細野晴臣「HOCHONO HOUSE」特集|小山田圭吾&安部勇磨(never young beach)インタビュー 遺伝子を継ぐ2人のミュージシャンが語る細野晴臣とは?

先日、細野晴臣が最新アルバム「HOCHONO HOUSE」をリリースした際、2人のミュージシャンの存在が同作の制作に影響をおよぼしたと発言していた(参照:細野晴臣「HOCHONO HOUSE」インタビュー)。その2人とは細野と共演経験のある小山田圭吾と、細野を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)だ。

「HOCHONO HOUSE」は、ソロ1stアルバム「HOSONO HOUSE」をセルフリメイクした打ち込みを中心とした作品。細野が最先端の機材をたった1人で繰り、完成させた意欲作に仕上がっている。その「HOCHONO HOUSE」を小山田と安部はどのように聴いたのか。細野にまつわるエピソードを交えながら語ってもらった。

取材 / 臼杵成晃(P1)、望月哲(P2) 構成 / 中野明子

小山田圭吾が語る細野晴臣と「HOCHONO HOUSE」

小山田圭吾

「HOCHONO HOUSE」が
打ち込みになった理由とは

細野さんが「打ち込みで『HOSONO HOUSE』を作り直す」と僕に話していたことはなんとなく覚えてるんですけど、音源を送ってもらったときにふと思い出したのが「Mellow Waves」(2017年に発売されたCorneliusのアルバム)のリリースの際に細野さんにリミックスを頼んだことだったんです。そのときは「夢の中で」という曲をリミックスしてもらったんですが、「すごくひさしぶりに打ち込みの機材を出して作ったよ」と言っていて。それまでしばらく細野さんは“生”で作ることにこだわっていたけど、僕がリミックスを頼んだことで機材を引っ張り出したみたい。それが「HOCHONO HOUSE」が打ち込みになった要因なのかもと思ってます。もし、僕の作品のリミックスをして、ちょっと新鮮に感じたことがきっかけだったらうれしいですね。

「HOCHONO HOUSE」は、「HOSONO HOUSE」から現代までの間に細野さんが作ってきた音楽の変遷が凝縮されて入ってる感じがしますね。同時に1stアルバムを今再構築してもなんの違和感がないという。当時からまったくブレてないのはホントにすごいなと。ソフトのアップデートも音像に表れてますが、今回はけっこう最近のR&Bっぽい感じがしました。「HOSONO HOUSE」の時代には、今のR&Bのようなキックがボンッと鳴ってるような音はなかっただろうし。細野さんもブラックミュージックはもちろん聴いていたでしょうけど、打ち込みでR&Bっぽい音は今まであまりやってなかったんじゃないかな。

SKETCH SHOW(細野晴臣と高橋幸宏によるエレクトロニカユニット)の曲で「Turn Turn」という楽曲があるんですけど、螺旋状に進んでいくみたいなことを歌った曲なんですね。当時、細野さんは「自分の人生とか運命とかも螺旋状に進んでいって、ある地点で最初の地点と近いところに戻るんだけど、どこかズレてるんだ」と言っていて。「HOCHONO HOUSE」は細野さんにとって、そういうアルバムなのかなと思いました。細野さんの作品は毎回コンセプトがはっきりあって、それが作品全体で一貫してるんですよね。そこがほかのアーティストと違うんです。それに憧れますし、ファンですね。音楽性はホントに多岐にわたっているし、深くて広いなあと。

どのジャンルでも掘ればぶち当たる細野さん

細野さんとはちょいちょい会う機会があって話すんですけど、そのたびに「もう集中力がないんだよ」とかボヤくんです。でも、あの歳で新しい機材を全部そろえて、1人で打ち込みで作品を作る集中力があるのは相当なことで。世界的に見ても細野さんのようなミュージシャンがいないことに、世代を超えていろんな人が改めて気付き始めていると思います。例えば海外で過去の作品が再発されたり、Vampire Weekendが細野さんの楽曲をサンプリングしたり。あと今まさにウチの息子が細野さんブーム、YMOブームで。うちの本棚から細野さんの本を全部持っていって読んでるんです。息子のような若い世代は「HOSONO HOUSE」も聴いているんでしょうけど、それ以外にアンビエント期の作品や映画のサントラとか、アシッドハウスやテクノとか、ちょっとニューエイジ系とか、サブスクなんかを通して細野さんの音楽にも触れる機会がある。エキゾチック系の少しアシッドフォークが入ったような作品もあるから、そこから細野さんの音楽を知る人もいるだろうし。

