佐渡島まで歌いに行く意地
──DISC 3は2003年から2008年のシングル曲が収録されています。ゴスペラーズは2004年にデビュー10周年を迎えた際に、このディスクに収録されている「ミモザ」をリリースしました。アニバーサリーらしい華やかなアレンジが印象的な1曲ですが、この曲が生まれた背景を教えてもらえますか?
村上 「ミモザ」は清水信之さんという素晴らしいアレンジャーと一緒にできたことがすごく大きかったと思う。「ミモザ」の前に、アルバム収録曲の「コーリング」で初めて一緒にやったんですけど、やっぱ作る音がすごいなと思って。80年代からずっとヒット曲を手がけてきた人だし、アレンジのキラキラ感がハンパねえなと思って。それで「ミモザ」もお願いしたんです。
──清水信之さんはポップスとしてのヒット曲のキレイさや輝きを出すのが上手という印象です。
黒沢 そうなんです。曲の輝きがすごい。しかも端正という。
村上 最初の1拍目で「きたな!」という感じを作っちゃうっていうね。あそこのキレイさ、そしてインパクトはすごいですよね。
黒沢 この「ミモザ」は、僕と佐々木真里さんで作った曲なんですけど、キーを高めにしたんですよね。で、いざレコーディングとなったときに「下げようか」という意見も出たんです。でも信之さんが「これキー変えちゃだめだよ、このままのキーがいい」と。
──「ミモザ」がリリースされた当時に行われた「ゴスペラーズ坂ツアー2005 “G10”」ツアーのことを伺いたいです。
安岡 ピンクのスーツのときのツアーだ。
──そうですね。アリーナ会場とホール会場が入り乱れたスケジュールでかなり多忙だったと思います。佐渡島でライブをしたあとに日本武道館公演をしたり、会場の規模感が日によって違います。
北山 今思うと「なんでそんな大変なことを?」と思いますね(笑)。
安岡 やろうと思えばアリーナだけでもツアーができたよね。
村上 そうだね。本数を限定すれば当然やれたと思う。でも当時はアリーナでやるというより、1つのツアーの中にデカい会場があるというくらいの感覚だったんですよ。このツアーはホールもアリーナもセットリストはほぼ変わってないんですけど、演出は変えざるを得なかった。
黒沢 だからすごい大変でしたよ(笑)。
安岡 普通にホールツアーしている中で、アリーナ用のリハーサルをしてた。
村上 幕張メッセでね。
安岡 それくらいのところを借りないと、リハーサルができないくらい大きなステージだったんだよね。
黒沢 だからメンバーの立ち位置もまったく違って。
安岡 そう。そうやってリハーサルして脳みそがアリーナモードになったところで、またホールツアーに戻っていくという。例えばステージが広くなると、ホールでは5歩で行けていたところが、アリーナ用のステージでは30歩かかる。そうすると、曲の中で歩き出すタイミングも違ってくるわけ。もうそれだけで大変(笑)。
村上 この1つ前のツアーで初の全都道府県ツアー(「ゴスペラーズ坂ツアー2004 “号泣”」)を開催してるんです。そういう中で「僕らはもっといきますよ」という心意気の部分を見せたいと話をしてて。その象徴になったのが、この「G10」ツアーでの佐渡島でのライブ。
安岡 誰もが知るヒット曲を出したあと、しかも周年ツアーというもっともお客さんが集まるだろうタイミングでも、「俺たちはどんなところでも行くぞ」というのを見せたかった。
村上 そう。その気持ちを見せられたところが、G10ツアーの価値観だったと思う。このツアーのライブDVD(「ゴスペラーズ坂ツアー2005 “G10”」)をリリースするときは「ホール感覚にこだわるんだ」とか言ってサービス映像を入れなかったら、ファンから厳しいお言葉をいただきまして(笑)。
黒沢 そこは入れるべきでしたね。改めて、本当にすみませんでした!
