「ASKAって誰?」を掲げた大規模ツアー開催に向けて示す「これがASKAだ」 (2/3)

ASKAの裏テーマ「ありったけでいく」

──ASKAさんのブログを拝見したところ、今回のツアーは現在制作中のアルバムのプロモーションツアーではないそうですね。

ええ。だって皆さん新しいアルバムの楽曲を聴きたいと思ってないですもん。もちろん新作を出せば喜んでくれますけど、やっぱり今の年齢層、コンサートに来られる方、お子さん連れで来られる方は自分が一番聴いてた時期の楽曲がステージで再演されることの喜びのほうが大きいと思うんです。だから僕は60歳を過ぎたあたりから「これからの音楽生活はありったけでいきます」という裏テーマを持っていて。デビューからそのときまでの楽曲を全部含めて毎回バランスよく選んでいきますという方針なんです。新曲もあるかもしれないけど、それは必要だからあるだけで、というプログラムにしたいですね。

ASKA

──長いキャリアで名曲を生み出した中、若い世代の方にも「これがASKAの音楽だ」と説明できるセットリストになりそうだと。

もちろん新しいアルバムの曲や未発表曲もやるかもしれませんが、そこはうまく構成していくつもりです。エンタテイナーとしてね。と言うのも、日本のエンタテインメントに対する考え方と、アメリカのエンタテインメントはまったく違うわけです。ラスベガスを見たらわかりますよね。日本は与えられたお金の中でどうやってやろうかと考えるけど、向こうはまず「これをやりたいんだ」ってところから始まる。なぜそれができるかというと、世界が相手だからなんですよね。でも、「だから日本とは違うんだよね」と言ってても、いつまで経っても超えられない壁になってしまうので、しっかりとお金をかけたツアーになると思います。

──ASKAさんはこれまでステージ演出をはじめ、エンタテインメントの部分においても意欲的に取り込んでいらっしゃいますよね。

デビュー当時から演出家がいないので、僕は。ずっと演出もやってきたから、なんとなく僕の音楽を聴いてくれる人、観に来てくれる人に向けた見せ場、聴かせ場の演出というものは僕なりにあって。それは失っちゃいけないと思ってるんで、これからもそれはやります。とりあえずこれだけの公演数があるので、中止することなく2024年から2025年にかけて、しっかり見せていきたいと思います。今さらここでパンデミックもないでしょうし。

──参加する側も今から旅行気分ですごく楽しみなところですが、これまでのツアーでの体験が歌に昇華されたこともあるのでは?

自分の中でこれだ、とは明確に説明できないんですけど、やっぱり場数は踏んできたから確実にあると思います。

──移動中の車窓や飛行機の窓から見た景色が楽曲にフィードバックされたことは?

それはないです。移動中は寝てますから(笑)。以前は全然眠れなかったんですけど、最近はもうどこでも寝られるようになったので。と言うのも、大変な数のツアーで何が嫌だったかって、乗り物に乗っての移動ですよ。だって若いとはいえ、会場に着いてすぐリハーサルやって、ライブやって、ホテルに泊まって翌朝出発する。その連続ですから眠れないんです。歌うことは好きだけど、そこに行くまでのアプローチですよね。新人で要求を言えない時期はトラックも小さかったし。僕らがデビューした頃はまだ日本のアーティストのツアーが確立されてなかったから、ずいぶんとフォーマット作りをしてきた気がしますね。「史上最大の作戦」(CHAGE and ASKA「史上最大の作戦 THE LONGEST TOUR 1993-1994」。1993年10月10日の盛岡市アイスアリーナを皮切りに翌年4月10日の国立代々木競技場第一体育館まで全70公演開催)のときに一番大きなトラックを30台かな? トラックがずーっと連なるんですね。あの頃のセットはすごかったですね。CHAGE and ASKAのロゴの入ったトラックと修学旅行生の乗ったバスがすれ違うと、学生たちがワイワイしてたなんて話もあって。いい時代でしたよ、そういうことを喜ぶのって。

ギター

ASKAは今“ビッグソング”を制作中

──現在ASKAさんが取り組んでらっしゃる音楽制作についても教えてください。

今作っているのは、“ビッグソング”と呼んでいるスケールの大きな曲です。デビュー11年目のアルバム「SEE YA」(1990年)はロンドンでレコーディングしたんです。そこで「True」という曲で大ブレイクしたSpandau Balletというバンドのキーボーディスト、ジェス・ベイリーと知り合って。彼は「DO YA DO」「太陽と埃の中で」を一緒に編曲して、CHAGE and ASKAの転機になるきっかけを作ってくれた。一昨年ひさしぶりにまたつながることができて、Zoomで「またアルバム一緒に作らない?」と声をかけたら、すごく盛り上がってくれたんです。それでさっそくジェスに1曲、「こんな感じにしてくれ」と送ったら、さすがジェスだなって感じのアレンジが返ってきました。それを聴いて、今の自分のサウンドとまだまだフィットするなと思って、もう1曲送りました。だから、もしかすると今回のツアーでその“ビッグソング”と言われる曲は披露できるかもしれないです。お客さんと一緒に歌えるような楽曲なので。……ただ僕ね、ステージから「一緒に歌ってください」って言うのが、すごく苦手なんです。アーティストによっては、一緒に参加させることをエンタテインメントにしている方もいらっしゃいますけど、僕はやらないんです。でも、今回の曲は自然とそういう声が客席から聞こえてくるような楽曲じゃないかなと思いますね。僕からそうしてとは言わないですけど。

