ナタリー PowerPush - bómi
過激派ガールズロックの新鋭 自身のルーツと変化を語る
韓国人の両親を持ち、生まれたのはニューヨーク。幼くして実の親元を離れ大阪で育った。その後、大学入学とともに上京。本格的に音楽にのめり込んだのは、大学を中退してから。社交性を閉じて1人宅録に没頭したこともあった。やがて「宝美」という本名で音楽活動を始動し、心の叫びをありのままにすくいあげるような歌を歌うようになる。ところが、彼女は昨年wtfというプロデューサーと出会ったことをきっかけに「bómi」と改名。それまでとは真逆ともいえる、エレクトロやUSインディロックなども飲み込んだサウンドに自らの歌声を乗せることになった。
最新ミニアルバム「OH MY POOKY!!!」で躍動しているのは、キュートで、ストレンジで、ナンセンスなユーモアに満ちているのにどこかリリカルでもある、彼女の多面的なポップセンスだ。ナタリー初登場となる今回のインタビューでは、パーソナルなバックグラウンドから劇的ともいえる音楽性の変化も含めて、率直な語り口で話してもらった。
取材・文 / 三宅正一(ONBU) インタビュー撮影 / 大出丈仁
「なんでもいいから自由になりたい!」と上京
──bómiさんは大阪から上京後、大学生のときに歌いはじめたんですよね。
そうですね。大学時代に御徒町凧さんと知り合って。彼と一緒にオリジナル曲を作りはじめたんです。それが私の音楽的な道が始まるきっかけでした。オリジナル曲が溜まって、ライブをやるようになってから少しずつ人が来てくれるようになって。そのあと大学は辞めちゃうんですけど、その頃から本気で歌をやっていきたいと思うようになりました。
──当初は宝美という本名で活動していた。
そうなんです。
──宝美時代の音源を聴くと、今とは音楽的なスタイルがかなり異なっていて。切実で叙情的な歌を歌いあげるような感じですよね。
そう。当時はとにかく自分が生きていることを主張したくて。そういう歌ばかり歌っていました。ずっと自分の中に漠然と埋まらない寂しさみたいなものを抱えていて。それは、家庭環境の影響もあったと思います。学校でもずっと集団生活がうまくいってなかったですし(笑)。
──ずっと所在のない感じがあった?
そう、所在ない感じだし、大阪にいた頃は「こんな金魚鉢みたいな環境で口をパクパクしていても死んじゃう!」と思っていて。「もっと広いところ行かないと!」ってずっと思っていました。
──常に「ここは自分がいるべき場所じゃない」という感覚がずっとあった。
ありましたね。私は3歳のときに親に捨てられて、ずっと養母に育てられてきたので。本当のお父さんなんて、4回も結婚してるし(笑)。それもあって、そういう感覚が強かったと思うんですよね。
──わりとあっけらかんとそう言えるのがすごいなと思うんだけど。
だって、目の前で起こっていくことは受け入れるしかないじゃないですか。受け入れない人はグレるんですかね?(笑)
──いろんな主張の仕方があると思うけど。
だから、私は変なグレ方をして上京したんだと思うんですよ。「なんでもいいから自由になりたい!」って東京の大学に入って。わりと真面目にグレたみたいな(笑)。
悲しいフリをしている瞬間に気付いてしまった
──そして、澱のように溜まっていたものが歌に表出して、そのまま宝美時代の音楽性につながっていったと。
そうだと思います。でも、そうやって歌を歌っていくうちに、そういった類いの悲しみや寂しさが、自然と昇華していったんですよね。その種の切実な思いって、私の場合は10年も20年も持てないと思ったんです。「いつまでも尾崎豊じゃいられない!」って気付いちゃったっていうか(笑)。
──すごいフレーズだな(笑)。
そう、それでとある日のことですがライブをしているときに「あれ、“今”の私はこんなこと思ってない!」って気付いてしまった瞬間があったんです。悲しいフリをしている瞬間に気付いてしまったというか。自分が見えてしまったというか、きっと形骸化してたんですね、感情が。根っこの私は、もっと自由に飛び立ちたがっていた。そうなったら「これは大変だぞ」と。何かのフリをするのは、私のポリシーに反しますから。(笑)それで「“今”の私に合ったアウトプットの方法を見つけなきゃ」と思うようになりました。
──自分にはもっと楽しい部分も存在しているし。
そうそう。元々の性格は、もっとパン!と開けた部分もあるし、9割5分はあっけらかんとしているんですよ。ところが、当時は残りの5分が自分の全てだと思っていた節があって。でも、心境って日々変わるし、ひたすら楽しいときもあれば、自分だけが世界に取り残されていると思う日もある。それに合わせて変化していける音楽のほうが自分には合っているんじゃないかと思って。そんなことを考えているときに出会ったのが、今のプロデューサーのwtfで。
──そこで一気に自分の音楽性を変化させようと思った。
そう、もっとユーモアっていうんですかね? 悲しいことをただ悲しいと表現するのではなくて、自分なりにひねりながら表現したくて。wtfのサウンドを聴いたとき、そういう音楽をやれるかもしれないって思ったんです。
──その振り切れた動力がすごく興味深いんですけど。
右か左しかないみたいになると、パーン!とそこで振り切れちゃう性格なんですよね。かなり善し悪しがあると思うんですけど、その昔、それで坊主にしちゃったこともあるし(笑)。
──要は、今立っている場所に固執しないということだと思う。居場所がないと感じていたのは、根深いコンプレックスだったと思うけど、他方でタフに生きるためにそのときどきの場所に固執しないことを本能的に学んできたのかなって。
そうかもしれないですね。ひとつひとつのことに固執するとその度に傷つくからというのはあったかもしれない。そのうちだんだんそういうことも気にならなくなっていったんですけど。例えば恋愛とかでも、毎日楽しいと思って一緒にいれたらいいと思う考え方で。「この人と絶対一緒にいなきゃいけない!」じゃなくて、今日も楽しいと思うから一緒にいる、明日も楽しいと思うから一緒にいる、楽しくないなら一緒にいない。それでいいというか。
──でも、ドラスティックな音楽性の変化には周りも驚いたのでは?
前の私の歌が好きだった人は、8割くらいいなくなったと思います(笑)。でも、180度違って、結局は同じだと私は思っていて。真逆って、どこか通ずる部分があると思うから。それを無意識の部分で感じてくれてる人は、今も昔も変わらず応援してくれてる気がします。もはや姿勢の話ですね(笑)。
bómi(ぼーみ)
1987年生まれ。韓国人の両親を持つアメリカ出身の“ユル系ロックガール”。大阪で育ち、大学入学を機に上京。2007年より楽曲制作を開始し「宝美」名義でライブやCDリリースなどを行う。2011年に新鋭プロデューサーwtf(ダブリューティーエフ)と出会ったことをきっかけに「bómi」としての活動を開始。同年7月に初のミニアルバム「Gyao! Gyappy!! Gyapping!!!」をリリースし、耳の早い音楽ファンの間で話題を集める。2012年2月に2ndミニアルバム「OH MY POOKY!!!」を発表。また、2月10日にはリリースパーティを渋谷CHELSEA HOTELで開催することが決定している。