水戸芸術館ACM劇場プロデュース アフター・ザ・シアトリカル・デイズ「ECTO」渡邊琢磨×冨永昌敬|実験的怪奇映画から紐解く音楽と映画の関係性

映画の「外の音」と「中の音」

──2014年発表のアルバム「Ansiktet」以降、琢磨さんは作品の垣根を超えてご自分の活動をつなげているような気がします。「ECTO」は映像作品ですが、俯瞰するとこの作品もその流れに入るのではないでしょうか。

渡邊 「Ansiktet」は映画音楽がテーマでしたが、「架空の映画のためのサウンドトラック」というような体裁ではなく、あくまで映画音楽史のリサーチと実験を目指していました。ただ今回のように実際映画を作ってみると、音楽は必要以上にいらないなとも感じました。環境音や効果音で満ち足りる感覚とでも言えばいいでしょうか。「ECTO」は監督、脚本、編集と音楽を僕が担当していて、編集を進めていく中で、こういう言い方は変ですが、やっぱりやりたいことは音楽だということがよくわかりました。媒体はまったく違いますが、僕が音楽でやっていることと映像でやっていることは非常に近い考え方で作っていることに気付きました。感覚的な話になってしまいますが、要はコンポジションなんです。

──「ECTO」では映像の特殊効果も印象に残りました。一例を挙げると、染谷さんが画面奥から手前に向かって走ってくるシーンやハシゴを登るシーンなど、微妙な位相ズレを意識させるのが、普段琢磨さんが音楽でサウンドに手を加えて作曲される行為に通底するところがあるのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。

渡邊 作曲の場合は音のデータをいじるという行為は当たり前で、結果もなんとなく予想できるのですが、映像を加工するのは初めてだったので予想が付かなかった部分が大きいです。特に染谷くんが走ってくるけど到達しないという、今おっしゃったシーンは当初、1分ほどの尺のフレームを全部バラバラにして加工したんです。一般的に映画は1秒間に24フレームあって、その1フレームごとに合成素材のズームの数値を増大させていくやり方であの位相がズレたような染谷くんが走る場面を作ったのですが、あとからプロの編集マンにお伺いしたところ、そんな気の遠くなるような作業をしなくてもいいらしくて、「オートズームでやればいいのに」と言われたんです。とは言え、「1フレームごとに数字を打ち込まないと、この奇妙ないびつ感は出ない」と思ったので(笑)。そのように自分なりのやり方で作った映像が「ECTO」には多々あります。

映画「ECTO」のワンシーン。©MITO ARTS FOUNDATION
映画「ECTO」のワンシーン。©MITO ARTS FOUNDATION

──音楽だけでなく、音響、音の効果の面で発見はありましたか?

渡邊 足音や効果音などを自分で作るのは楽しい作業でした。これまで関わった映画でも、整音の現場で効果のスタッフさんたちがやっていたのを、後ろからうらやましいと思いながら見てきたことがあったので、自分もやってみたいと思っていたんです。実際やってみるとなかなか骨が折れますが、それはそれで非常に楽しかった。染谷くんの足音をホワイトノイズで作ってみるとか、そういう実験もできてよかったです。

──映画において音楽と音響効果は別モノですよね。

渡邊 音楽は武満さんしかり、アーティストとして作風を確立されている方が手がけますが、録音部は組の中にありますから。ただ橋本文雄さんのような録音のスペシャリストもいらっしゃいますよね。冨永監督がおっしゃった50~60年代の日本映画では音楽家と録音技師も今よりは密な関係性だったかもしれないです。特にミュジーク・コンクレートのような手法を作曲家が用いる場合は、ほとんど効果も担当しているようなものですし。ただ近年はどこまでが音楽家のテリトリーでどこまでが録音部なり効果の担当なのか、かなり曖昧になっている気がします。整音の現場で、効果音と音楽のバランスを見るときなどは、これまでもやりとりはありましたが、それを全部自分で担当するとそこらへんのさじ加減も普通ではあり得ないようなこともできるようになるので、面白かったです。映像で見えていない音、画面に被写体は映っていないのに音だけがする場合、例えば雷の音だけが聞こえるときなどは、見え方にすごく影響するじゃないですか。そういった音の聞こえ方を試せたのは、やりたかったことがふいに実現した感じはありました。

──5月に上映される「ECTO」がどうなるのか、楽しみですね。

渡邊 「ECTO」は5月に水戸芸術館のACM劇場で上映するんですが、上映の際に弦楽のアンサンブルがサウンドトラックを演奏する予定です。通常の映画と違う形で映像と音楽の関係が表現できると思います。よく映画音楽では「外の音」「中の音」と言い方をすることがありますが、一般的に「外の音」は劇伴などの音で、効果音やセリフは「中の音」になります。それが今回に関しては、サイレント映画に音楽を付けるということでもなく、劇伴だけが外に飛び出て現場で鳴っている状態になります。さらに効果音や環境音、役者のセリフなど、「中の音」もそれぞれレイヤーを分けて出力しようと思っています。そうすることで「外の音」「中の音」の行き来といいますか、それぞれが交錯する面白さが出せるのではないかと思っています。

──舞台でしか実現できない試みということですか?

渡邊 そうです。当日は映画の中の効果音、例えば木々のざわめきを弦楽アンサンブルが演奏する場面もあります。もちろん現実の音よりは音楽的な音になりますが、標題音楽的な意味ではなく、落ち葉とか草木の揺れをバイオリンやビオラ、チェロなどで代替するということです。

──映像と音は複雑かつ多様な関係を持っていて、今回琢磨さんはそれらすべての要素を用いて全体を作曲したと言えるのかもしれないですね。

渡邊 冨永監督が音楽に助けられる部分があるとおっしゃっていましたが、その逆もまた然りで。こういう音を出しているのはこういう絵があるからですという。ただ今回、編集や映像の加工も行いましたが、これらのプロセスで得た経験を音楽の作曲行為にどうにか還元したいなという気持ちもあります。

──最後に、「ECTO」というタイトルはどういう意味ですか?

渡邊 エクトプラズム(ectoplasm)の「ECTO」です。「plasm」はギリシャ語で「物質」を指し、「ecto」には「外の」という意味があるそうです。

左から渡邊琢磨、冨永昌敬。