春ねむり×大森靖子ツーマン開催記念対談|リスペクトが生んだ、最も遠くて最も近い2人 (2/3)

ハロプロを源流とした「休符は鳴らすもの」という考え方

──大森さんは、春さんがライブに来ていることは知っていたんですか?

大森 毎回、共通のファンの人が「いたよ」と教えてくれるんです。

──春さんは特典会には行かず?

 そうです。「BAYCAMP」のときはギリ、フェスでちょっとテンション高かったので行けただけで。

大森 テンション高くて来たんだ(笑)。

 通常キョドっちゃうので。大森靖子という音楽について語りたいことはめっちゃあるんですけど、大森靖子さん本人を前にそれをやるのはだいぶ怖いじゃないですか(笑)。

左から春ねむり、大森靖子。

左から春ねむり、大森靖子。

──今日はそれを語っていただきたいです。

大森 うれしい、黙っとこう(笑)。

 恐れ多いです(笑)。日本語で、ラップしてないフロウでリズムを刻んでいくのが、めっちゃ発明だなってずっと思ってたんですよ。大森さんの場合は、休符がめっちゃ上手……上手とか言ったらアレですけど、すごく面白くて、それはたぶんギターを弾かれているからなのかなとか思います。ギターはカッティングとか、リズムの休符が大事だなって思うので。

大森 ヒップホップはトラックがあるじゃないですか。自分は言葉を聴かせたいなって思ったときに、違和感でリズムを作っていくほうが言葉を弾き語りに合わせやすかったんです。そこに情報量をいっぱい入れたら、ラップっぽいけどラップじゃなくて、ラップとは逆のことをしているっていう状況になったんです。

 「この人の発明っぽいけど、なんで“ザ・イノベーション”みたいに扱われてないんだろう?」って思いながら聴いていて(笑)、少なくとも日本語だとほかにいないんですよ。「PINK」を2回目に聴いてめちゃくちゃ食らったときは、そのようなことを思いましたし、「SHINPIN」(2016年発売アルバム「TOKYO BLACK HOLE」収録曲)を聴いたときも「マジで天才じゃん」と思いました。

大森 それはたぶん音符の長さなんです。特にモーニング娘。は、ケツまでリズムが決まってるんですよね。休符も長さがちゃんと決まってる。音を切ることによって次の音符の長さが決定するので、「休符だけど休んでるんじゃなくて、それも奏でているんだよね」っていう考え方はハロプロ(ハロー!プロジェクト)が源流ですね。モーニング娘。やつんく♂さんがやってたことをずっと追っかけてたから、「休符は鳴らすものだよね」っていう解釈はそこから来たものでした。

 大森さんの曲を聴くようになって、モーニング娘。も聴くようになったんです。「なんでこれがメインストリームとして成立してるんだろう?」と思うような曲ばかりで、「めっちゃ変な音が入ってるのに、なんでトラックがヤバいと言われないんだろう?」みたいな(笑)。例えば「ギューされたいだけなのに」も、「ボイスパーカッションのサンプリングの使い方がめっちゃ変なのに、なんでトラックメーカー全員『すげー!』ってなってないんだろう?」とか思いながら聴いてます(笑)。

大森 「かわいい」をテーマにした道重さんの「SAYUMINGLANDOLL~宿命~」という公演があったんですけど、つんく♂さんはどんな曲を書くんだろうってすっごく楽しみにしてたら、サビの頭のキメが「プラクティス」だったんですよ(「SAYUMINGLANDOLLオープニングテーマ~キラキラは1日にして成らず!~」)。「プラクティス 一に二に練習」って。それを聴いて、「道重さんはそういう人だったな」って思ったんです。自分はクラシックバレエをやっていた人から動きを教わっているから、動きを線で捉えてるんだけど、道重さんは点で描いてるんですよ。それを0.1秒ごとに積み重ねているから、結果的に動画になってる。そんなライブをする人間いないんですよ。だから、「かわいい」をテーマにして「プラクティス」って言葉を出せるつんく♂さんはすごいなと思いました。プラクティスって、どうやったらカッコよくできるのかわからない単語ナンバーワンじゃないですか(笑)。

