「EVANGELION FINALLY」発売記念 高橋洋子×林原めぐみ|戦友同士が語る「エヴァ」の25年

「残酷な天使のテーゼ」は歌手人生そのもの

林原 私が歌ったものに関して言えば、この言葉は敬いすぎで好きじゃないけど、作品に対する“捧げもの”に近いんだよね。そのシーンや風景に適切だったり、監督の中で「こうしたい」と思ったのであれば、煮るなり焼くなり、コンプをかけまくって誰が歌っているのかわからなくなっていたとしても、どうぞお使いくださいっていう。私が入れられる魂は入れますけど、その魂ごと蒸発させようが、保管しようが、なんでもいいっていう気持ちです。だからできるだけ、我のようなものは込めません。ただ今回の「EVANGELION FINALLY」に収録されている「Come sweet death, second impact」では、訳詞をお願いされたんですよね。この曲、もともとは庵野さんが書いた乱雑な詞を英語に訳してできた曲で、それをなぜか私が日本語に翻訳すことになって。なんで私が?と疑問だったんだけど、きっと思い立っちゃったんだろうなあ。

高橋 思い立っちゃったんだよ、きっと。

林原 私は庵野さんが書いた、もとの詞を知らなかったんですけど、書かれている英語の直訳から紐解いて、詞を書いていったんです。そうしたら結果的に、庵野さんが書いた詞と全く真逆のことを言っていたみたいで。庵野さんの詞は「絶望」なんだけど、私が書いたのは「希望」なの。男は絶望に向かいながら、女は希望を忘れず、みたいな感じが「エヴァ」らしいなあと……まあ「エヴァ」には冬月(コウゾウ)さんみたいな希望を忘れない方もいらっしゃいますけど(笑)。庵野さんに「どうして私なの?」と聞いたところで「なんとなく」としか返ってこないだろうから、それはそれで……まあいいかと。

高橋 25年も経つと作品に関していろんなことがありすぎて、昔に感じていたことと、今改めて感じることが違うことがたくさんあるんだよね。それは「エヴァ」のアニメを観てもそうだし、ひさしぶりに曲と向き合うときも同じ。

映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」より

林原 私は物理的にどんどん遠くなっていく感覚がある。一度終えた作品は、どんどん過去のものになっていくんですよ。最近Netflixで新しく観ている人がいたとしても、私にとってはもう過去の作品なんですよね。ただそこが難しいところでもあって、これは声優の話になるけど、例えば「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で綾波レイとして登壇しなければいけなくなったときには、どんなに楽曲やシーンが私の遥か彼方にあったとしても、もう1回そのキャラクターを自分の中に連れ戻してこなくてはいけない。その作業がこんなにある作品はほかにないです。

高橋 25年だからね。

林原 例えば「名探偵コナン」とか「ポケットモンスター」の場合は、今もずっと続いているので、わざわざ昔に戻って持ってくる必要がないんですよ。まあ3年ぶりに出てくる刑事とかもいますけど(笑)。でも「エヴァ」は過去に戻って、自分の中にもう1回撹拌するために入れ込む必要があって……ただ、それも、このたび、終わります。もう連れ戻すことはないでしょう。

高橋 私はまだ、これをずっと続けていかなくてはいけないので。

林原 そうだよね! それこそ国内だけじゃなくて、世界に向けてね。

高橋 「残酷な天使のテーゼ」という曲は、歌うのがすごく難しい曲なんです。でも、難しくないという人もたまにいるんですよね。

林原 それは洋子ちゃんが歌ってきているのを聴いて耳コピしているからよ。

高橋 というか、難しくないという人は「そういうふう」に歌っているんです。要は、全部をキッチリ歌おうとしたら本当に難しい曲だけど、鼻歌のように歌えばどんな曲も難しくないと言えてしまうような。自分は一度も簡単と思ったことはないですけど、「あの曲、けっこう簡単ですよね」という人にたくさん会ってきて。

林原 嘘でしょ!? それは(気持ちを)込めなくてもいいということ?

