今のJが鳴らす全力の音
──先述の通り、ニューアルバム「BLAZING NOTES」は前作「LIGHTNING」から約3年3カ月の期間を空けてのフルレングス作となりました。その間にはLUNA SEAでの活動などいろいろありましたが、ソロとしてこのインターバルは長いものだったと言えますか? それとも気が付いたら時間が過ぎていたという感じ?
どちらかと言うと後者ですね。LUNA SEAとして35周年という節目のツアーで過去のアルバムをセルフカバーして、自分たちのやってきたことをじっくり見つめる時間になったり。その3年3カ月の間には仲間たちや先輩など……いろいろな方との悲しい別れもあったり。そういった1つひとつのことが自分にとって「音楽とは? お前が鳴らさなきゃいけないものってなんだよ?」という問いになり、それをよりリアルに突き付けてくれた時間だったと思います。
──改めて自分を見つめ直す時間にもなったわけですね。そこで見えたものとは?
はい。新曲作りを通して、「よりJってヤツの本質に迫った音を作っていきたいよね」「四の五の言ってんじゃなくて、今お前が鳴らせる音を全力で鳴らすべきだよ」という答えが見えてきて。僕はとてもいい時代を過ごしてきた、ある意味で最後の世代だと思うんです。1980年代、1990年代、2000年代、2010年代で音楽も含めいろいろなシーンの変化があって、アナログからデジタルの変化なんかも見て、体験して、知ってきたわけです。
──まさに、さまざまな側面で大きく変わった時代だと思います。
そういったヤツが作り出せる音を、今だからこそ鳴らさなきゃいけないんじゃないかなって、余計思ったんですよ。例えば、若作りして流行りの音楽をやったり、逆に大人ぶってレイドバックしてみたりとか、決してそういうものじゃなく。自分たちがこの目で見てきた時代感、感じてきた空気……まさにこの体の中に流れているものをカッコよく鳴らしたいという思いがすごく強かった。
──その中には、「歌いたい」という熱もあるものですか?
僕にとって歌うことは、ソロ活動における必要な表現のひとつで。だから、歌いたい欲求は、演奏することの延長線上にあるものなんです。「ベースを弾きたい」「曲を書きたい」と並列で自分の中に存在している感覚ですね。
──その3要素は、ソロ活動において一体になっているわけですね。そんな本作の楽曲は、どういったプロセスで制作されていったのでしょうか?
いつもアルバム作りに入るときは、明確な答えを求めるというよりは、「今の俺ってどんな感じ?」という自問自答から始めるんです。もちろんボツになる曲もたくさんありますけど、自分との対話のような感覚で曲作りを始め、次第に楽曲そのものにフォーカスしていくんです。その過程で、去年の初めにアルバムタイトルのアイデアがぽんと浮かびました。
──その時点で「BLAZING NOTES」というタイトルだったんですか?
いや、実は最初は「BLAZING DIARY」というタイトルにしようと思っていたんです。これは「自分自身が今まで歩んできた時間の中で、自分自身が作り上げてきた音、感じてきた音、すべてをそこに刻み込みたい」、つまり「俺自身の記録」という意味で。記録にするならものすごく強烈な日記を書きたいという思いだったんです。そのタイトルが浮かんだときに、アルバム作りが本格的にスタートしました。
──そして、そのイメージに合わせて曲が次々に作られていった?
そうですね。それでいろいろ曲を書いていくうちに“NOTES”という言葉が浮かんで。手紙という意味もあるし、音という意味もある。むしろこの言葉のほうがふさわしいなと思い、途中から「BLAZING NOTES」にタイトルを変えたんです。
──そういう変遷があったんですね。ジャケットアートワークから“燃え盛る言葉”という意図を感じていましたが、“燃え盛る音”でもあったという。
そう。願わくば、誰かを焚き付けられるような音……そんなサウンドでアルバムを埋め尽くしたいという思いがありました。
LUNA SEAとソロのコントラストを楽しんでいる
──実作業としては、LUNA SEAのツアーとかぶる時期も多かったと思いますが、その両立はもはや慣れたものですか?
そうですね。自分にとってベースを弾くことやバンドで演奏すること、ライブをすることは、例えば食事を摂ったり眠ったりするようなことの延長線にあるというか、もはや生活の一部なんです。音楽に触れる頻度が多くなることは喜びでしかないし、そこで得られるエネルギーは日常生活において何よりもものすごいインパクトのある、刺激的なものなんです。
──ソロとバンドにおける違いはありますか?
LUNA SEAとソロがどう違うのかって、実はものすごく簡単な話で、僕はLUNA SEAではあくまでバンドのベーシストなんですよね。LUNA SEAでは僕のエネルギーがほかのメンバーにぶつかってLUNA SEAサウンドになり、ソロでは僕のエネルギーがそのままJサウンドになる。だからバンドとソロの活動が並行しているときは、そのコントラストを楽しんでいる自分がいたり。
──それぞれが刺激を与え合っているんですね。演奏面として、LUNA SEAは縦のビートが強い音楽的特徴があって、ソロとなると横のグルーヴが強く出てきます。ベースはそのノリに大きく関与しますが、意識的に使い分けているんですか?