細野さんはホントに“最初の人”なんですよ。よく「先輩はムッシュとミッキー・カーチスさんだけだ」と言ってますけど、細野さんはずっと前例がないことをやり続けている。細野さんの世代のミュージシャンで、最初Buffalo Springfieldみたいなバンドからキャリアが始まって、ソロでジェームス・テイラーみたいになったと思ったら、マーティン・デニーみたいなエキゾチカに傾倒して、今度はテクノやアンビエント音楽を作り出して……こんなに多岐にわたる変遷を経てきたミュージシャンはなかなかいないんです。しかも、それぞれのジャンルで高く評価される素晴らしい作品を残してる。そのことにみんなびっくりしてる状態なんじゃないかな。どのジャンルでも掘っていけば、絶対細野さんが作ってきた音楽にぶち当たる。そして、細野さんの音楽はどれも根底に “ポップス”があると思います。アンビエントをやっても、歌謡曲をやっても、ポップスが根っこにある。それは細野さんの原体験がポピュラーミュージックだからでしょうね。

細野さんのキャリアの中で一番好きなアルバムですか? 1枚だけ選ぶのは難しいけど、アンビエント期の「omni Sight Seeing」(1989年7月発売)がけっこう好きです。あの作品はいろいろな音楽をやってきたから作れたアルバムだということを考えると、またいいんですよね。

出番前に何かが起きる細野現場

謎だらけなんですよね、細野さんは。特に私生活が一番謎(笑)。とにかくよく引っ越しをしてるイメージ。2、3年に1回は引っ越してる。あとはよく車をぶつけてる気がする(笑)。本人は「もうダメだ、もうダメだ」とか言ってるけど、よくライブしてるし、音楽も作っているし、めちゃくちゃ元気なんです。

一緒にいて驚かされることもたくさんあって。去年、細野さんがロンドンでライブやったときに打ち上げで年齢の話になったんです。そのときに僕が50歳になる話をしたんですけど、しばらくしてから細野さんが「小山田くんって還暦なの?」と聞いてきて(笑)。僕が還暦だと思われていたことに驚きました。あと細野さんはライブや収録の“入り”のときに事件が起きることが多いんです。YMOの公開収録(2011年11月放送の「YELLOW MAGIC ORCHESTRA LIVE at NHK」)のときにステージに出る直前でガタン!って音がして、見たら暗い中で細野さんが転んでて。けっこうつらそうな表情なんだけど、本番だから出ないわけにいかなくて、そのままライブをやったんだけど、終わって病院に行ったら肋骨が折れてたって(笑)。あとは坂本(龍一)さんの番組に、細野さんや(高橋)幸宏さんと一緒に僕が呼ばれて、坂本さんの曲に参加する機会があったんです。坂本さんが収録でしゃべってるのをモニタで見てるときに、「そう言えば、来週YMOでライブやるんだけど、小山田くん予定空いてる?」といきなり言われて、「え? 来週ですか? それ今言います?」って。細野さんと一緒にいるときは本番前に何かが起きるんですよ(笑)。

細野さんには元気で長生きしてほしいですね。今年は音楽活動50周年で忙しいと思うんですけど、個人的には細野さん仕切りでYMOの新しい音楽を作ってほしいです。アルバムとかは大変でしょうから、1曲だけも。

小山田圭吾(オヤマダケイゴ)
1969年東京都生まれ。'89年、フリッパーズギターのメンバーとしてデビュー。バンド解散後 '93年、Cornelius(コーネリアス)として活動開始。現在まで6枚のオリジナルアルバムをリリース。 自身の活動以外にも、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやREMIX。プロデュースなど 幅広く活動中。