「夢の雫、黄金の鳥籠」「天は赤い河のほとり」|王、花、三角関係、空、そして猫 篠原千絵が描き続けた“トルコ・ロマン”に思いを馳せるWeb原画展

篠原千絵インタビュー

トルコを長く描き続けてこられたのは、ずっと旅行者のままだから

──テーマごとのイラストにコメントをいただき、ありがとうございました! 「天は赤い河のほとり」のヒッタイト帝国と「夢の雫、黄金の鳥籠」のオスマン帝国、3000年ほど時代が違いますが同じくトルコを描かれています。通算だと20年近く、篠原先生はトルコを描き続けていることになりますね。

トルコは大好きですし何度も訪れておりますが、私は住んだこともないし、いまだにトルコ語も話せません。最初に訪問して以来30年近く、ずっと旅行者のままなのだと思います。でも旅行者だからこそ見るものがいつも新鮮で、トルコを知らない日本の読者の方々に、初心者目線でトルコを紹介できる。それが長く描き続けてこられた理由かなあとも思います。不勉強の言い訳なのかもしれませんが……(笑)。

──私も「天河」を読んで赤い河を実際に見たくなり、トルコに旅行に行きました。作品を読んでトルコの魅力を知る読者も多いと思うのですが、篠原先生が考える「トルコを描く魅力・楽しさ」を教えてください。

「天は赤い河のほとり」14巻より。現代の女子中学生だったユーリは日本に帰ることよりカイルを助けることを選び、古代ヒッタイトで生きることを決意する。

やはり歴史でしょうか。トルコの歴史は時間という縦軸も悠久で、土地という横軸も雄大で、どこを切り取っても魅力的な時代ばかり。そして近世の歴史はともかく、詳細のわからない謎な時代も多くて描き手の想像力をとっても刺激してくれます。その場所に行って、そこの空気を感じるとワクワクするんです。

──「花」や「空」のコメントを読んで、篠原先生がご自身で感じたトルコの空気感をイラストに落とし込もうと試行錯誤していることがわかり、裏側を知れたようでうれしかったです。カラーイラストを描くときに大事にされていることや心がけていることを教えてください。

ヒュッレムの顔を撫でる手は、スレイマンとイブラヒムのどちら……?

褒めていただいてありがたくも赤面ですが、やはり雰囲気でしょうか。扉絵の場合はその作品のイメージを大事に。雑誌の表紙や何かのポスターなどは編集者の方と相談しますが、やはり仕上がりの雰囲気が大切だと思っています。潮の香りがするイスタンブルや乾いた中央アナトリアといった“場所の雰囲気”も意識しますが、例えば恋愛をテーマにしたとき、甘さを表現するのか緊張感を表現するのかといった“ムードとしての雰囲気”も気にします。それに、私はサスペンスやホラーも好きなので、不穏やオドロオドロしい雰囲気ももちろん選択肢のウチです(笑)。あとは実際問題、私たちマンガ家が描くカラー画はほとんどの場合画面に文字が載るので、どこにそのスペースを置くかをまず考えますね。

──なるほど。今回のコメントを書いていただくにあたりイラストをご覧になって、ご自身の絵の変化の有無などは感じましたか?

びっくりするほど変わってないな、という感じでしょうか(笑)。

──あはは(笑)。確かに篠原先生の絵は、昔からスタイリッシュなのに妖しい色気があって独特です。長いキャリアの中のどのイラストを見てもすぐに「篠原先生の絵だ!」とわかるので、変わってないのかもしれません。

ありがとうございます。ディテールは少しずつ変化しているかもしれませんが、自分では基本的には変わってないように思います。一色原稿に使用するペン先にしろ、カラー原稿のカラーインクにしろ、デビュー前から変えてないんです。改めて考えると、そういう物理的なことにはかなり保守的なのかもしれません。そのせいでしょうか、昔のほうが勢いがあってよい絵を描いていたように思います……。でもこれもちょっと言い訳をさせていただくと、今描いている舞台がオスマンの後宮なので女性のアクティブなシーンを描くことが少なくて。本来は躍動的な絵が好きなので、ちょっと寂しい気はしています。

──「天河」のユーリも「闇のパープル・アイ」の倫子も「海の闇、月の影」の流風・流水も、みんな大暴れしていましたもんね(笑)。今回、改めて篠原先生のカラーイラストを見たり作品を読んだりしたら、背景に花を描かれていることが多いと気付きまして。背景に花、というのは少女マンガの王道かもしれませんが、先生はどんなシーンを表現したいときに花を描くんでしょうか?