高橋 それもあるけど、そういう人たちにとってみたら、音程も正しく歌わなくていいのよ。好きな曲をなんとなく歌うっていう。

林原 なんとなく楽しく歌う「残酷な天使のテーゼ」なんて意味がわからない(笑)。そんなふうに歌ったことも聴いたことも一度もないや。

高橋 でもたくさんいるの。例えばボイストレーナーをしている人が、「残酷な天使のテーゼ」を上手に歌う方法みたいなテーマで動画を上げているみたいなんだけど、それをマネして歌ってみたら楽に歌えたというので、聴いてみると「うーん……」という感じだったり(笑)。

林原 それはそうだよね(笑)。

高橋 要するに「エヴァンゲリオン」と同じで、それぞれの「残酷な天使のテーゼ」の捉え方があるから、その人にとっての基準があるわけよ。でも私は「エヴァンゲリオン」というブランドを背負ってるから、適当なことは生涯できない。そんなことをしたら作品を汚すことになるし、私はプロだから、そこはちゃんとやらないといけない。だから25年前の私の声を出すために、今でも25年前の私の歌をものすごく聴き込んで、それを再現して歌ってる。声優さんはずっと同じ声を出せることがすごいなと思うけど、あれはどうやってるの?

テレビシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」オープニング映像より

林原 洋子ちゃんと同じで、そのときまで戻って、当時の感覚を持って帰ってくるの。

高橋 そうなんだ。そこは一緒なのかもしれないけど、ボーカルの場合、25年前の自分とまったく同じ歌を歌うのはハードルが高いんですよ。25年前と声が違うと、やれ歳を取ったとか、やれ歌い方が変わったとか言われてしまうし。私はそれが嫌というよりも、プロとして同じ歌を歌わなくてはいけないと思っているから、昔よりもものすごく練習しています。そうじゃないと期待を裏切ってしまうから。これができなくなったらマイクを置こうと思っています。それができるのはあと6年ぐらいかなと思っていて。60歳まではがんばろうと思っています。

林原 洋子ちゃんにとっては「残酷な天使のテーゼ」が、歌手人生そのものになっているわけだよね。

高橋 最初は歌詞の意味もよくわからなかったけど、月日を重ねていくうちに、あるときはこうだと思ったり、また何年か経って違うように感じたり。いろいろ思うところはあったけど、結局は自分に対する応援歌のような気がして、いつもそこにたどり着くんです。だから自分は今でも歌えていると思うんですよ。人に向けて歌っていたつもりが、自分に向けてだったことに、あるときハッと気が付いて。

林原 「自分にも」だよね。

高橋 そうだね。「魂のルフラン」も、今は別に普通ですけど、当時は「魂」という言葉自体にちょっと怪しげなイメージがあったので、すごく斬新なタイトルだと思ったし、歌詞も「私に環りなさい」というフレーズにビックリしたけど、でもそれをメロディに乗せたらすごく合うんですよ。それを歌い込んでいくと、今度はそれがまた自分に対してのメッセージでもあることに気付くし、年齢を重ねたからこそ響きやすい歌でもあった。例えばライブで生セッションする場合は、そのときの等身大の自分を出したり、常に変化はしながらも、これからも(CD版と同じ声を)忠実に再現できる限りは歌っていくと思います。今は世界中に「エヴァ」のファンがいて、みんな日本語で歌ってくれるんですよ。それはすごいことじゃないですか。私もまだ行ったことのない国がたくさんありますし、ステイホームで「エヴァンゲリオン」を新しく観た人が世界中にさらに増えていることも踏まえると、お母さんもまだまだがんばるぞ!という気持ちはありますね。ミッションを達成するためには、まだまだやります。なので私は進行形です。全然終わらない。そこはめぐちゃんと違うところかな。

「エヴァ」は無意識をえぐり出す

林原 「お母さん」という言葉がでてきたけど、「エヴァ」の歌に母性という要素があることに気付いたのは洋子ちゃんが最初だよね。

高橋 最初は感じてなかったと思うけど、私はいろいろ感じて考えて、行き着く先が母性だったんですよ、どうしても。でも、25年前は私たちもお母さんではなかったじゃない?

林原 私も母性をテーマにした曲(「今日の日はさようなら Maternal Version」)を歌ったことがあるけど、私の場合は、自分自身の母としての経験ということよりも、やっぱり(碇)ユイさんのことを考えていたんですよね。作中ではあまり語られない部分ではありますけど、結局彼女が「エヴァンゲリオン」のいろんな意味での発端であり、シンジくんが初号機を担うことになったのもそうだし、なんならレイちゃんはユイさんのコピーだということも含めて。ファンの方の間ではあまりフィーチャーされる存在ではないですけど、私の中ではユイさんというのがすごく大きくて、たぶんレイちゃんよりも根幹なんです。そこは洋子ちゃんが表現する歌としての母性とは、ちょっと角度は違うかもしれない。

テレビシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」オープニング映像より

高橋 でも作品の中で、シンジくんが初号機に乗って戦っているところを観ていると、なぜか涙が出るのは、きっと母性なのよ。そこにユイさんがいるということがまだわかっていないときから、胸のあたりがざわざわして、「これは何なんだろう?」というのを感じていたし。

林原 L.C.L.(エヴァンゲリオンのコックピット内に注水される液体)は羊水と同じ成分だとも言われているよね。

高橋 そうそう。私、オレンジの瓶を持ってたら「それはL.C.L.ですか?」って言われたことがあるけど(笑)。それはともかく、自分は結局そこの母性から離れられていないと思う、最初から。

林原 離れないのがいいんじゃない?

