今年バンド結成20周年を迎えたBAZRAがニューアルバム「Red Blue Green(20th anniversary album)」を8月30日にリリースした。
彼らが新作を発表するのは2008年リリースのアルバム「千回目の日曜日」以来、9年ぶり。音楽ナタリーではオリジナルメンバーである井上鉄平(Vo, G)とザ☆ミエダタクヤ(Dr)の2名にインタビューを実施。新作の話はもちろん、この9年の間でバンドにどのような出来事が起きたのかたっぷりと語ってもらった。
取材・文 / 真貝聡 撮影 / 草場雄介
バンド解散の危機から、アルバムリリースへ
──まずは結成20周年おめでとうございます! 率直にお聞きしますが、BAZRAにとってこの20年は長かったですか? 短かったですか?
ザ☆ミエダタクヤ(Dr) 長くはなかったですね。9年間は死んでいたようなもんなので(笑)。
──じゃあ、2008年以前とは時間の感覚は違いました?
ミエダ そうですね。結成して、目まぐるしくいろんなことがあったのは2008年くらいまで。で、そこに濃縮されているわけです。2009年から2017年までは2、3カ月くらいの感覚です。
井上鉄平(Vo, G) 札幌からほとんど出たことのなかったバンドが突然東京でライブをやることになって。しかも最初が当時大人気だったライブハウス下北沢CLUB Queのステージ。次に東京でライブをしたのが赤坂BLITZで、大好きなエレファントカシマシやGOING STEADYと競演した「JAPAN CIRCUIT」っていうイベント。あれよあれよとことが進んで、当時は訳が分からない状況だったんですよね。だから今よりも時間が経つのが早かったです。そこから徐々に現実を知っていくんです(笑)。現実を見せられた期間がこの9年間。自分と見つめ合って、自分自身がどんな人間なのか考える期間でもあったので、2008年以降のほうが濃密な気がしました。
──ほかのインタビューで「前作から今作リリースまでの間にバンドが解散しそうになった」と語ってたのを拝見して驚きました。具体的にはどんな状況だったんですか?
ミエダ 解散は俺から言い出したんです。メジャーとの契約が切れて、メンバーとの関係もうまくいかず、やさぐれて、もうバンドはいいやってなったんですよね。とりあえず決まったライブをこなすだけっていう感じでした。
──ライブのオファーを受けているうちに9年が経って、気付いたら解散をせずに済んだ?
ミエダ って言うよりは、解散の話をしたあとにポンポンポンと“オイシイ”ライブが決まって。今考れば「辞める」って言ったあとにオイシイも何もないんだけど(笑)。
遺作のつもりで作ったアルバム
──アルバムはどういった経緯で制作することに決めたんですか?
ミエダ 「20周年なんだから、いい加減何かやろうよ!」って周りから言われて、ですね。実は俺も「同期のバンドがいろんなことをやってるのにBAZRAは何もやらねえのかよ!」と腹の中では思ってて。だけどメンバーの顔を見たらポカーンとしていて、「新作を出さないか」って話をしても2人共我関せずみたいな感じなの。
──そんな状態でよくリリースできましたね(笑)。
ミエダ ベースのケン・ザ・スリムは俺に言われても「へ?」って反応だったのに、周りのスタッフから言われたら「そうっすよね!」って、前々から考えていたかのような素振りで「20周年なんですから、何かやりましょう!」って(笑)。
──今作をリリースすることになったのは、11年ぶりに出演した「RISING SUN ROCK FESTIVAL」(以下「RSR」)の影響も大きいそうですね。
ミエダ そうそう。札幌時代にお世話になったライブハウスの店長が「ライジングに出ようよ!」って声をかけてくれて。とは言え、そう簡単に出れるもんじゃないだろと思っていたんですけど、新しい音源を作ったら、主催者の方にも気に入ってもらえて。「北海道のバンドだからまた応援したい」と言ってもらえたんです。
──そんなきっかけもあったんですね。新曲6曲、セルフカバー6曲という構成はどうやって決まったんですか?
ミエダ 最初はベスト盤にしようっていうヒヨった考えだったんです。そしたらUK.PROJECTの社長から「ベストはマズいだろ! せめてセルフカバーだ!」って言われて、さらに「いや、むしろ新曲やれよ!」と突っ込まれまして(笑)。かと言って今からフルアルバムを作るような時間もなかったし、セルフカバーと新曲を半々で収録することに。でもいざ曲を書き始めたらどんどんできちゃって。
──どうして曲が書けたんですかね? 前作から9年もブランクがあるから、気負いがあるのかなと思いましたが。
ミエダ 天才だからですかね……というのは冗談で、「これからはライブの動員だ!」っていうのを言い訳に9年間制作活動をしていなかったけど、曲を作りたい気持ちはずっとあったんです。で、いざ作り始めたらポンポンポンって。
──制作はどのように進んでいったのでしょうか?
ミエダ スタジオでひたすら俺がメンバーに発破をかけるっていう作業です。俺が曲を作ってきて、そのイメージを伝えて、鉄平には「歌詞でカッコつけたり、嘘をついたりするなよ。自分の内面をさらけ出すような歌詞を書け」って怒ってましたね(笑)。
──キャリアを重ねた分、自分と向き合う作業は大変な気がします。
ミエダ 俺らは今の流行りがよく分からない浦島太郎状態だし、9年間も曲を出していなかったんだから、今さら取り繕う必要はないと思ったんですよ。
──さらけ出すって意味では「終わり」がすごくグッときました。BAZRAの今までを歌った曲のような気がして。
井上 「この機会を逃したら、次に新作を出すまでに誰か死んじゃうかもしれないんだから、遺作を作りましょう!」ってUK.PROJECTのスタッフから言われてこのアルバムを作っていったんですよ。「終わり」はその気持ちが強く反映された曲ですね。自分が死ぬ間際にどう思うかなってことなので、感じてもらった捉え方でバッチリです。
次のページ »
「なんちゃってね!」がないと我々らしくない
- BAZRA「Red Blue Green(20th anniversary album)」
- 2017年8月30日発売 / UK.PROJECT / DAIZAWA RECORDS
-
[CD]
2592円 / UKDZ-0187
- 収録曲
-
- マボロシ
- 9999
- どうしようもない
- orz
- 裸だけど王様
- 終わり
- オレンジ
- 解放の音
- ミハイル
- フリーダム
- 夢を見たんだ
- ダンス
20周年記念&レコ発ワンマン
- 千回目ぐらいの土曜日
- 2017年10月21日(土)東京都 下北沢CLUB Que
- 千回目ぐらいの日曜日
- 2017年11月12日(日)北海道 COLONY
- BAZRA(バズラ)
- 1997年に井上鉄平(Vo, G)とザ☆ミエダタクヤ(Dr)によって北海道で結成されたロックバンド。2000年にケン・ザ・スリム(B)が加入し現体制となり、自主制作のシングル「体温」を札幌のタワーレコード2店舗とライブ会場限定でリリースする。2002年に1stミニアルバム「ひょうろくだま」、1stフルアルバム「アホォリズム」を発表。2003年に2ndミニアルバム「腹グロッキー」を発売し、初の全国ツアー「tour 腹グロッキー 2003」を開催する。同年には「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」へ初出演も果たした。2005年にcutting edgeからミニアルバム「switch」を発表し、メジャーデビュー。2008年にフルアルバム「千回目の日曜日」をリリースしたあと、井上の持病の悪化などもあり、それ以降は不定期な活動を行っていた。結成20周年イヤーの2017年9月に古巣であるDAIZAWA RECORDSよりニューアルバム「Red Blue Green(20th anniversary album)」をリリースした。