芦田菜名子(Vo)と音楽プロデューサーのRYUJAによる音楽プロジェクト・7coが、台湾出身のシンガーソングライター兼プロデューサーである王ADENとコラボした楽曲「ちょうどいい(feels just right)feat. 王ADEN」を配信リリースした。
7coと王ADENは、ともにSpotifyが躍進を期待する新進アーティストを紹介するグローバルプログラム「RADAR」に選出されているアーティスト。日本の次に台湾のリスナーが多い7coは、感情豊かなR&Bスタイルでリスナーの心に届く歌声を持つ王ADENに声をかけ、7coとしては初の純愛バラード曲「ちょうどいい(feels just right)feat. 王ADEN」を完成させた。
音楽ナタリーではこの楽曲のリリースを記念して、芦田にインタビュー。7coの結成経緯や音楽性に加えて、「ちょうどいい(feels just right)feat. 王ADEN」の制作エピソードを聞いた。また特集の最後には、王ADENのメールインタビューも掲載する。
取材・文 / 真貝聡
めちゃくちゃ目まぐるしい1年だった
──7coは2022年の結成以降、コンスタントに楽曲をリリースし、ワンマンライブの開催や大型フェスの出演など、精力的に活動されていますね。
私もRYUJAさんも以前は同じ事務所に所属する職業作家で、お互いにクライアントから依頼を受けて曲を作っていて「7coを組めば自分の好きな音楽を作れるし、ちょっとした息抜きになりそうだね」くらいの軽い気持ちで始めたんです。そしたら、いつの間にか作家よりも7coの仕事の比率が大きくなりまして。
──芦田さんとしては予想外だったわけですね。
特に、今年はめちゃくちゃ目まぐるしい1年でした。
──どこで追い風になりました?
やっぱり、今年の「RADAR: Early Noise 2025」(Spotifyが2025年に躍進を期待する次世代アーティスト)に選出してもらったことですね。そこから「恋愛後遺症」など、楽曲を聴いてもらえる数が一気に増えた感じがします。
──ラジオやテレビの露出も増えましたね。
今年に入ってから、番組に呼んでいただけることも増えましたね。
──最初は息抜きのつもりで始めたとおっしゃいましたが、7coが注目されることに対して、ご自身ではどう感じていますか?
曲を聴いてもらえる機会はだいぶ増えたけど「SUMMER SONIC 2025」への出演などはいろんな方のプッシュがあってこそなので、来年が勝負だと思っています。
──「SUMMER SONIC 2025」や「FM802 MINAMI WHEEL」に出演されて、手応えはいかがでしたか?
フェスのお客さんは音楽好きな人が多いのもあり、会場の空気も温かったし、すごく充実した気持ちでパフォーマンスできました。こちらが盛り上げに行こうとしなくても、すでにみんなが盛り上がってるから、私たちも楽しかったです。
RYUJAがいるから、どんな歌を乗せてもいい感じになる
──7co結成に至るまで、芦田さんはどんな活動をされていたのでしょうか?
私は中学生の頃に弾き語りを始めて、レコード会社のオーディションも受けまくっていたけど、ことごとく落ちてました。で、DTMを触るようになってから、歌うことよりも曲を作るのが好きになり、作家に転向したんです。それでRYUJAさんと一緒に楽曲提供をずっとしていたんですけど、あるとき「菜名子ちゃん、歌をやらない?」と誘ってもらって7coを結成しました。先ほども言った通り、本気の音楽活動じゃなくて「気分転換になったらいいかな」くらいの感覚でしたね(笑)。
──RYUJAさんから誘われて、すぐに動き出したんですか?
はい。お互い提供曲以外にストックが20曲以上あったので、最初は「ストックから曲を出していこうか」って。2人とも曲を作るのは速いので、パパッと作ってポンと出す感じでした。
──RYUJAさんのアーティスト性について、どんな印象をお持ちですか?
RYUJAさんと私は聴いてる音楽のジャンルが全然違っていて。RYUJAさんは洋楽のヒップホップとかR&Bをたくさん聴かれているんですけど、私が聴くのはもっぱらJ-POP。なので、7coではお互いのルーツのちょうど真ん中を表現しているんじゃないかな、と思います。
──7coを始めるにあたって「こんな音楽を作っていこう」という話し合いはされました?
いや、特に話していないです。最初はとにかく手探りだったので、1曲目の「APPLE PIE」がなんでああいう曲調になったのか覚えてないんですよね。とりあえず2カ月に1曲は絶対に出す、と決めて始めました。
──いつからお二人の間で7coの音楽性が定まりました?
いつの間にか、なんですよね。RYUJAさんの洋楽っぽいリズム感のトラックに、私がメロディと歌詞を乗せることによって、お互いに手応えを感じていった。今も楽曲制作をしながら迷うことはあるんですけど、RYUJAさんの中で「こういうジャンルの、こんな感じでいきたい」というしっかりした軸があって。「僕はこう思ってトラックを作っているから、菜名子ちゃんがどんな歌を乗せようと、いい感じになるから大丈夫」と言って曲を送ってくれる。それが大きいと思います。
──RYUJAさんのトラックが楽曲の基盤になっているから、芦田さんがどういう歌詞やメロディを乗せても7coの音楽になると。
そうですね。「大丈夫だよ!」といつも言ってくれています。
──頼もしいですね。普段はどのように楽曲制作をされているんですか?