「夢の雫、黄金の鳥籠」1巻より。ヒュッレムがスレイマンと初めて結ばれたシーンでも、花が描かれた。

少女マンガの背景に花、というのはもう古典的な手法ですよね……。でも、もうすっかり居直って花を入れるのは大好きです(笑)。もともと、自分の絵が少女マンガとしては華やかさに欠けると自覚があるので、少しでも華やかにしたくて入れ始めたのが今ではルーティンになっているのでしょう。ただ「花」のコメントにも書きましたが、水が豊富だったハットゥサに蓮、イスタンブルにトルコの国花であるチューリップなどがあると、場所の雰囲気を出すのには役立ってくれると思います。

──確かに、作品の世界に没入するのに一役買っているのかもしれません。2002年に完結した「天河」から、2010年に連載が始まった「夢の雫」までの間、篠原先生は「水に棲む花」「海に墜ちるツバメ」「刻だまりの姫」など立て続けに日本を舞台にした作品を発表されていました。先ほどはトルコの魅力について質問しましたが、「日本を描く魅力・楽しさ」はどこにありますでしょうか?

トルコが未知の国の魅力だとしたら、日本は知った場所の意外性でしょうか。「ずっと知っていた場所にこんなことがあったのか」とか「こう展開するのか」という思いがけなさを楽しんでいただけたらうれしいなと思ってます。

今年、最終回を描きたいと思ってました

──「夢の雫、黄金の鳥籠」が、今年で連載10年目に突入しましたね。おめでとうございます。

10年!! ただただびっくりです。こんなに続けられると思っておりませんでしたし、もうそんなに経ったのだと驚いています。読んでくださっている読者の方と編集者さんに心から感謝しております。

──この10年間で、一番思い出深い出来事はなんでしたか?

仕事に関しては、「天河」が終わってからもうご縁がなくなったかなと思っていたトルコに、またご縁が繋がって何度か行けたことでしょうか。プライベートではやはり猫ですねえ。

──篠原先生の猫好きは有名ですし、ご自身のTwitterにも猫のかわいい姿やがんばって闘病している姿を頻繁に投稿していらっしゃいますね。

ええ、「天河」連載時にどんどん増えていった猫たちが、「夢の雫」を描いている今、次々にいなくなっています。ですが、どの子も天寿を迎えてのことですので仕方ないと思っていて。うちに来てくれてありがとう、そばにいてくれてありがとうと感謝以外ないです。先ほど10年経ったように思えないとお答えしましたが、時の流れは猫で感じていますね(笑)。

──時の流れというと、今年2020年は「夢の雫」のスレイマン様ことスレイマン1世の即位500年にあたる記念の年だとか。13巻に「なんらかの区切りの年にしなくては」と先生のコメントがありましたが、どんなお考えがあるのでしょうか?

それはもうスレイマン即位500年の今年、最終回を描きたいと思ってました。ですが、今までぐずぐず描いていたのが祟って、最終回に想定していたエピソードにたどり着かなくて(笑)。悪戦苦闘してます。

──ラストに想定しているというエピソードを読むのが楽しみなような、まだまだ「夢の雫」の世界に浸っていたいような、複雑な気分です。これまでのストーリーを振り返ってみて、印象に残っているシーンを挙げるとしたらどこですか?

「夢の雫、黄金の鳥籠」1巻より。ヒュッレムが初めてイスタンブルを見るシーン。

まだアレクサンドラだったヒュッレムが初めてイスタンブルを見るところでしょうか。イスタンブルは本当に魅惑的な街なので、私自身が初めて見たときもとても感動したのを覚えてます。

──1巻で描かれた、異国情緒のある見開きのシーンですね。ほかにもありますか?

「夢の雫、黄金の鳥籠」12巻より。モハーチの戦いで勝利したオスマン帝国の欧州領はブダ(ハンガリー)まで拡大した。

ロードス遠征のエピソードです。ロードス島は現在ギリシア領なので取材はアテネからのアクセスが便利なのですが、どうしてもスレイマンの行程でロードス島に行ってみたくて、スレイマンと同じくトルコのマルマリスからフェリーで渡りました。実際の場所を見ているので、戦闘の様相や城を攻防する両軍の位置関係などとても描きやすかったです。そのためかエピソードが必要以上に長くなってしまった気が……。

──ロードス島での戦いが描かれた6巻は、ほぼヒュッレムが登場せずにスレイマンもイブラヒムも戦いに明け暮れていましたね(笑)。でもそのおかげで、イブラヒムがヒュッレムを手に入れるためになんとしても手柄がほしいと奮闘する姿が堪能できました。

本当はモハーチの戦いを描くときもハンガリーに取材に行きたかったのですが、スレイマンの遠征のたびに行っていたら間に合わないし、話もさらに長くなってしまうので我慢しました(笑)。

ユーリとヒュッレムの違い

──「天河」と「夢の雫」は同じ歴史ものというくくりながら、「天河」はオリジナルのヒロイン、「夢の雫」は実在の人物をヒロインに据えています。それによる描き方の違いはありますか?