棚に上げていたスタイルを改めて考えた
──DISC 4は2008年から2012年のシングル曲が収録されています。この中から、ファンの声をもとにシングル化が決定した「1, 2, 3 for 5」について聞かせていただけますか? この曲は、ベストアルバム「G20」の収録曲を決める投票で歴代シングルの中で1位を獲得しましたね。
酒井 この曲はソウルミュージックのイベント「SOUL POWER」で“映える”というのがキーワードとしてありました。ゴスペラーズは「永遠(とわ)に」のあたりでは、現代R&Bを取り入れようとしてたんですけど、それまで僕らが取り入れてないところのテイスト……もっと前の時代のソウルミュージックやブラックミュージックを意識したいというのがあったんです。それは、図らずもデビュー当初にレッテルを貼られることを危惧していたテイストでもあったんです。こう……そろいのスーツで振りをそろえて「♪ドゥワーッ」と歌うような。そう見られたくないから、ゴスペラーズは衣装をバラバラにしてたりもしたし。
安岡 ストリートファッションみたいなね。デビューからしばらくはそうだったよね。
酒井 そうやって、一旦棚に上げていたものを改めて考えてみよう、と。例えば、The StylisticsとかThe Temptationsのような、スーツも振りもそろえるようなスタイルを曲調含めて導入したんです。そのスタートラインが「1, 2, 3 for 5」だったんですよね。もう必死に作った覚えがある(笑)。ここからソウルっぽい曲を何曲か続けて作っていくことになるんですよね。
村上 2006年に「SOUL POWER」がスタートしたあたりからオーセンティックなソウルスタイルをできるようになっておきたいという思いがあって。逆に、90年代以降……ヒップホップ以降のダンスミュージックを俺たちのステージに取り入れるってのはちょっと無理があるなと思ったんです。
黒沢 危ない、そこは危ない。
北山 ケガするよね(笑)。
村上 そう(笑)。そこはわかってた。だから無理なく、それでいて新しい形でみんなを楽しませることをと考えたんですね。で、出てきたのが、ソウルステップやソウルダンス。ステージではカバー曲とかで、そういうものを少しずつ足していっていた時期だったんです。
安岡 例えば「LOVE MACHINE」とかね。
村上 そういうことをやっていた時期に、酒井がオリジナル曲としてソウルステップを意識した「1, 2, 3 for 5」を作ってきた。
北山 「SOUL POWER」のための新曲を……というようにニーズがはっきりしていたんですよね。僕、酒井さんが「1, 2, 3 for 5」を出してきたときに作家としての開き直りを感じたんですよね。テーマがあったから、安心してそこに寄りかかったことで、“新しい酒井雄二”が出てきたなと思ったんです。弾けたなと。
村上 このあと、本田圭佑風に言えば、ソウルステップをテーマにした曲が、酒井からドバドバとケチャップみたいに出てくる(笑)。それがすごくステージ映えする曲だった。あとはソウルステップを教えてくれる人と出会えて、一緒に曲を形にできたことも大きい。そうじゃなかったら「1, 2, 3 for 5」は今みたいに成長してないと思う。僕らのダンススキルに合わせて、派手な振り付けを作ってもらえて、それをステージ中心に展開できたから、その後のライブがすごく楽になっていった(笑)。
酒井 スタイルを踏まえたってことの力も大きいと思うんです。デビュー当時、スタイルを持たないボーカルグループを標榜していたゴスペラーズがここで一定のスタイルの力を借りるという手法を使った。流儀に則って5人でビシッとやったら、映えるよねという。ようやくできるときが来たということだったのかな、と。
黒沢 背伸びしなくてもできるっていう。
安岡 「SOUL POWER」が始まって、そこからの巡り合わせもあってできあがったスタイルだよね。
村上 うん。そういう場ができて、マイケル鶴岡さんの振り付けも含めて曲もできた。「SOUL POWER」があったから、ソウルステップにも踏み込むことができたんですよね。いろんな種を蒔いていたものが、うまく熟したんだと思いますね。
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場所を選ばないオルタナティブ感