──ASKAさんの作るメロディと、イギリス独特のサウンドは昔から相性がいいと思っていました。

ロンドンに住んでいた頃は僕の転換期でしたから。あの頃、Simply Red(イギリス・マンチェスター出身のポップ / ソウルバンド)のウェンブリーアリーナ公演を観に行ったんですよね。彼らはヨーロッパでは日本では考えられないほどの人気で、あのウェンブリーアリーナの大きさでチケットが即完売ですから。あの公演はフジテレビの海外事業部が協賛してたのかな、「チケットないよ」と言われてたんですけど、行けばなんとかなるんじゃないかと思って、関係者入り口で「フジテレビ」って言ったら入れてくれたんです。なんとかなるもんだなって(笑)。連れて行かれた席の真後ろがマイケル・ジャクソンでした。向こうでもミュージシャンの枠ってあるんだなと思いましたね。多くの人が、ロンドンに行ってから僕の音楽性が変わったって言うんですけど、実際はずっと部屋の中で作っていたに過ぎなくて。一番変わったのはマインドだと思います。海外のアーティストを特別だと思わなくなった。確かに音作りは海外のほうが進んでいるけど、メロディ作りに関してはなんら負ける気がしなかったですから。ああ、メロディこういう感じで作ってるんだ。それよりもこっちのほうのがよくない? 俺だったらこう作るなと思いながら作ってたんで。

──当時のSimply Redは、ASKAさんのレコーディングにも参加したドラマーの屋敷豪太さんが在籍してましたね。さらに屋敷さんは1991年に正式メンバーとしてアルバム「Stars」のレコーディングに参加し、2年間におよぶワールドツアーでも活躍して。

あれも面白い話ですよね。豪太はプログラマーでしたから。1992、93年ぐらいって、イギリスにいる日本人がすごく増えた時期なんですよ。リージェントストリートを歩いていて、日本人が来たら顔を伏せなきゃいけないくらい。当時は日本の経済状況もまだよくて、取引のある銀行や証券会社の人たちはみんな日本語を勉強してました。そのくらい日本に影響力があったんです。どこでもがれてしまったのかわからないですけど。

──それから30年が経ち、日本語で歌った楽曲がそのまま海外でヒットする時代になりました。

もともと英語がわからなくてもサウンドとメロディとボーカルを楽しむ文化が、全世界の人にあったじゃないですか。「向こうで評価されるには英語で歌わないとダメだ」みたいな妙な風潮が昔はあったんですけど、最近は逆になりましたよね。逆というか、受け入れる文化。日本語を聴いてもなんら違和感がない文化が世の中にできたということです。

──先ほどロンドンで「俺だったらこういうふうに作るのにな」という話がありましたが、2017年にASKAさんがYouTubeで呼びかけた「君が、作詞作曲してみな!」企画を思い出しました(ASKAの楽曲「Fellows」の1コーラス分のインストバージョンに歌詞、メロディ、タイトルを付けた作品投稿を募集した企画)。

あれは面白かったですね。「皆さんの作品を全曲聴かせてもらいます」という約束をちゃんと守って、400曲以上聴きました。結果、いいミュージシャンがたくさん出てきましたね。今の若いミュージシャンの子たちはライブをこまめにやって登り詰めていくスタイルですけど、ちょっとかわいそうだなと思うのは、僕らの頃はコンテストがあったわけで。そこでグランプリを獲ってデビューっていう道があった。僕は別にグランプリは出さないですけどね。音楽を志す人はコンテストに応募することで、自作曲を誰かに集中して聴いてもらえるから、そういう場を提供できたのはよかったなと思って。応募者の中には10人ほど、いい人がいたんです。でもプロフィールを見たら、みんなプロでした。だから申し訳ないけど、そこは素人とプロの違いなんだなって。プロアマ問わずいいフレーズ、いい言葉を皆さんたくさんお持ちで、キラリと光るものは確かにあるんだけど、プロはその生かし方が違いますよね。これいいな、と音源だけ聴いてピックアップしたのは全部プロのものでした。

──やはりアマチュアの方はプロになれとは言わずとも、その壁を超えて光るところがないとなかなか難しそうですね。

今作ってるアルバムでも、同じ企画をやってみようかなと思ってます。