高橋 私もそう思う。初めて「残酷な天使のテーゼ」を歌ったとき、私はすでに20代後半で、どちらかと言うと、子供よりもお母さん側に近かったと思うんですよ。感情的にも。そこから作品を観たり、歌う回数を重ねたり、いろんな人と出会っていく中で、母性という観点が私の歌うべきテーマだということに気付くんです。というか、むしろテーマがそこじゃないと歌えない。別に母性を意識して歌っているわけではないけど、結果的にそういう感情があるということに、歌っていて気付かされたことは多いです。この作品を支えているのは、きっと母性なのではないかと、私は思っています。だから歌い手としては、自分の感情をいかに入れないかが本当に大事なんですよ。「シンジくんはこんな気持ちかな?」とか考えてしまうと、それはもう違うものになってしまうから。

林原 それは聴いた人が考えればいいことだからね。

高橋 そう。皆さんがしっかりと聴けるようにするために私は我を取り除き、自分の思考を全部排除して、プロとしてキチッと歌うことに専念するのが一番大事なことなの。だからみんながいろんなことを想像できると思うんです。でも自分の思考を取り除いていけばいくほど、感情が出てくるんですよ。そのときに上がってくるものが母性なんです。「魂のルフラン」はその最たるものですよね。この曲は歌っていると“地球の母”みたいな気持ちになってくるんです。小さな命の愛おしさみたいな感情がものすごく湧いてきて。うまく説明できないんですけど、歌い終わったあとの感覚が、そうなっているというか。

林原 歌とか祭りごとというのは本来、捧げものであったり、導くものであったり、癒すものであったりして、歴史の中でいろんな役割があったと思うんですけど、その意味では、言葉が適切ではないかもしれないけど、洋子ちゃんの役割には巫女的なところがあるというか。

高橋 本当にそうだと思う。

林原 洋子ちゃんが歌で表現していることって、きっと「無意識に出会う」みたいな作業なんだと思うんだよね。表層にあるものは、見えてるし、わかってるし、いらなくて。それぞれの人たちの無意識に触る術というか。なんて言えばいいんだろう? すっごく乱暴な例えだけど、ご飯だけ出しとけばいいというか(笑)。

高橋 あはは(笑)。

林原 それを牛丼にしようが玉子丼にしようが、どうぞっていう。でもそのお米がしっかりしていないと、何を乗せてもダメなわけで。なんならそれだけを口にしただけでも涙が出ちゃうような温かさがある。やっぱり「エヴァ」は無意識の部分をえぐり出しますからね。あの時代には、無意識をえぐり出された10代が山のようにいたわけですから(笑)。今の子たちは別の意味で自分を守ることが上手になったけど。

高橋 昔はみんな丸腰だったもんね。

林原 そう、丸腰でやられっぱなし(笑)。そしてSNSみたいに弁明する場所もない。まあそんな世の中になったからと言って、武具や防具を手に入れられる人ばかりではないし、あったとしても脆いものだし、そもそもそれを持たないでも平気でいられることが一番いいわけで。だからいつの時代にも、投じるものはあるんじゃないですかね、「エヴァ」は。

高橋 いろいろ思い出すよね。ボーカル集と同時発売される「NEON GENESIS EVANGELION SOUNDTRACK 25th ANNIVERSARY BOX」には「エヴァ」の曲が網羅されているから、これで当時のことをより鮮明に思い出してほしいですね。歌だけを聴きたくなったときは「EVANGELION FINALLY」を手に取ってください。私はこういうボーカル集を作っていただけてうれしいです。

林原 あと、今回のタイトルは「FINALLY」だけど、これは本当なんだよね?(笑) よく潔く付けたもんだと思った。だってもう「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の先はないんだもん。あんまりしゃべっちゃいけないことになっているから、しゃべらないけど。

高橋 そこに関してはいずれ皆さんのお耳に何かが届くと思うので、ちょっと我慢していただいて。ともかく、アニバーサリーであり“ファイナリー”でもあるこのタイミングで、エヴァの音楽を聴いていただければと思います。

映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ポスタービジュアル