雑誌作りを経て気付いたこと
──「最悪」と「最愛」というのは、そういう感情のグラデーションの幅が広がったということを象徴する言葉なんですね。
そうですね。ちょっと薄いグレーと濃いグレーだったのが、白と黒になったおかげで、優しくなったと思います。
──それは平たく言えば、器が大きくなったということなのかもしれないと思います。
ああ、そうかもしれないですね。そうなりたかった気もします。
──そうなれた理由は、どういうところにあると思いますか?
2つあるんです。1つは2021年に舞台をやったり、楽曲を提供したり、タイアップの曲を書いたりする経験があったことで。ほかの人と何かを作るにあたって、自分があきらめなきゃいけないことがたくさんあったんですよね。そのことで、自分が何を譲れるのか、逆になくしちゃいけないものはなんなのかが明確になってきた。それで「これはやってもいい」ということがわかってきたし、できるようになってきたのが1つ。あとは、雑誌を作って、いろんな人にインタビューしたことも大きくて。
──雑誌というのは、ヒグチさんが企画・取材・編集を手がけた「うふふ~生き抜く力と息抜く言葉~」のことですよね。こちらはどのような経験でしたか。
インタビューしたのは普通の生活をしている女の子だったんですけれど、みんな面白かったんです。みんなの人生がこんなに面白いってことは、自分の人生もたぶん面白いんだろうなと思った。変なやつと付き合ってるとか、自分が変な人間だとか、特に面白いエピソードがあったりしなくてもいい。そういうことをちゃんと確信できた。それがよかったんだと思います。例えば「ヤカンが鳴っていて、火を止めなくちゃいけないと思っていて、だけどテレビを観てるとなかなか動けない」くらいのことが面白い。あえて変なことを書かなくても、普通の生活が面白いということを確信したんですね。だから、今後もそういうことを書いていきたいと思うようになりました。
──雑誌を作ろうと思ったのはどういう理由だったんでしょうか?
もともと自分は寂しいと思うことが多い人間で。寂しいときに、何をしたら解消されるんだろうと思ったのが最初です。30代に入って2冊作ったんですけど、寂しい感情がどこでなくなるのか、どうすればなくなるのか、寂しさに終わりが来るのかということを、いろんな女性に聞いたんです。働いていたり、彼氏がいたり、マッチングアプリをやっていたり、いろんな人に話を聞いて。その人の寂しさや、それを解消する方法や、どんな人生を送っているのかを聞く中で、本当に人って面白いなと気付いたんですね。
──雑誌を作って感じたことが、ヒグチさん自身の興味とクリエイティブの根っこの部分と結びついた感じでしょうか。
すごく結びついていると思います。やっぱり自分は言葉を書くのが好きだし、人の言葉を聞いて自分の考えと照らし合わせて考えたりすることが好きなので、私の曲と雑誌とは、すごくつながるところがあると思います。「だからこういう曲を書いたんだな」とか「だからこういう文章を書いてるんだな」って思えるものができていると思います。
「悪魔の子」を通して伝えたいこと
──タイアップ曲を書くという経験の中で、やはり「悪魔の子」は大きかったと思います。あの曲は国境を超えて広く聴かれましたが、そのリアクションについてはどう感じていますか?
「進撃の巨人」という作品に海外のファンがいることは知っていましたけれど、ここまでそれを肌で感じることはなかったので、びっくりしましたね。でも、なんだか他人事みたいな感じです。もちろんとてもうれしいですけれど、「へえ、そうなんだ」みたいな。
──楽曲を書き下ろすにあたって、「進撃の巨人」のアニメ制作側とはどんなやり取りがありましたか?
意外と「悪魔の子」に関しては要望がなくて。もともとイントロにあったメロディを変えてほしいという話があったくらいで、歌詞については特に何もなかったです。ただ、「自分はこう思う」ということを強く入れないようにしました。特に1番はテレビで流れるから、ちゃんとアニメに寄せて書かなきゃいけないし、サビをわかりやすくみんなが理解できるようなものを書いて、2番からはもっと好きなように書こうと思いました。
──「進撃の巨人」という作品からヒグチさんが受け取ったものや、解釈したことは、2番の歌詞に入っているわけですね。そこに関してはどういう感じだったんでしょう?
