいい勝負かな? 売上では大幅に負けてますけど(笑)。桑田さんとはご縁もあるので、最近サザンの曲を聴き直しているところです。サザンがすごいなと思うのは、「勝手にシンドバッド」にしても「いとしのエリー」にしても、50年近く前にレコーディングした音源が今聴いても成立するものとして若いリスナーにも継承されていることなんですよね。僕らが子供の頃、懐メロ番組で戦後のヒット曲を聴いたときはえらく古臭く感じたもんですけど。じゃあ、自分の楽曲はどうだろうと。今回のアルバムに1989年に発表した「ハンバーガーショップ」のニューバージョンを入れてますけど、はたして昔の「ハンバーガーショップ」を聴いて面白いと思う人が今いるかどうか。そこは強く意識しながら音源を作ってきたつもりです。
──サザンオールスターズといえば、嘉門タツオさんの“嘉門”が桑田さん命名であることはファンの間でよく知られた話です。
1981年に桑田さんが、「嘉門雄三」という架空のアーティストを名乗って、「嘉門雄三&VICTOR WHEELS LIVE!」という海外曲のカバーコンサートを東京と大阪で開催したことがあって。大阪では梅田のバラードというライブハウスでやったんですけど、そこで僕が前座をやらせてもらったんです。当時は本名の鳥飼達夫でやってたんですけど、打ち上げの席で「鳥飼って物書きみたいでカタいね」と桑田さんがおっしゃったので、じゃあ名前を付けてくださいとお願いしたら「カメリア・ダイヤモンドはどう?」「それは嫌です」みたいなやりとりがあって(笑)。それから3カ月ぐらいの間、桑田さんがいろいろ考えてくれたんです。ほとんど忘れましたけど、覚えているのは「十返舎一九の舎に井戸の井で、舎井(シャイ)ってどうかな?」「シャイはちょっと……」。いちいちこっちも断って(笑)。最終的に「嘉門雄三」はもう使わないからあげるよと言われて、全部いただくのも申し訳ないので「嘉門」だけいただくことになりました。後日、桑田さんはインタビューで「名前をやった覚えはない、あいつが勝手に使ってます!」と話されてましたけど(笑)。
──2017年には嘉門達夫から嘉門タツオに改名されました。
亡くなった僕の奥さんが「タツオ」のほうが絶対いいからって。僕はどっちでもよかったんですけど、彼女の意思を尊重しました。20年くらい前、「ズバリ言うわよ!」というテレビ番組に出たときに、細木数子さんに「嘉門」を「加門」にしたらあなた成功するって言われて。まあ、その時点で、そこそこ成功してたんですけどね(笑)。「嘉門」は桑田さんからいただいたものだから変えられませんと。
替え唄もラップも結局は韻
──嘉門さんの音楽的ルーツについても話を聞かせてください。最初はラジオの深夜番組で歌と笑いに興味を持たれたそうですね。
原点はラジオ番組「MBSヤングタウン」です。それから「赤とんぼの唄」「魚屋のおっさんの唄」で大人気だった、あのねのね。僕が普段「替え歌」ではなく「替え唄」という表記を使うのは、あのねのねの影響が大きいです。「ヤングタウン」から派生してテレビ番組になった「ヤングおー!おー!」も夢中で観てました。僕が思春期の頃、シンガーソングライターがいっぱい出てきたんです。古くはザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」、ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」。高石ともやさんの「受験生ブルース」なんて、プロテストソングとして社会に対する問題提起がありましたよね。吉田拓郎さん、井上陽水さん、かぐや姫とか皆さんアコースティックギターを弾いて歌いだした。自分の思いをギターで伝えることが、すごく魅力的だと思ったんです。
──そこから自分でもギターを手にして作詞作曲を始められて。
中学3年生のときにオリジナル曲を作り始めて、中高時代で60曲。当時録ったカセットはすべてMP3にデータ化済みです。ゆくゆくは嘉門タツオ記念館を作って死んでいくのが僕の理想なんです。それこそ今やってる大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の蔦重(つたじゅう / 蔦屋重三郎)やないですけど、実績と人間的魅力──死んだあともどんな人やったんやろうって興味を持ってもらえることが、ここ数年の大きなテーマです。
──嘉門さんの言葉に対するアプローチで興味深いのは、1990年にリリースしたサザンオールスターズの替え唄カバーシングル「勝手にシンドバッド」が、ニューヨークのヒップホップグループThe Fat Boys「Wipeout feat. The Beach Boys」からのインスパイアだったというエピソードです。
結局、ラップも替え唄も韻ですから。去年、大阪の万博記念公園にある国立民族学博物館に「吟遊詩人の世界」という展示を見に行ったんですけど、世界各地には古くから韻を踏む文化が存在していて、ちょっと神がかってました。僕は無意識のうちにやってますけど、「なごり雪」と「なごり寿司」も韻を踏んでいるから、言葉を入れ替えても聴いた人の頭にスッと入って新たなメッセージが生まれていくんでしょうね。
──28年ぶりにアルバムがメジャーレーベルから発売されることになった背景について教えてください。
今回キングレコードからリリースすることになったのは、1年前にビクター時代のプロデューサーさんが僕のライブを観に来てくれて、そのとき歌った「鼻から牛乳」を面白がってくださったことが始まりです。ビクター時代は一番ハードだった時期です。1994年なんて毎月CDを出してましたから(笑)。そのプロデューサーはビクターで制作本部長を務めたあと、独立されて現在も精力的に活動されていて。お互い離れていた間もずっと表現を続けてるのは面白いなと思いました。
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「至福の楽園~歌と笑いのパラダイス~」全曲解説