左から春ねむり、大森靖子。

左から春ねむり、大森靖子。

大森靖子のオタクでもあり、大森靖子の創造主でもある

──春さんは大森さんのルーツを探ろうとしてモーニング娘。を聴いていて、学究的な姿勢も感じます。

大森 鬼楽曲派(笑)。

 やっぱり曲がすべてじゃないですか?(笑) 曲には永遠の余白があるから、解釈したらしただけ、自分の人生に寄り添ってくれるんですよね。大森さんは、大森靖子という存在や楽曲をすごく俯瞰する目線があると思っていて。大森さんの中に「大森靖子を解釈する批評家としての大森靖子」がいて、それを受け取りつつ自分でも批評することで、何通りも楽しめるんですよ。大森さんが「批評家の大森靖子」として見ているラインはここなんだけど、私は別の見方をしていて……という(笑)。「作る人」と「優れた批評家」としての目線があり、一貫した美学があるから楽しい(笑)。作品と作家しかいない世界だと、含んでる文脈が少なすぎて、批評の種類もすごく少なくなるんです。大森さんと、大森さんが俯瞰する目線、そして作品があるから批評のラインが増えてるんですよ。批評家としての大森さんがいることによって、そうではない批評も生まれる。ほかの批評家がやってくれればいい話だけど、ちゃんと機能している批評家が少ない。

大森 という話をナタリーで投げかける(笑)。私、大学は芸術文化学科だったんですけど、それが原因だと思うんですよね。そこは学芸員になる勉強をするところだったんです。学芸員というのは「この作品はこういう意図で作られたのであろう」と考えながら作品を見て、「この作品とこの作品が横に並んだら新しい意味が生まれるよね」と展示を作っていくのが最終的な仕事で、面白い展示を通して新しい思考を生み出すのが学芸員なんです。そういう勉強をして、「自分をどう推し進めていこうかな」みたいな見方をする癖が付いていると思う。簡単に言うと、私は作品を作ってるから、私は大森靖子の作品を最初に受け取るファンじゃないですか。でも、また作り直せるから、作家に戻れる。どんな批評をされても、「そこはもう潰してるよ」って言えるぐらい考えてからじゃないと表に作品を出してないので、「私が一番、大森靖子が好き」っていう状態なんですよ。だから批判されると、ちょっとオタクみたいな気持ちで、「大森靖子はそういう意図でそれをやってないんだよね」と思う(笑)。でも創造主でもあるから、立ち位置がグルグルしてるんですよ。大森靖子を作品として掲げて、時代に対してどうコマを動かしていくか操縦しなきゃいけないので、「自分が誰よりも自分をやっている」という感覚がある。よく「神様扱いされたくないでしょ?」とか言われるけど、「神やで!」みたいな(笑)。「いやいや、大森靖子、神やろ」と言ってる平民の私がいるんです。

左から春ねむり、大森靖子。

左から春ねむり、大森靖子。

──創造主からオタクまでを1人が兼ねているのは、なかなかない構図だと思いますよ。

大森 デビューまで大学に行って、あんまり売れなくてオタクもやってたのが原因な気がします。誰かを語るときには、時代と自分の人生を差し出して批評しないといけないじゃないですか。そうじゃないと、そこに血肉が乗ってないし、批評する意味がないから。でも、それをしないほうが仕事にはなるんですよ。だから、職業でライターをしている人が自分のことを語りたがらない感じも理解できる(笑)。

 アカデミックな論文でも、「私」を消して書きなさいって習うんです。主体を足してしまうと、それを読む人は主体を介した2つ分の要素を経由しないといけないから。受け取る側が時間をかけたくない場合は、それをノイズに感じるからだと思うんです。だけど、自分はあまりそういう消費の仕方がいいとは思わないです。

大森 興味がないと書かないし、興味を持っている主体は自分ですからね。

 受け取る側としては、ある程度、作家の中に批評家の目線がないと楽しめなくなっちゃってる。「そのコストを作家にかけるのもどうなのかな?」という気持ちもありつつ(笑)、やっぱり自分はそういう目線がある人が好き。

2025年12月16日更新