2番に「戦争」という言葉を入れるかどうかはすごく悩みましたね。絶対に自分の曲では使わない言葉なので。でも、そういう壮大な話って、みんな他人事として受け取るじゃないですか。例えば多くの人が「進撃の巨人」に限らずいろんなアニメを観たり、マンガを読んだりして楽しんでいても、結局他人事なんだなと思うことが多々あった。観ている人に対して「面白いだけじゃないぞ、お前らのことを言ってるんだぞ」ということは伝えようと思いましたね。気付いてほしいっていうのは常にあります。自分の曲を聴いてくれる人には「あなたのことを言っているし、あなたに考えてほしい」という考え方がすごく強いので。「悪魔の子」では、「大きなことを言っていても、そこからあなた個人、その周りのことや自分の近くの人のことをちゃんと考えることが大事だ」ということを書いていて。ほかの曲ではもっと小さいところから書いていますけれど、伝えたい範囲は一緒なんです。自分の半径1m、2mぐらいの話をしたいというのは、ずっと一貫して変わらないです。
──「まっさらな大地」はどうでしょうか? 「悪魔の子」のシングルのカップリングにも収録されていましたが、この曲も「進撃の巨人」という作品に寄り添った曲だと思います。
この曲に関しては、アニメそのものというより、ミカサ(「進撃の巨人」の主要キャラクター)のことを書いていて。その中でも、「ごめんね 謝れない 大人のために 子どもは泣くの」というところがすごく大事なんですよね。「進撃の巨人」の原作を読んで思ったことなんですけど、あまり大人が謝らないんですよ。子どもだけがしっかり「ごめんね」と言えている。そういうことって、今、自分たちに当てはめて考えたらどうだろう?って思うんです。「ちゃんと謝れている?」って。もし謝らなきゃいけないんだったら、1時間後でも明日でもなく、今謝るのが大事だと思う。そういう思いは「進撃の巨人」に関係なく誰にでも大切なことだと思うので、ここだけでも伝わったらいいなと思います。
ヒグチアイが向き合う孤独と寂しさ
──「劇場」に関してはどうでしょう? この曲もアルバムのキーポイントですよね。
布団の中で「ホント曲書けないな、でも曲書きたいな」と考えているときに、2時間くらいでこの曲が出てきたんです。そのとき、自分の人生に関わってくれた人のことが頭の中を巡ったんですよね。レーベル移籍のことで言うと、あんなに私のことを応援してくれたけれど、きっともう会うことはないんだろうなという人が何人もいて。でも、また新しい人に出会って、その人が一生懸命がんばってくれる。それはとてもありがたいのと同時に、とても寂しいことだなあと思ったんですよね。で、寂しいのはなんでだろう?って考えたんです。自分を軸に、自分の劇場にいろんな人が入ってきたり出ていったりすると思えば、目の前から人がいなくなったりまた増えるのは当たり前で。きっと、周りの人に作用されて、その人たちのために生きている自分がいるから寂しいんだろうなって思ったんですね。
──アルバム1曲目の「やめるなら今」と「劇場」はどちらも仕事や人生をモチーフにした曲ですが、書いていた時期は近かったですか?
