Bank Bandが2枚組ベストアルバム「沿志奏逢 4」を9月29日にリリースした。
「沿志奏逢 4」のDISC 1には、宮本浩次 × 櫻井和寿 organized by ap bankによる新曲「東京協奏曲」をはじめ、フジファブリック「若者のすべて」、岡村靖幸「カルアミルク」、KAN「何の変哲もないLove Song」、HEATWAVE「トーキョーシティーヒエラルキー」などのカバーを加えた計13曲を収録。DISC 2には野外イベント「ap bank fes」での貴重なライブ音源が全12曲が収められ、18年間にわたる活動の集大成と言える作品が完成した。
音楽ナタリーでは「沿志奏逢 4」のリリースを記念して全2回の特集を展開。第1回では小林武史のソロインタビュー(参照:Bank Band特集第1回|小林武史インタビュー)を掲載したが、今回は小林と、本作のジャケットのデザインを手がけたアートディレクター・森本千絵との対談を行った。持続可能な社会をテーマにさまざまな活動を行っているap bankの代表理事も務める小林と、ap bankに立ち上げ当時から関わっている森本が、音楽、アート、環境問題などについて語り合う。
取材・文 / 森朋之撮影 / 堀内彩香
緊張しながらも届けたメッセージ
森本千絵 石巻のライブ(8月29日に宮城・マルホンまきあーとテラスで行われた、小林武史と櫻井和寿による音楽イベント「ワン・バイ・ワン・プラス ~10年目のフレームより~」。ゲストにSalyu、四家卯大、沖祥子が参加)、とてもよかったです。
小林武史 ありがとう。緊張したけどね。瞬発力とスピード力が大事だったから、呼吸が合わないとバラバラになってしまいそうな感覚があって。実際、すごいエネルギーが必要だったんですよ。櫻井くんも相当デカい声を出してたし。
森本 メッセージを届けたいという気持ちが強かったからでしょうか?
小林 それもあっただろうね。「Reborn-Art Festival」(小林武史が実行委員長を務める芸術祭)の中で展示している「呼吸する波」(写真家・夏井瞬による作品)があるじゃない? 「ワン・バイ・ワン・プラス」の演奏もまさにそんな感じだったんだよ。定型がなくて、呼吸と波動に任せてやっているというか。結果としてはすごくいいライブだったと思うし、やりきれたという手応えはあったけどね。
森本 “波”という感覚はよくわかります。エンタテインメントを超えて、波乗りをするときに感じるように、緊張感を持ってメッセージを伝えようとしていて。
小林 うん。タイトルの「ワン・バイ・ワン・プラス」でいえば、まず「ワン・バン・ワン」は「1×1」のことで、普通に考えれば「=1」にしかならない。それだけだと「それで?」くらいの話になるんだけど、今回のライブは1対1による一期一会の音を目指していたし、実際、そうなりやすい編成だったんですよね。
──小林さんのピアノと櫻井さんの歌が軸になっていて。
小林 ええ。やり直しが効かないし、やり直す意味もないというのかな。レコーディングだと「今のテイク、やり直していいですか?」ということがいくらでもあるし、そうやって音を重ねるんだけど、今回のライブはそういう環境とはまったく違っていて。あの瞬間、あの場所でしか生まれない音との出会いを作る、音楽的な試みでもあったんです。英語の「one by one」には、“1つずつ”や“それぞれ”という意味があるんだけど、それも僕と櫻井くんにピッタリだなと。
森本 まさに、そうですね。
小林 「ワン・バイ・ワン・プラス」の“プラス”の部分は、会場で観てくれた人や、配信で観てくれた人の中に起こる“何か”。こちらが狙った通りにも、計画した通りにもいかないものを指しているんですよ。もう1つの意味でいうと、演奏させてもらった場所ですね。会場のマルホンまきあーとテラスは本当にきれいなホールなんです。石巻は震災でもっとも大変だった場所の1つだと思いますが、10年前の石巻の姿からは想像できないような音楽ホールのステージというフレームの中で、未来につながっていく波紋のように“プラス”になるといいな、と。
縁側でやっている感覚
──森本さんは、ap bank(小林武史、櫻井和寿[Mr.Children]、坂本龍一によって設立された非営利組織)の立ち上げのときから深く関わっていらっしゃいますよね。
森本 はい。最初のタイミングから巻き込んでいただいております(笑)。
小林 そうだね(笑)。
森本 ap bankが設立されたのは2003年で、そのときからデザイナーとして関わらせてもらっています。ap bank発のイベントが「ap bank fes」「Reborn-Art Festival」といろいろな形になっていきましたが、私自身も多くのことを体験させてもらい、どんどん意識も変化しました。こういうプロジェクトは、人が集まり、お金が動き出した段階で、フレームをきっちり固めようとすることが多いですが、小林さんは形を決めようとしない。まさに呼吸をするようにプロジェクトを変化させ続けているんですよね。実際、2003年と現在ではまったく状況が違いますし、この先も何が起こるかわからない。これからは、アンコントロールなものに対応していくためには、小林さんみたいなやり方じゃないとダメなんだと思います。
