コミックナタリー Power Push - 大場つぐみ×小畑健「プラチナエンド」

担当編集者が今だから言える「DEATH NOTE」「バクマン。」コンビのこれまで、これから

打ち合わせで出た以外の案をネームにしてきた

──連載中、大場先生と小畑先生と3人で集まって打ち合わせすることはあったんですか?

一切なかったですね。「DEATH NOTE」のときでいえば、多分おふたりが会ったのって編集部の新年会などで3、4回くらいです。

──ストーリーの展開や絵についてお互い、特に意見を交わしたりはせず。

吉田幸司氏

そうですね。おふたりとも互いの領域には口を出さなかったです。自分の領域で最大限やることが第一という感じでしょうか。たとえば読み切りを描くとなった最初のときですが、リュークは大場先生のネームだと人型の悪魔的なビジュアルで描かれてたんですよ。小畑先生は、まずはそのまま美形な人型悪魔に描いていたんですけど、そのキャラデザを見せられた上で「美形じゃなくてクリーチャーっぽい感じでもいいですか」って言われて。確かに死神が美形だと、それに目を奪われて全部持っていかれちゃうんですよね。実際の主人公は少年なので、ストーリーの邪魔になる。だったら小畑先生の言うようにクリーチャーっぽいほうがいいですね、みたいな話はしたりしました。ボツになった死神はメチャカッコよかったですけどね(笑)。

──では、ストーリーの打ち合わせも基本的には大場先生と吉田さんのおふたりで行っていたんですね。「DEATH NOTE」は次週への引きが強い作品だったので、考えるのも大変だったのではと思うのですが。

毎週必死だったっていう記憶しかないですね。ラストのイメージはもちろんあったんですけど、どれくらいの長さの物語になるのかなどという具体的な部分までは、さすがに決まっていなかったんです。なので「こういう状況になりましたけど、来週はどうしますか」っていうところから、毎回打ち合わせが始まって。

──えっ、それであんなに伏線を張り巡らせていたんですか。

まず僕が前回までのストーリーを踏まえて「こういう感じになるんじゃないですかね」っていう予想を、思いつく限り言うんです。そこから大場先生といろいろ話をしていくんですが、最終的には「じゃあ、そうじゃないのを考えます」っておっしゃって打ち合わせが終わることが多かったですね。

──そこから本当にまったく別の展開を描いたネームが上がってくる。

「DEATH NOTE」より。

そうですね。もちろん必ず毎回そうだったわけではないですし、大場先生が「来週はこうしたい、こうなるんじゃないか」と言われるときもありましたけど。あのマンガの本質的な面白さって、「いかに読者の予想を裏切れるか」っていうところに尽きたと思うんです。世の中には面白いアイディアやストーリーまで考えられる才能ある編集者も稀にいますけど、自分はそういうタイプではなく一般人なんです。でも一般人が思いつくようなことを限りなく並べれば、大場先生としては「これは一般人が思いつくこと」「予想できること」となるので、「そこ以外のところに面白さが眠っているのでは」と考えやすいんじゃないかと思うんですよね。その点では一般人でも、一般人だからこそ編集はアイデアを考える役に立てるんじゃないかと思っています。

「バクマン。」は描かれたらやりにくいことだらけ

──その後のおふたりの2作目が、まさにそういったマンガ家と編集者の関係を描いた作品でもある「バクマン。」ですが、こちらに関しては吉田さんは完全にノータッチ?

「バクマン。」はね、僕まったく関わってないです。「DEATH NOTE」が終わってしばらくした後に、大場先生から「ジャンプのことをマンガにしたら面白いと思うんですよね」とは伺っていたんですけど。当時はもう、おふたりの担当を離れていたので。

──実際に読んでみていかがでしたか。吉田さんをモデルにした編集者も登場しますが。

「バクマン。」より、吉田氏と彼が担当するマンガ家・平丸一也のやりとり。

自分と同じ名前のキャラが出るのは本当に嫌でしたね(笑)。

──あんなにたくさん登場しているのに(笑)。アニメ版では「才能がある人間がマンガを描かないのは罪だ」と熱い編集論も語っていらっしゃって。

「罪だ」なんてそんなこと言ったこともないですよ(笑)。ただ、「バクマン。」の吉田氏がやっていたエピソードと似たことをやったというのはありました。「D.Gray-man」の星野先生に、いつだか言われて思い出しましたが。どのエピソードかは言いません(笑)。話を戻すと、これは僕がマンガ業界で働いているから感じることだと思うんですけど、実は最高と秋人に対しては「この2人、嫌な奴だな」って思ってました。偉そうというか、勘違いしたようなこと言うじゃないですか。

──思春期特有の、根拠のない自信が全面に出ているというか。

挫折を経験するまでの序盤は、「うーん自信あるなあ」と。あと、たとえフィクションだとしてもジャンプの内情として描かれてしまうと、中で働いている身としてはやりにくいなあっていうのがいっぱいあって、「バクマン。」は嫌なマンガでしたね(笑)。でも、僕は3年半前にジャンプからヤングジャンプに異動になったんですけど、改めてもう1回読んだら面白かったです(笑)。