自分ではベースの役割をものすごく楽しんでいて。ドラムに対してベースの音をどこに置くか考えるのは、ベーシストの醍醐味だと思います。譜面の上では音符は数学的に分けられますけど、バンドって違うじゃないですか。ちょっとズレていたり、ちょっと走っていたり……そういったものの連続なんですよね。それが人を興奮させる音やスリルに変わったり。LUNA SEAでは真矢くんがドラムを叩いていて、ソロではMASUO(有松益男)くんが叩いていて、それぞれのグルーヴ感があるわけです。それをベーシストとしてどう料理するかという楽しさがあって、それぞれのバンドをどうグルーヴさせていくかはいつも考えていますね。
──まさにベーシストの手腕次第と言えますね!
LUNA SEAの曲も今までのグルーヴだけじゃなくなってきている感じがすごくするんですね。50代になったみんなが出せるようになった“揺らぎ”や”色っぽさ”みたいなものをライブでは再現できているんです。メンバーそれぞれの個性を注入していった結果、今はそうなっている。
──Jさんからも注入されている。
そうですね。どこにベースの音を置くかによってスピード感が変わってきますから。つい先日、「ベース・マガジン」のベーシスト100選「#最も偉大なベーシスト2025」で1位に選出してもらったり、本当に背筋が伸びる思いでしかないんですけど、この僕のスタイルがみんなに評価してもらえているのであれば、もっともっとグルーヴさせていきたいですね!
バンドメンバーと生み出すグルーヴ
──言葉の通りグルーヴしまくる10曲が詰め込まれた「BLAZING NOTES」ですが、アルバム曲のほとんどがJさん作曲の中、リード曲「TIME BOMB」のみmasasucksさん作曲です。リードチューンに関しても、必ずしも自身が作曲する必要はない?
彼とはソロでずっと一緒にやってきていて、長い付き合いなんです。そんな彼が「Jがこのバンドでこれから鳴らしていくべき音」をギュウギュウに詰め込んでくれた曲だと感じたので、リード曲にふさわしいと思いました。気持ちが通じ合っているメンバーが生み出してくるものに対して、僕自身もその最高のグルーヴの中で泳がせてもらうという、そんな気持ちでいます。
──ベースもまさにJさんらしいサウンドで、素のプレシジョンベースらしいシンプルで力強い音が存在感を放っています。
本当に素材そのままというか、こねくり回さない。冒頭でも話したように、若造りせず、変に大人ぶったりもせず、自分たちがいいと思えるものをそこに置いて突き進んでいく……その潔さみたいなものが僕たちのロック感だし、そういった無垢な気持ちは聴いてくれるみんなに届くと、今も昔も変わらず信じています。
──そしてその音に触発され、ご自身による“NOTES=言葉”を付けていくと。
そうですね。いろいろ伝えたいことは頭にあるんですが、いつからか言葉だけ先行するのがすごく嫌になっちゃって。自分たちが作っているのは音楽で、音と言葉というのは密接につながっていてほしい。言いたいことはいっぱいあるけど、説明になっちゃイヤじゃない?(笑) ノリが悪くなるのも嫌でしょ。だったら本当にスッと耳に入ってくる言葉で埋め尽くしたいと思って。
──Jさんの歌詞はわかりやすい言葉で書かれていますし、日本語で歌われることで、直接的に響いてくる感じがします。
僕にとってそれがまったく普通のことで、音と一緒に突き進んでいくような響きの言葉をいつも選んでます。それと、別に意地とかじゃなくて、日本語でもカッコいいものを作れると思っている。とはいえ文学的になるわけでもなく、言葉でっかちにならないように、不自然にならない言葉を選ぶようにはしています。
──ましてや洋楽っぽくするわけでもなく。
1997年にLAの仲間と「PYROMANIA」というソロアルバムを作って、彼らのフィーリングを感じたとき、「じゃあ、俺はいったい日本人として何ができるんだろう?」と思ったこともあるんです。当時、日本における邦楽と洋楽って文化も違えばチャートも全然違った。ものすごく分断されたものだったから、邦楽シーンにいた自分にとって、海外の音楽制作の現場すべてが見たことのない世界だったの。でも実はすごくシンプルな答えがそこにはあって。そもそもロックってなんだろう?と思ったときに、そこにいる人間たちがロックだった……それだけだった。プレイヤーだけじゃなくて、エンジニアもそうだし、音楽に携わる人間たちすべてがロックしてた。日本人の自分が海外のロックに対して答えを探していたのかもしれない。「じゃあ、日本にロックはあるんだろうか?」と思ったけど……「ある」という結論に辿り着けた。日本で生まれ育って、邦楽も洋楽も聴いてきた俺たちなりのロックもあるよねって。特にベースフレーズは英語も日本語も関係ないですから、シーンを問わず戦えるものだと思います。
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