山本さほ「岡崎に捧ぐ」
夢への背中を押してくれた2人の幼なじみ
山本さほインタビュー
「どうせ山本さんの人生はそうやって終わるんだ!」
──「岡崎に捧ぐ」3巻、「山本さんちのねこの話」、そして「無慈悲な8bit」2巻の発売おめでとうございます。マンガ家としてデビューしてからまだ2年と数カ月で3冊同時発売というのもなかなかないことだと思うんですが、改めて山本さんがマンガを描き始めたきっかけから教えていただけますか?
2014年、私が28歳のときに、岡崎さんから「結婚する」と報告を受けたんですね。その頃の私は一般企業に勤めていて、仕事をして家に帰ったらゲームをするっていう毎日だったんですけど、そのことを杉ちゃんに注意されたんですよ。
──杉ちゃんは「岡崎に捧ぐ」にも登場する、山本さんのもう1人の幼なじみですね。
その杉ちゃんに渋谷の居酒屋に呼び出されて。「岡崎さんは結婚して幸せになるのに、山本さんはいくつになってもゲームばっかりやってて。それでいいのか!」って怒られたんですよ。そうやって杉ちゃんが私にいろいろ言ってきたのはそれが初めてだったんですけど。
──ええ。
杉ちゃんは私がマンガ家になりたかったことを知っていたから、「ゲームばっかりやってないで、マンガ描きなよ!」って言うんです。でも私は美大の受験に失敗してから絵の道は完全に諦めてたので、「ゲームがしたいから嫌だ」「『DARK SOULS II』やりたいから嫌だ!」って反抗して。そしたら煽ってきたんですよね。「どうせ描かねーんだろ!」みたいな。
──挑発してきた(笑)。
「どうせ山本さんの人生はそうやって終わるんだ!」ってムカつくことを言ってきたから、私もムキになって「そんなに言うんだったら描いてやるよ!」って言い返したのがマンガを描き始めたきっかけですね。岡崎さんから結婚の報告を受けたのが2月で、結婚式は11月の予定だったのでその期間だけ描いて、岡崎さんに見せて終わりにしようと思ってたんです。ただそれまでの間、描いたマンガをどうしようかなと思ってたときに、杉ちゃんが「noteっていうWebサイトが始まったらしいよ」って教えてくれて。ちょうどその頃サービスが開始したばかりで注目が集まっていたときだったので、試しにアップしてみたらSNS上で話題になったんですね。で、5~6話を公開した頃には出版社さんから連絡が来るようになっていて。当時は作品の題名も決まってなかったくらいだったので、まさか今こうやって連載することになるとは、そのときは想像してなかったです。
──杉ちゃんの先見の明もあり。
そうですね。当時はTwitterに1ページのマンガを上げるのが流行りたての時期で。内容がなくてもマンガさえ上げてたらすぐ拡散されてたんですよ。「最近寒いねー」みたいなことを描いただけでもリツイートされてた。
──そこまで?(笑)
その時期に、杉ちゃんが「1ページのマンガを描いて毎日アップしろ」って言ってきたんです。言われた通り、ノートにペンで一発書きしたなんでもないマンガを毎日上げていったんですけど、それが拡散されてTwitterのフォロワー数も増えていって。そこからnoteにマンガを見に来てくれる人も増えたんですよね。私はSNSに疎かったのであんまり使いこなせているタイプじゃなかったんですけど、杉ちゃんはそういうものにすごく詳しくて。「これからnoteが来るらしい」「Twitterでこういうのが流行ってる」とかいろいろ教えてくれて、それが全部当たった感じでしたね。
──話を聞いていると、杉ちゃんのプロデュース力がすごいですね。
ホントに杉ちゃんのおかげですね。時代の流れもあって、ラッキーが重なってマンガ家になれました。
何を描いても「最高!」って言ってくれる杉ちゃん
──そうやってどんどん話題になる山本さんの様子を見ていて、杉ちゃんはどんなことを言うんですか?
最初は「俺のおかげだな」「今度奢れよ」っていう姿勢でしたね。
──あはは(笑)。マンガの内容についてはどんな感想を?