ヒュッレムが実在の人物でユーリが架空の人物だから、ということで描き方の違いや苦労は特にありません。どちらの話もラストは決まっていて、その間をどう繋げていってどうラストにたどり着くかという描き方です。

小さく貧しい村の教会の娘だったヒュッレムは、奴隷として売られるところをイブラヒムに買われ、知性と教養を身に付けてオスマントルコ帝国の皇帝に献上される。妾として後宮に入り、寵愛を受けて側室に、皇帝の子供を産んで第二夫人に、そして寵妃となっていく。

──なるほど。篠原先生は以前のインタビュー(参照:Sho-Comi50周年特集 第6回 篠原千絵インタビュー)で、過去作は「連載の行く先は私が一番見えていなくて、最もハラハラドキドキしていたのはたぶん作者の私」とストーリー展開をかっちりと決めずにライブ感のある描き方をしていたとおっしゃっていました。「夢の雫」は史実がベースにありますが「天河」のようにラスト以外は試行錯誤しながら、という描き方なんですね。

はい。どちらも同じようハラハラドキドキしながら悪戦苦闘しています(笑)。ただ、ユーリのほうが私にとって描きやすいキャラクターだったので、動かすのは楽でした。ユーリと違うタイプのヒロインを描こうと思ってヒュッレムを描いているのですが、あまり得意なタイプではないので、いまだによくわからず苦労しております……。

──篠原先生は前のインタビューで、ヒュッレムを主人公にした連載を始めたことについて「ヒュッレムという女性はかなり面白そう」「ダークヒロインの系統という描き方のできる女性」とおっしゃっていました。先生はヒュッレムのどこを「面白い」と感じたのでしょうか?

まず、オスマンの歴史では女性の記録はほとんど残っておりません。かろうじて誰かの妻や娘として名前くらいが残っているだけで、具体的にどんな人で何をしたのかわかっていません。なのにヒュッレムは悪女と言われている。ヒュッレム視点だと悪女と言われる行動にはいろいろと理由があるだろうし、それはいくらでも創作できるんです。なので想像力を掻き立てられました。

「夢の雫、黄金の鳥籠」10巻より。頻繁にキスをするスレイマンとイブラヒム。

──ヒュッレムの生き方からは、教養と知識の大切さ、後宮という自由が制限された場所であってもしなやかにたくましく、能動的に生きることの大切さを感じます。そのヒュッレムを含めた三角関係でお伺いしたいことがありまして。これはただの興味なのですが、なぜスレイマンとイブラヒムは頻繁にキスをするのでしょうか?

なぜと言われても……(笑)。スレイマンとイブラヒムはそういう関係だという噂があるんです。「ヒュッレムは悪女だ」というのと同様に私自身、出典は知らないのですが、ヒュッレムを交えた三角関係がより面倒くさい……つまり面白いことになりそうだと取り入れている次第です(笑)。

──ありがとうございます、すっきりしました! 今回の特集は「天河」読者も多く読んでくれると思います。「天河」読者に注目してほしい、楽しんでほしい「夢の雫」のポイントはどこになるでしょうか?

自分の意思でなく見知らぬ国に連れてこられ、君主に寵愛されて側に仕えるというのは同じですが、ユーリとヒュッレムは物の見方も行動原理も違うタイプの女性と捉えていただけたらうれしいです。紀元前14世紀のヒッタイト帝国と、紀元16世紀のオスマン帝国はまったく違うので、2人の少女はまったく違う苦労をするわけで。

──似たような状況に置かれても時代も主人公の行動原理も違うから、異なるストーリーが展開されていく。「夢の雫」がどんな結末を迎えるのか、今から楽しみです。最後に、「夢の雫」読者にメッセージをお願いします。

基本的にエンタテインメントとして楽しんでいただければと思いますので、読者の方々にメッセージ……と言えるほど主義主張を持って描いているわけではないのですが。21世紀に生きる私たちも、君主に仕えるわけでなくとも自分の行く先を探すには別の苦労があるわけで、誰のマニュアルも役に立ちません。ですからそれぞれのポジションでそれぞれの考え方で、マンガを読んでいただければうれしいです。そして、そのご自分の見方で読んだ感想を聞かせていただければ、私にとっても勉強になりますし心からうれしく思います。

「夢の雫、黄金の鳥籠」最新14巻 書店フェア&CM情報
書店フェアでもらえるクリアしおりのラインナップ。モノクロのイラストは今回のフェアのために描き下ろされたもの。

最新14巻の発売を記念し、既刊を対象とした書店フェアが開催。1冊購入につき全5種のクリアしおりから1枚が進呈される。全5種のうちモノクロの1種は今回のための描き下ろし。フェアの詳細や対象となる書店リストはプチコミックの公式サイトで確認しよう。

また元宝塚歌劇団の七海ひろき出演によるテレビCMとPVも制作された。7月8日発売のプチコミック8月号、7月17日発売のプチコミック増刊夏号、8月5日発売の姉系プチコミック9月号(いずれも小学館)にはそれぞれ七海のグラビアとインタビューが掲載される。

「夢の雫、黄金の鳥籠」「天は赤い河のほとり」特製コラボビジュアル

プチコミックの公式サイトでは、本特集でも使用されている「夢の雫、黄金の鳥籠」「天は赤い河のほとり」それぞれのイラストのスマホ壁紙を7月17日より期間限定で無料配布する。気になる人はサイトにアクセスしてみよう。