渡邊琢磨が監督、脚本、編集、音楽を手がける幻想怪奇映画「ECTO」が、5月25、26日に茨城・水戸芸術館ACM劇場にて上映される。「ECTO」は俳優の染谷将太が監督を務めた短編映画「清澄」から着想を得たスピンオフ作品として制作されたもの。茨城県水戸市を舞台に繰り広げる“VFX前衛ホラー”とも言える内容で、「清澄」にも出演していた染谷と川瀬陽太に佐津川愛美を加えた3名がキャストを務める。なお上映は弦楽アンサンブルによる生演奏を交えた形で行われる。
渡邊はアメリカ・バークリー音楽大学を卒業後、ソロプロジェクトCOMBOPIANOを始動。さらに内田也哉子、鈴木正人とsigh boatを結成し、COMBOPIANOをバンド編成で再編するなど多岐にわたる音楽活動を展開している。近年ではクラシックからジャズ、ノイジーなロックやグルーヴィなダンスミュージックまで幅広いジャンルを網羅した映画音楽を提供するなど、創作の領域を広げ続ける渡邊が新たなクリエイティブの対象に選んだのは、映画監督になることだった。音楽家として長らく映画に携わった彼が、なぜ今回メガホンを取るに至ったのか。また監督、脚本から編集、音楽まで、一手に担うことでどのような発見があったのか。音楽ナタリーでは「ECTO」の上映を記念して、渡邊と映画監督の冨永昌敬を迎えてインタビュー。「コンナオトナノオンナノコ」(2007年)や「ローリング」(2016年)などの諸作でタッグを組み、渡邊琢磨の映画分野における盟友とも言える冨永監督と共に、映画と音楽の深い関係について語ってもらった。
取材・文 / 松村正人 撮影 / 中野修也
寂しい映画監督
──音楽家である琢磨さんが、映画監督をすることになったきっかけはなんですか?
渡邊琢磨 茨城県の水戸芸術館にACM劇場というスペースがありまして、そこで制作を担当されている櫻井さんから「何かご一緒に」という話をいただいたのがきっかけです。櫻井さんの部署はもともと演劇が担当なので、当初は舞台に乗せる作品を考えていたのですが、二転三転して、映画制作に落ち着きました。とは言え、最初は映画制作というほど大がかりなものではなく、台本というかプロット兼企画書を作ったんです。それがその時点ですでによくわからない、これはいったいなんの話ですか、というような内容だった。その企画を水戸芸術館が内部で通してしまったというのがことの発端です。冨永監督には撮影現場にも来ていただきました。
冨永昌敬 1日だけね。水戸で撮影中に機材に不具合があったということで、たまたまその翌日に現場に遊びに行こうと思っていたから、機材屋さんからレンズのズーム機能に関するパーツをピックアップして現場に運びました。染谷(将太)くんのスタンドインなんかもやりましたよ。
──現場をご覧になって、琢磨さんとほかの監督の違いなど感じましたか?
冨永 僕はあまり人の撮影現場に顔を出したことがないんですよ。それもあって、自分の撮影現場以外の過ごし方がわからなかったので、ちょっとでもお手伝いできたらいいなと思ってたんですけど。
渡邊 撮影期間は3日間で、スタッフが決して多くない現場だったので、僕は撮影をこなすことで手いっぱいでした。いかついサングラスをかけて軍手をはめた冨永監督から「何か手伝いますよ」と言っていただけたのは助かったものの、若手のスタッフは恐縮してしましたよ。
冨永 映画監督って寂しいものなんですよ(笑)。でも、ただボーッと立っていたら邪魔だろうなと思ったんで、勝手に染谷(将太)くんのスタンドインをやりました。
映画監督の難しさ
──映画監督はお互いの現場に顔を出し合ったりはしないんですか?
渡邊 現場応援という形で入ることはあります。かつて助監督だった時代に師事していた監督が「人手が足りない」と言えば、応援することはあると思います。
冨永 例えばミュージシャンが他者のアルバムにプレイヤーとして1曲だけ参加することがありますよね。映画監督をやっていると、そういった横の交流がすごくうらやましいんです。琢磨くんのライブに鈴木正人(LITTLE CREATURES)さんがベーシストとして参加することがありますけど、そういう関係性がうらやましいんですよ。映画だと、さすがに共同監督というやり方はあまりないですし。自主映画を撮っていたときは、友達の映画に出演したり、カメラをやったりということを普通にしていましたが、職業監督に一度でもなってしまうと誰も手伝いで現場に呼んでくれなくなる。それでも軍手をはめて押しかけると、「あの人に運ばせていいんですか」と言われるようになってしまう(笑)。そのぶん現場では琢磨くんの姿をじっと見ていたんですが、それはもう立派な監督ぶりでした。
渡邊 冨永監督がいらした日はそうでもなかったですが、初日はパニクっていましたよ。まずファーストカットのシーンを撮影するとき、脇に現場の経験も豊富な助監督の上野修平さんがいらして、「それじゃあ監督、よろしくお願いします」とおっしゃるんですね。カメラの向こうには女優の佐津川愛美さんが待っている。僕は「あっ、監督。僕が監督?」という状態から始まって、「なんて言えばいいんですかね?」と上野さんに耳打ちすると、上野さんが「よーい、スタート!」と合図しちゃった(笑)。そんなふうに、初日は上野さんにずっとスタートを切ってもらうのが続いてボロボロでした。
冨永 琢磨くんは自分のレコーディングやライブでいろんなミュージシャンをまとめていて、最近やっているバンドなんて弦楽器の人ばかり10人ぐらい使っているわけでしょう。だからこうやって人を使うのもお手のものなんだなと思いました。カメラマンとのやりとりとか、僕よりちゃんとしていましたよ。
渡邊 ミュージシャンの間には音楽という共通言語があるから成り立つんですよ。今回、撮影監督をお願いした四宮秀俊さんは素晴らしいカメラマンですが、四宮さんから撮影監督ならではのお伺いというんでしょうか……例えば「このシーンは手前を“なめて”後ろ染谷くんですか?」と聞かれて、自分は面食らっていましたから。「“なめる”というのは……」という状態だったんですが、撮影が進むにつれ、有意義なコミュニケーションになってきて楽しかったです。