RYUJAさんがトラックを10曲ほど送ってくれて、その中から私が1曲を選んでメロディと歌詞を付けて送り返します。そこからRYUJAさんにフィードバックをもらうんですけど、ほぼ1発でオッケーになることが多いです。
──曲によって制作にかかる時間はまちまちだと思いますが、だいたいどのくらいで1曲できます?
メロディと歌詞を付けるのは基本1日ですね。RYUJAさんもトラックを作るのがめちゃくちゃ早いから、そんなに時間はかからないと思います。
──それはお二人が職業作家だからこそなんですかね。
うん、それは大きいのではないかと。
家入レオさんにはいつかお会いしたい
──芦田さんはどのように音楽の知識を得て、楽曲制作の腕を磨いていったのでしょう?
3歳からバイオリンを習っていたんですけど、11歳くらいでバレーボールにハマったのを機に、そのままバイオリンから離れまして。で、中学のときにボイトレに通ってる友達がいて、その子について行ったら歌うのが楽しくなって、再び音楽を始めました。それで歌詞を書くようになり、高校に上がったら作曲もするようになって、大阪と京都と兵庫で路上ライブをしながら、ライブハウスにも立ってました。同時にレコード会社のオーディションを受けつつ、みたいな下積みを送っていましたね。音楽の専門学校に進学するのを機に上京して、DTMをやり始めたら作曲するのが楽しくなりました。ありがたいことに、2018年にはあるオーディションでグランプリをもらいまして。それで一度はレコード会社に所属したんですけど、すぐに辞めて作家に転向しました。そこから作家事務所に入って、RYUJAさんと出会って3年後に7coを結成して今に至ります。
──下積みがあったとはいえ、かなり順風満帆な印象を受けましたけど。
いや、そんなことはないんです。本当だったら弾き語りをしていた時点でレコード会社に所属したかったので(笑)。ジャンル的にはJ-POPが好きなんですけど、時代に合わせつついろんな曲を作るようになりましたね。
──J-POPで言うと、どんなアーティストを聴いてきたんですか?
ずっと聴いているのは宇多田ヒカルさん、家入レオさん、椎名林檎さん。弾き語りをやっていたときはYUIさんを聴いていました。あと、アイドルソングにハマった時期もありました。振り返るといろいろ聴いている感じですね。
──惹かれるアーティストの共通点は?
私が好きになるアーティストのラブソングは、どれも恋が実っていない気がします。あと、前向きな曲にも若干の陰が入っている。陰の要素を感じるところに私は惹かれますね。それこそ家入レオさんもそう。私、中学生のときに家入レオさんの握手会に行ったことがあって。背が低かった私と目を合わせるために、レオさんがわざわざ屈んでくれたんですけど、緊張しすぎてまったくしゃべれなくて。でも、そのときに「私、音楽で食っていこう」と思ったんですよ。いつかプロになって、どこかでレオさんにお会いできたら、この日のことを言おうと決めて歌詞を書き始めた。それくらい、レオさんの歌詞にはすごく影響を受けていますね。
──握手会に行って、音楽の道に進もうと決意したんですか?
そこで決意しました。だから、その日のことはめちゃくちゃ覚えてて。野外のフリーライブでCDを買ったら特典として握手をしてもらえたんです。でも全然しゃべれなかった。またどこかで会いたい、そのためにも音楽で食っていくと決めました。
絶対音感を身に付けられたのはバイオリンのおかげ
──ちなみに、バイオリンで弾いていたのはクラシック?
そうですね。
──早くからクラシックに触れていた人って、J-POPを敬遠する印象があるんですが、芦田さんはどうでした?
私は全然なかったです。バイオリンを始めたきっかけは親でした。せっかく通わせてもらったのに、そこまで私のモチベーションが上がらず、今はもう弾けません。
──では、クラシックだけが好きなわけではなかったと。
はい。今考えると絶対音感を身に付けられたのはバイオリンのおかげなので感謝はしてますけど、「クラシックがめちゃくちゃ好き」ではなかったですね。オーケストラのコンサートを聴きに行っても寝てたし、ときには「音が大きくて寝られない!」と言って(笑)。小さい頃はむしろ苦手でした。それでも親に「あと1年、あと1年はがんばって」と言われて続けていました。
──ご両親も音楽をやっていたとか?
そういうわけではないです。お父さんは教師で、お母さんは専業主婦なんですけど、そういうわけではないです。お父さんは教師で、お母さんは専業主婦なんですけど、「音楽とスポーツは絶対にやらせたい」と言ってくれて。お姉ちゃんはピアノを習っていましたね。そこからお姉ちゃんはテニス、私はバレーボールをやるようになりました。とにかく習い事をたくさんやらせてもらった記憶があります。
次のページ »
「コミュニケーションLike 坂元裕二」




