ゴスペルをルーツに持つ北海道出身のシンガーソングライター・Furui Rihoが、11月22日に新曲「LOA」を配信リリースした。
“Love One Another”の頭文字を取った「LOA」は、「自分を愛することができなければ誰かを愛することもできない」というFuruiの思いを反映させた、“お互いに愛し合う”ためのメッセージソング。制作にはFuruiと数多くの楽曲でタッグを組んできたknoakことNobuaki Takanaと、彼女にとってゴスペルの師匠であるSayo Oyamaが参加している。
音楽ナタリー初登場となる今回のインタビューでは、Furuiの音楽遍歴を紐解くと同時に、新作に込めた思いを聞いていく。また、特集の後半にはFuruiの音楽的ルーツをたどるプレイリストをコメントとともに掲載する。
取材・文 / もりひでゆき撮影 / 梁瀬玉実
Furui Rihoのルーツ・ゴスペルとの出会い
──Furuiさんは幼い頃から音楽と深く触れ合ってきたんですか?
はい、ずっと好きでした。母が音楽好きだったので、いつも家では音楽が流れていたんですよ。だから私もちっちゃい頃から平井堅さんの「楽園」を聴きながらシルバニアファミリーの子たちを旅させるみたいな遊びをしていて(笑)。家ではCarpentersのようなポップスやR&B、ソウルが洋楽、邦楽問わずよく流れていて、母は本当に音楽が好きだったんでしょうね。で、小学校5年生のときに母と一緒にゴスペルのライブを観に行くことになったんですよ。ちょうどその時期、私は歌を習いたい気持ちになっていたので、ゴスペルにも興味を持ったんだと思います。
──そこで人生を変える大きな感動を味わったわけですね。
いえ、感動する前に「ズルい!」と思ったんですよ(笑)。私と同い年くらいの子たちがみんな楽しそうに歌っていたから、「私も歌いたいのに」って。ゴスペルをやるようになったことで、どんどん音楽に深くハマっていくようになりました。毎週日曜日に教会に行って練習をしてたんですけど、今考えると本当にかけがえのない日々でしたね。
──ゴスペルはどのくらい続けたんですか?
15年くらい続けていました。最初に入ったのとは別のクワイアに移ったこともあったし、さらに自分で新たなクワイアを立ち上げて、仲間たちと一緒にワークショップを開いたりもしてました。ゴスペルは基本、みんなで歌うのが醍醐味なんですけど、中にはソロパートもあったりするんですよ。そういう経験から1人で歌う楽しさにも気付き始めて、大学に入ってからはゴスペルとは別にソロとして活動するようになりました。
──そこが今の活動につながるソロシンガーとしての目覚めですか?
実は母も歌手を目指していたけどうまくいかなかったみたいなんですよ。現実が甘くないことは知っていたので、私もきっと難しいだろうなとは思っていました。
ターニングポイントとなったカナダ留学
──ご自身でソングライティングをするようになったのはいつ頃ですか?
ソロとして活動するようになってから2年くらい経った時期でしたね。カバーをすることに飽きちゃったところもあったし、「音楽をやる理由って、自分で曲作りをして何かを表現することなんじゃないかな」と思い始めたのがきっかけでした。それで音楽をやっていた先輩に教えてもらったCubase(音楽制作DAW)を買ったんですけど、使い方がわからなすぎて3カ月くらい放置して(笑)。そこからようやく重い腰を上げて独学で作り始めた感じですね。
──それまで楽器の経験はあったんですか?
幼稚園から小学校低学年までエレクトーンをやっていたんですけど、めちゃくちゃ弾けるようになったわけでもなく。でも少しだけコードを理解できていたのは、曲作りをするのに役立ったのかもしれません。あとはゴスペルをやっていく中でコーラスアレンジやアンサンブルを考えたりしてきたので、その経験を生かしながらという感じでしたね。ちなみに、その当時作ったのは「Welcome to the party」っていう「プチョヘンザ!」な雰囲気のパーティアンセム(笑)。今じゃ誰にも聴かせられないほどダサい曲なんですけど、クラブではしばらく歌ってました。黒歴史です(笑)。
──あははは。その時期、ご自身の未来についてはどう考えていましたか?