ああ、近いですね。
──この2曲は対になっているような印象もありました。
「やめるなら今」と「劇場」は、反対のことを言っているんですよね。「やめるなら今」では「孤独になるのは なにかがあるから 淋しくなるのは なんにもないから」と歌っているんだけど、「劇場」では「さみしいけど孤独じゃないの」と歌っている。「やめるなら今」は私の今のことを書いているんですけど、「劇場」の「さみしいけど孤独じゃないの」というのは人生の終わりの頃や夢が終わりかけた頃のイメージがあって。「こう思えたらすごいだろうな」という希望を書いていたりもする。デビュー曲の「備忘録」にも孤独のことを書いているし、寂しさに終わりが来るのかっていうことにもずっと悩んでいたりする。孤独と寂しさは形を変えながらずっとテーマにはなっていますね。
普通の日常を視点を変えて書いていきたい
──孤独や寂しさというものは、解決しない、かつずっと向き合ってきているテーマであるがゆえに、少しずつ解像度が上がっているような感じもあるんじゃないでしょうか。歌を通して描けるものがより豊かになってきているというか。
そうかもしれないです。なんか売れていくと、みんな世界のことを歌い始めるじゃないですか。それがすごく嫌で。たぶん、売れるということはたくさんの人を見なきゃいけないということだし、上に立つ1人にならなきゃいけないから、そうなっていくんだろうなって。でも、そうじゃなくって、自分はたくさんの人を見るからこそ、その人たち1人ひとりの顔をちゃんと見ていたいと思うんですよね。もっと1対1で話をしたいし、人にたくさん聴かれていけばいくほど、狭くなっていくほうが面白いと思う。だから、もっともっと広いことを考えるんじゃなくて、自分の器が大きくなったんだとしたら、そこに入っている小さなものがどうなっているのか、どういう中身でできているのかを見ていくほうが好きになった。さっき話したみたいに「すべての人が面白い」というふうに思えてから、普通の日常を視点を変えて書いていこうと思うことも増えた。そういう意味では解像度が上がっていくんだろうなと思いますね。
──最後にライブについても聞かせてください。3月にはバンドセットワンマンライブ「HIGUCHIAI band one-man live 2022 [ 最悪最愛 ]」が東京と大阪で、4月からは弾き語りの全国ツアーが開催されます。弾き語りはヒグチさんのライブの軸になっている一方、このアルバムはバンドセットでしか表現できないサウンドもポイントになっていると思います。ライブに向けてはどんなことを考えていますか?
まずは楽しみだというのがあります。特にバンドセットは本当にひさしぶりで。「最悪最愛」はバンドセットでしか再現できない曲もあるので、生でアルバムの音を聴きたい人はぜひライブに来てほしいと思いますね。
ライブ情報
HIGUCHIAI band one-man live 2022 [ 最悪最愛 ]
- 2022年3月11日(金) 東京 EX THEATER ROPPONGI
- 2022年3月27日(日) 大阪 umeda TRAD
HIGUCHIAI solo tour 2022 [ 最悪最愛 ]
- 2022年4月9日(土)香川県 LIVE HOUSE 燦庫 -SANKO-
- 2022年4月16日(土)広島県 Live Juke
- 2022年4月23日(土)兵庫県 海辺のポルカ
- 2022年4月24日(日)福岡県 ROOMS
- 2022年4月28日(木)石川県 もっきりや
- 2022年4月29日(金・祝)愛知県 BL café
- 2022年5月1日(日)長野県 長野市芸術館 アクトスペース
- 2022年5月6日(金)京都府 磔磔
- 2022年5月8日(日)東京都 早稲田奉仕園スコットホール(講堂)
プロフィール
ヒグチアイ
1990年11月28日生まれ。香川生まれ長野育ち。2歳からピアノを習い、18歳でシンガーソングライターとして活動を開始。大学進学に伴い拠点を東京に移す。年間150本以上のライブを行い、年齢や性別を問わず、幅広い層の支持を獲得。2014年2月に初の全国流通盤となるアルバム「三十万人」をリリースした。2016年11月にアルバム「百六十度」でメジャーデビューを果たし、2018年6月に2ndアルバム「日々凛々」、2019年9月に3rdアルバム「一声讃歌」をリリースするなどコンスタントに作品を発表する。2021年にポニーキャニオンへのレーベル移籍を発表。2022年3月には、「『進撃の巨人』The Final Season 2」のエンディングテーマ「悪魔の子」やテレビ東京系ドラマ24「生きるとか死ぬとか父親とか」のエンディングテーマ「縁」を収録した約2年半ぶりのニューアルバム「最悪最愛」をリリースした。
ヒグチアイ (@higuchiai.1128) | Instagram