一青窈のリスナーは幅広い
──最初に一青さんをテレビで観たとき、まるで演じるように歌う方だなと感じたんです。身振り手振りを交えながら、懸命にメッセージを届けようとしていて。
よくオーバーリアクションだと言われます(笑)。「不適切にもほどがある!」(2024年1月から3月までTBS系で放送されたドラマ)が私の理想かもしれませんね。俳優さんたちが歌いまくるという意味で。私がこういったアクションを身に付けたのは、ボランティア活動をしていたことが大きいと思うんですよ。病院をライブで回り、目や耳が不自由な方の前で歌っていたものですから。
──そういうことだったんですね。
私が見たケースの1つですけど、ろうあ者の方が音楽を楽しむ場合、まず隣に手話の人を置くんです。そしてコンドームを膨らませ、それを抱く。コンドームって普通の風船よりも薄いから、振動を直に体で感じられるんです。そこで伝わってくる振動、手話、そして私の手話ではない身振り手振りで音楽が成立するという。今でも車椅子の方などもそうですし、障がいのある方が私のコンサートに来てくださることも多いです。劇画タッチな私の動きって、パフォーマンスにおいてはわかりやすいと思うんですよね。オーバーだと感じる人もいるでしょうけど、そうじゃない人がファンになってくれているわけで。
──今の一青さんのファン層ってどんな感じなんですか? 「もらい泣き」で鮮烈なデビューを飾ったのが22年前。知らない人がいない国民的な存在なので、逆に支持する人たちのイメージができないなと思いまして。
子供を産んでいる方が多いですね。ファン同士で結婚して、子供が生まれたというパターンもよく聞きますし。あとは結婚式で歌ってくれと頼まれるケースも多いです。そういうときのリクエストは100%「ハナミズキ」です。男女の仲は何があるかわからないから、「“100年続く”愛を私は保証できませんよ」とは伝えているんですけどね(笑)。でも、確かにほかのアーティストさんに比べると、ファンの世代が幅広いのかもしれないな。ちびっ子からお年寄りまでいますし。感覚的な話ですけど、「めざましテレビ」(フジテレビ系)の視聴者層に近い気がするんですよね。
──アーティストとして非常に恵まれていますね。
「あら! あなた、一青窈ちゃんよね! 私、20年前から知ってるわよー!」という感じでおばさま方から話しかけられることが多いです。わりと認識もふわっとしていて、「出身は南の島だったわよね。曲名は思い出せないけど、みんなが知っている曲を歌っていて……」みたいに、微妙に違う人のイメージが混じっていて(笑)。
──でも、そのおばさまの気持ちも若干わかります。一青さん自身は東京生まれの台湾育ちですけど、歌い回しに南国っぽいニュアンスもありますから。
「ハナミズキ」と夏川りみさんの「涙そうそう」がごっちゃになっているパターンがけっこうありますね。あとは“裸足で歌ってるくくり”で中島美嘉さんとも間違えられますし、「『月光』とか歌っていましたよね?」とか言われることもあるけど、「惜しい! それは違う方(鬼束ちひろ)なんですよ!」なんてニコニコお返事したりして(笑)。
変わりゆく表現、課題は情報の断捨離
──一青さんって一般的にはバラードのイメージが強いですけど、実は楽曲の方向性は相当幅広いですよね。
はい。いろんな作曲家の方と組んできましたので。私自身は歌詞を書くだけですが、そこで幅が出たんだと思います。私自身、おもちゃ箱みたいにいろんなジャンルの音楽を聴くほうなんですね。あとは時代の流れもあるから、当然そこからも影響を受けますし。
──流行歌は時代の写し鏡とも言われます。それでいうと「ハナミズキ」の歌詞は9.11の同時多発テロに触発されたという有名な話もありますが、今の時代、シンガーソングライターとして何を発信するべきか考えることはありますか?
もちろん考えますよ。でも、難しいんですよね。「もし阿久悠さんが生きていたら、何を書いていたんだろう?」とか想像することはよくあります。例えばOfficial髭男dismにしても、藤井風さんにしても、あるいはうちの子供が大好きな「すきっちゅーの!」(HoneyWorks)にしても、確実に今の時代を反映してはいると思うんですよ。ただ、それと同じような曲を一青窈が歌うことが求められているかといえば、それは微妙に違うでしょうし。
──確かにそうかもしれません。
1つ言えるのは、昔のほうが情報は限定されていたので、思い込みで書けた部分はたくさんあったでしょうね。今はネット社会だし、両サイドからの意見が即時に届くじゃないですか。思い込みで一気に切り込んだ内容を書くというより、両者の意見を吸い上げた当たり障りのない歌詞になりがち。でもそれは自分でも書いていてつまらないです。だから今はどうやって情報を断捨離していくかというのが個人的な課題。今回の「ただやるだけさ」はあまり考え込まずにストレートに書けたので、その点ですごく満足しています。
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役作りと同じで“憑依”は大事