いつかプロになれたらいいなって漠然と思っていましたけど、あまり深くは考えていなかった気がします。大学生活もあったし、友達と遊ぶことも楽しかったので、日々の生活で大忙しみたいな感じで。そんな中、カナダへの留学が1つのターニングポイントになっていて。初めて海外に行ったことで自分のちっぽけさや弱さ、人が持っている大きな愛をものすごく感じることができたんです。本当に人生観が変わる出来事でした。
──2016年に「Believe」という曲をリリースされていますが、時期で言うとそれくらいのタイミングですかね?
まさに留学中に書いたのが「Believe」でした。自分と本気で向き合いながら作ったことで、歌詞の書き方が大きく変わったんです。自分の中にある弱さも含めた人間性をしっかり曲に落とし込めるようになったというか。「Believe」を作ったことで、自分のコンプレックスを思いきり吐き出した「嫌い」という曲を書けたりもして。
NakamuraEmiの音楽、生き方に触れて
──「嫌い」は、10月末にWALL&WALLで開催されたNakamuraEmiさんとのツーマンライブで披露していましたね。FuruiさんはEmiさんのことをリスペクトしているそうで。
はい。Emiさんの音楽との出会いは私にとって本当に大きくて。「あ、ここまで自分の弱さを歌ってもいいんだ」ということに気付かせてもらって、だからこそ「嫌い」を書くことができた。カナダに行く前は、自分の弱さを認めることが本当につらくて。正直、消えてしまいたいと思う日々がずっと続いていたんですけど、カナダから帰ってきて、段々自分の弱さを認められて音楽として吐き出せるようになったことで救われた部分がかなりあったと思いますね。
──2019年には「Rebirth」という楽曲を配信リリースされています。
「Believe」をきっかけに徐々に変わっていった自分の音楽性が固まり、一気にバーンと弾けたのが「Rebirth」だった気がします。それまでサウンド重視で曲を作っていたのが、リアルな歌詞を書く、そしてFurui Rihoという人間性をしっかり感じてもらえる活動をしていくという方向にシフトしたタイミングでした。
──今はもう自分の弱さを見せることに恐れはないですか?
そうですね。自分の中にある弱さを素直に見せられる人が一番強いと信じられるようになったので。そこもカッコいい生き方をされているEmiさんの影響なんですけどね。
新しい扉を開けるため
──「Rebirth」以降はコンスタントに楽曲をリリースされていますよね。多彩なクリエイターとコラボもされていますが、そこはいろいろなチャレンジを重ねる中でご自身の可能性を追求しているところもあるんでしょうか?
それはありますね。自分はすごくこだわりが強いタイプなので、今までに何度も失敗してきたんですよ。才能のあるクリエイターの方と一緒にやることになっても、自分のエゴを押し付けてしまうことで、お互いに我慢を強いられることになってしまって。なので絶対に面白いものができると確信を持てる方としかお仕事ができなかったんです。でも最近はちょっと気持ちが変わってきたというか。自分のこだわりは大切にしつつも、いろんな方とやってみたほうが自分の新しい扉が開けるんじゃないかと思うようになったんです。
──音楽に対しての感覚がフレキシブルになってきたのかもしれないですね。
ここ数年でめちゃくちゃ柔軟になったと思います。サウンドはもちろん、アートワークやミュージックビデオに至るまですべてに目を光らせていたのが、最近はだいぶ人に委ねることができるようになってきました。
──信頼できる人との出会いによってそうなっていったところもあったんでしょうね。
本当にその通りで。最近よく思うんですけど、私は人との出会いの運だけはいいみたいで(笑)。「こういう人がいてくれたらいいな」って思っていると、絶対に出会えるんですよ。
──それはFuruiさん自身が引き寄せている縁でもあるわけで。ライブを拝見して思いましたけど、人を惹きつけてやまない魅力がありますよね。
本当ですか? そう思っていただけたらすごくうれしいです!
次のページ »
まずは自分を肯定できるように