──2011年の東日本大震災、現在のコロナ禍もそうですが、時代が大きく変わるような出来事も起きてますからね。
森本 「ap bank fes」も、どんどん変化してるんですよ。開催される場所が変わったり、複数の場所で行われたり、震災後はアートが介在するようになり、それが「Reborn-Art Festival」につながって。音楽やアートから受ける感動や、背中を押されるような感覚はずっと変わりませんが、形は同じものがひとつもない。それはきっと、小林さんが音楽家で、演奏する人だからでしょうね。ビジネスがスタートだったらこうなってないと思いますし、小林さんが中心でいる限り、終わりはないんだと思います。今はクルックフィールズ(千葉県木更津のサステナブルファーム)も運営してますし、「ap bankとは?」と聞かれてもどこから話してよいかわからず、すぐには説明できないです(笑)。「まずは最新のライブを観て」とか「とりあえず石巻の『Reborn-Art Festival』に行って感じてみて」と言うしかないんですよね。
小林 そうだね(笑)。千絵とは最初、Mr.Childrenの仕事で出会ったんですよ。
森本 “防波堤”ですね。2001年のベストアルバム(『Mr.Children 1992-1995』『Mr.Children 1996-2000』)のときに初めてアートディレクターとして参加させていただいて、沖縄の方たちと防波堤に歌詞や絵を描いて広告を作ったんです。アルバム「It's a wonderful world」(2002年発売)では、電車の中吊りポスターをレースで作って。
小林 あのアイデアもよかったよね。
森本 ニューヨークのテロ(アメリカ同時多発テロ事件)の直後に、小林さんから電話をいただいたんです。「アルバムの内容も、見せ方も、テロのことを踏まえて、意識しメッセージすべきではないか」という話から、「この世をもういちど好きになってみる」というコピーとともに、経済や政治にまつわるビジュアルを表現したレース編みの中吊り広告として着地しました。電車内に飾ってもらったものは1週間くらいで全部盗まれちゃいましたけど(笑)。
小林 (笑)。極めつけはアルバム「HOME」(2007年発売)のアートワークですね。家系図のデザインになっていて、キャッチコピーが「僕がいる。ありがとう。」。それはつまり、僕やMr.Children、千絵だけではない、ほかの誰かが存在しているということなんですよ。千絵がディレクションした作品からは、常にそういう“歓声”が聞こえてくるんです。リアルな表現だったり、ファンタジックに振ったり、作品によって違うところもあるんだけど、ずっと“利他”のセンスが感じられて。利他というのは、ボランティアや福祉的な心というだけではなくて、他者のために行動することで初めて、自分が存在していることがわかることというか。
森本 それも小林さんから受け取っているものが大きいと思います。Mr.ChildrenやSalyuさんのアートワーク、kurkku(サステナブルな消費や暮らしの在り方を提案するブランド)のお店のデザインなどもそうなんですが、まず、小林さんがそのときに考えていることを放ってくれます。その話は、例えば企業の「この商品の売り上げ目標はこれくらいで、そのためにこういうデザインをお願いしたい」みたいな案件とはまったく違います。
小林 そうかもね。
森本 小林さんの考えを聞いて、そのことで私自身の中にあった壁が取っ払われて。世の中に対して感じていること、そこに向けて届けたいメッセージだったり、寄り添える力になりたいという気持ちが呼び起こされるんですよね。結果的にはデザインとして着手するんですけど、その過程を通して、「ここに踏み込むことは、私にとっても、大切な人にとっても必要」と思えるんです。小林さんとの仕事は、“こっち側”“あっち側”に分かれることなく、自分の家の縁側でやっているような感覚なんです。
──デザイナーとして関わることで、人生や生活に影響があると。
森本 すごく影響されてますね。私、「HOME」に関わらせてもらったあと、当時の会社から独立してgoen°をつくりました。大企業の箱ではなく、個のつながりを意識し、船出をしたんです。
小林 そうだったんだ(笑)。
森本 それもたぶん、ファンやリスナーの皆さんと同じように、歌や作品に背中を押されたんだと思います。小林さんとの仕事や作品には、そういう力があるんです。先ほど話した“防波堤”の広告もその1つです。防波堤の近くの病院では、歌詞や絵を描くことで、入院患者さんのための景色を作っていて、Mr.Childrenの広告もその1つになれました。ただデザインするだけではなくて、作品を通してドラマが生まれ、たくさんの人に波及していくんです。そういう経験を通して、「自分や他者を含む世界をどうデザインするか?」ということを考えるようになりました。毎回毎回、いろんなアイデアを出させてもらいますが、その中で小林さんも櫻井さんも、私の本心をさらけ出したピュアなアイデアを拾ってくれるんです。
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ひさしぶりの再会を表現