堀内まり菜「さくら色のメロディー」インタビュー|枯れないさくらの木、消えない絆

堀内まり菜が配信シングル「さくら色のメロディー」をリリースした。

「さくら色のメロディー」は、堀内が2014年3月に卒業した成長期限定ユニット・さくら学院への思いをつづった楽曲。さくら学院は2021年8月末に11年4カ月の歴史に幕を閉じたが、「さくら学院についての楽曲を書きたい」という思いをずっと胸に抱いていた堀内は、それをきっかけにこの楽曲を完成させた。インタビューでは、堀内のさくら学院愛の詰まった「さくら色のメロディー」の制作秘話はもちろん、さくら学院の閉校を知ったときの思い、今後の展望などを聞いた。

取材・文 / 清本千尋撮影 / 大庭元

もっと自由でいいんだと気付いた

──3月にアルバム「ナノ・ストーリー」でデビューしてから約半年が経ちましたね(参照:堀内まり菜「ナノ・ストーリー」インタビュー)。ソロでのオンラインライブやコーラスユニット・ヒーラーガールズの活動など、忙しそうに過ごされているのを拝見していました。

デビュー後はありがたいことにいろいろ活動させていただく場があったので、忙しく過ごしていました。自分自身と向き合って「ナノ・ストーリー」を作ったあとだったので、吹っ切れた状態で仕事に打ち込めた気がします。「ナノ・ハナ」(「ナノ・ストーリー」収録曲)という曲の歌詞にもあるんですけど、最初は自分がやりたいことに対して「本当に自分ができるのかな?」と自信がなかったんです。でもアルバムを1枚完成させてようやく、私の人生に胸を張って歩けるようになって。

堀内まり菜

堀内まり菜

堀内まり菜

堀内まり菜

──「ナノ・ストーリー」はそれくらい堀内まり菜史において大きなものになったんですね。

そうですね。自分と向き合ったことで、自分自身を客観視できるようになったんですよ。「ナノ・ストーリー」のときは、共同制作した新津由衣さんに言葉を引き出してもらいながら歌詞を書いたんですけど、今は自分が思っていることに一番近い言葉を選び取れるようになりました。あと「ナノ・ストーリー」の制作で自分と向き合ったうえで、舞台「五感」と「突撃!第九八独立普通科連隊」に出演したことも大きくて。役と向き合うことで、人間の多面性を理解できるようになって、今までずっと自分の中にあった「こうあるべき」みたいな固定観念が取り払われたというか。自分に対してももっと自由でいいんだと思えたんですよね。

──凝り固まっていた堀内まり菜像を壊せるようになったというか。

まさにそうです。前よりも自分が開放的になって、スタッフさんにも思っていることを素直に話せるようになりました。チームにすごくポジティブなムードがあるんですよ。それに引っ張られて自分もどんどん変わっていった感じがします。自分が変わったら曲作りももっと楽しくなって、いろんな歌手の方にお話を聞いたり、今までは聴いてこなかったような音楽を聴いたりするようになりました。

──例えばどなたの曲を?

最近は竹内まりやさんの曲をよく聴いています。まりやさんの楽曲を聴くと、自分に優しくなれる感じがするんです。音大の授業で「過去の音楽を聴いたほうがいい」とよく言われていたので、昔の曲をいろいろ聴いていく中で出会って。

──そういえばさくら学院時代にも、自分が生まれる前の楽曲を調べてプレゼンをしてからアカペラで歌う「歌の考古学」というイベントがありましたね(参照:さくら学院、2013年度集大成は「みんなと1つになれる歌」)。

確かに! リアル歌の考古学ですね(笑)。

堀内まり菜

堀内まり菜

心の中で終わらせなければいい

──今回リリースした「さくら色のメロディー」は、さくら学院への思いを歌った楽曲ですね。さくら学院は2021年8月末をもって“閉校”となりましたが、堀内さんはその報せをいつ頃知ったんでしょう?

皆さんに発表されるほんの少し前でした。「2021年の8月いっぱいで幕を閉じます」と連絡がきて。まさかさくら学院が終わるなんて思いもしなかったので、ショックすぎて時が止まっちゃう感じがしました。あとから悲しい気持ちも湧いてきましたが、最初はとにかくショックが大きかったです。

──その報せを受けて、最初に誰に話しましたか?

たぐぴ(2014年度卒業生の田口華)に「見た?」と連絡を入れたのが最初だったと思います。はじめはショックが大きかったけれど、改めて振り返って「開校から11年4カ月も続いたのはすごいな」と思うようになったんです。私の人生の半分近くの時間、職員室の先生(スタッフ)が見守ってくれて、父兄(さくら学院ファンの呼称)の皆さんもずっと応援してくれたという事実がすごいことだと。

堀内まり菜

堀内まり菜

──そうですよね。

でもやっぱりなかなか受け入れられなくて、ノートに自分の思いをたくさん書きました。そんなとき、2016年度卒業生の黒澤美澪奈ちゃんと舞台「突撃!第九八独立普通科連隊」で一緒になったんですよ。美澪奈ちゃんが役作りで悩んでいたのでアドバイスをしたり、私が稽古に参加できなかったときにサポートしてもらったりして、卒業してからもお仕事で一緒になって支え合える関係っていいなと思ったんです。そのときに「絆でつながっていたらこんなにも助け合えるんだ」と気付いたんですよね。みんなそれぞれ違う場所でがんばっているし、またつながれることだってある。だからさくら学院が閉校しても、心の中では終わらせなければいいんだって。そう考えたら少し気持ちが楽になったんです。

──閉校が決まってからさくら学院についての曲を書こうと決めたんですか?

「ナノ・ストーリー」を作っていた頃から、さくら学院に対する思いを曲にしたいなと思っていたんです。

さくら学院のフラッグ(本人私物)を持つ堀内まり菜。

さくら学院のフラッグ(本人私物)を持つ堀内まり菜。

──さくら学院のラストライブは観に行けなかったそうで。

はい。なのでその1つ前の公演を観に行かせてもらったんですが、ちょうどそのライブが約1年半ぶりの有観客公演だったので、会場の空気からメンバーのみんなも父兄さんもこの光景をずっと待っていたんだなとすごく感じて。ステージを観たら、みんながさくら学院として生きていることがしっかり伝わってきて……特に最上級生の野中ここなちゃんと白鳥沙南ちゃんはすさまじいプレッシャーの中でやっていたと思うんですけど、しっかり自信を持って堂々とメンバーを引っ張っていて、涙なしでは観られませんでした。あと、もちろん2020年度のさくら学院の思いも受け取ったんですけど、在籍時の自分の姿もそこに重なったんですよね。今でもさくら学院の曲が流れるとしっかり踊れるんですよ。一生忘れないくらい練習して、もう私の一部みたいになっているから。さくら学院の曲は私の“国歌”みたいな感じです。