私は自分のマンガに対してホントに自信がないので、「これ面白いでしょ?」って思いながら描いたものってほとんどないんですよ。だからその当時は1枚1枚、いつも公開する前に杉ちゃんにマンガを見せてたんです。でも杉ちゃんは適当だし、別に編集さんじゃないから細かいアドバイスをくれるわけでもなくて、何を送っても「最高!」って返ってくるんですよ。
──ただ褒めてくれる(笑)。
いつも「最高!」って言ってくれるから、その反応を見て「あ、イケるのかな……?」って恐る恐るアップするみたいな。だから杉ちゃんの「面白いよ!」っていう後押しのおかげで公開することができてました。
──山本さん自身はどんなテンションで描かれていたんですか?
私がマンガで描いているのって、居酒屋でする“すべらない話”なんですよ。飲みの席で「小学生のときにこんな子がいて、こんなことしてたんだよね」って話したらみんなが笑ってくれたエピソードをそのままマンガにしてる。でもしゃべりで笑わせるのと絵で笑わせるのは全然違うので、「笑ってくれるかな……?」って、いつも不安な気持ちでした。
──でも読者の方から「ここ笑いました」っていうメッセージをもらうこともありますよね?
そうですね。やっぱりSNSにマンガを上げてよかったなって思うのは、「面白かったです!」っていう反応が直に届くこと。それを見て「あ、よかった。面白かったんだ」って安心してまた次が描けるっていうのを繰り返してましたね。
──そのほかにはどんなメッセージをもらってました?
当時はセリフも手書きだったので、めちゃめちゃ誤字脱字の指摘が来てました。
──あ、感想ではなく(笑)。
もう、対応できなくなるくらい。「この字の線が1本足りません」とか。みんなやっぱり気になるんですね(笑)。私は本当に適当なので、漢字とかも適当に書いちゃうんですよ。だけどいろんな人からすごく怒られたので「これが人目に触れるってことなんだな」って思いました。
──指摘でその実感が湧いたと(笑)。「岡崎に捧ぐ」は学生時代のいわゆる“あるあるネタ”みたいなものも多く含まれてると思うんですけど、そこに対して共感の言葉が届くこともありますか?
皆さん「岡崎に捧ぐ」を読んで記憶の引き出しを開ける感じなんですかね。今でもファンレターに自分の幼少期の話を書いてくださる方は多いですね。実は、そういった共感の感想が来たときにびっくりしたんですよ。私は「みんなもこういうことあったよね?」って描いたわけじゃなくて、ただ自分の思い出話を描いていただけだったので。「こういう変な小学生いました」とか「岡崎さんみたいな子いました」「岡崎さんは私です」とかそういう感想が届いて、「あ、これって“あるある”だったんだな」って初めて気づきました。
──中学生編で山本さんが「靴下のラインが1本じゃなくて2本だと先輩にしばかれる」っていう噂を聞くシーンがあったじゃないですか。あれを読んで「私の中学校は3年生にならないと紺色の靴下を履いちゃいけなかったな」って思い出しました。1年生で履いてた子は先輩に呼び出されてたので。
へええ(笑)。不思議ですよね、あれ。先生が言ったわけでもないのに勝手にルールが作られてて。大人になって考えるとすごく馬鹿みたいなことなのに、当時は自分たちにとってもすごく大きなことなんですよね。そうやって内容は少しずつ違うけど、みんなが思い出すような出来事を描いていたんだなっていうのは感想をいただいてから知りました。
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- 山本さほ「無慈悲な8bit」 / KADOKAWA
- 2巻 / 2017年2月28日発売 / 750円
- 1巻 / 発売中 / 750円
山本さほ(ヤマモトサホ)
1985年8月1日生まれ、岩手県出身。2014年3月、Webサービス・noteで発表したWebマンガ「岡崎に捧ぐ」が、同年10月にビッグコミックスペリオール(小学館)で連載開始。そのほか週刊ファミ通(KADOKAWA)で「無慈悲な8bit」、まんがライフ(竹書房)で「ひまつぶし4コマ」を連載中。