「DEATH NOTE」は誰が担当でも面白くなったとずっと思っていた

──「バクマン。」を担当されていたジャンプ編集部の相田さんが、キネマ旬報2015年9月下旬号の「バクマン。」特集で、「相田さんの『バクマン。』を読んで、『DEATH NOTE』は両先生と僕の3人による共作なんだと言い切れる自信を持てた」と吉田さんに言われたとおっしゃっていました。この言葉にはどのような意図があったんでしょうか。

「DEATH NOTE」1巻

そんなことを言っていたんですね。実際は共作なんてそんな偉そうなことを言う気はなくて、「自分が担当だったとは言えるなあ」という感じです。「DEATH NOTE」が始まったときって、僕はまだ入社3年目のペーペーだったんですね。先ほどの打ち合わせの話もそうですけど、普通のことを言っているだけで、大場先生は面白い話を描いてきてくれて、小畑先生はすごい絵をあげてきてくれる。運良く担当をしていただけで、あのマンガは誰が担当しても面白かっただろうし、ヒットしたはずだと、ずっと思っていたんです。でも「バクマン。」が始まってしばらく経ったときに、もし自分が担当だったら展開が少し違ったんじゃないかなと、ふと思ったんですよね。とにかく最高と秋人の性格が悪いと思っていたので、そのあたりを大場先生と話し合ったりしたかもしれない(笑)。

──主人公2人の性格が悪いという発言、2回目ですね(笑)。

「バクマン。」14巻。表紙は七峰透が飾っている。

複数人にアイデアを出してもらって、それでマンガを作るっていう七峰の話とかは「ベースはこれでいいけど、彼もマンガが好きって部分を見せませんか」と言ったかもしれません。僕が感情移入しすぎなだけで、冷静に考えれば敵だからいいじゃんっていう話なんですけどね。もし彼のいい部分が増えたら、倒したときの爽快感も減るでしょうから、あの形のほうがいいんだろうなとも思います。でも、自分が実際見てきたマンガ家さんはみんなそうだったからなんですけど、「やっぱりマンガ家はマンガが好きで、一生懸命描いている」と思ったりしてしまって。たられば話をしても意味がないですが、自分が担当していたら「バクマン。」が違う話になったかもしれないと考えると、「DEATH NOTE」もほかの人だったら別のマンガになったかもしれないと思って。そうしたら初めて自分も役に立てていたのかもしれないって、思えるようになりました。それでも全体の5%くらいかなという感じですが。

原作:大場つぐみ 漫画:小畑健「プラチナエンド」

中学校の卒業式当日、同級生が卒業に浮かれるなか独り中学校を後にする、架橋明日(かけはしミライ)。生きることに希望を見出せない彼は、いったいどんな道を歩むことになるのか……。これは、人と天使の物語である。

「ジャンプスクエア12月号」 2015年11月4日発売 / 590円 / 集英社
「ジャンプスクエア12月号」

ジャンプスクエアの創刊8周年を記念した、大場つぐみ原作による小畑健の新連載「プラチナエンド」が表紙と巻頭カラーでスタート。「DEATH NOTE」「バクマン。」「プラチナエンド」のA4版カラー複製原稿セットが手に入る、3号連続での応募者全員サービスも行われる。また浅田弘幸「テガミバチ」が完結するほか、蒼樹うめの描き下ろしポスターが付属。

今号よりデジタル版も、少年ジャンプ+やジャンプBOOKストア!などの電子書店にて配信中。

大場つぐみ(オオバツグミ)
大場つぐみ

2003年、週刊少年ジャンプ(集英社)にて小畑健とタッグを組んだ読み切り「DEATH NOTE」で、原作者としてデビュー。読み切りを元にした同名作を2003年から2006年にかけて週刊少年ジャンプにて連載。同作は映画、アニメ、TVドラマ、ミュージカル、小説化などさまざまなメディアミックスが行われるヒット作となる。その後2008年から2012年にかけ、再び小畑とコンビを組み「バクマン。」を週刊少年ジャンプで連載し、アニメ化、実写映画化を果たす。ジャンプスクエア2015年12月号(集英社)にて、三度小畑とタッグを組み新連載「プラチナエンド」をスタートさせた。

小畑健(オバタタケシ)
小畑健

1969年生まれ、新潟県出身。1985年に「500光年の神話」で第30回手塚賞準入選。1989年に週刊少年ジャンプ(集英社)にて「CYBORGじいちゃんG」で連載デビュー。1991年に連載を開始した泉藤進原作による「魔神冒険譚ランプ・ランプ」以降、主にマンガ原作者と組んで活動している。ほったゆみ原作による「ヒカルの碁」で2000年に第45回小学館漫画賞、2003年に第7回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。ジャンプスクエア2015年12月号(集英社)より、大場つぐみ原作による「プラチナエンド」をスタートさせた。大場原作ではこのほか、「DEATH NOTE」「バクマン。」も手がけている。

吉田幸司(ヨシダコウジ)

2001年、集英社に入社。同年より週刊少年ジャンプ編集部に配属される。2012年に週刊ヤングジャンプ編集部に異動した後、2014年よりジャンプスクエア編集部に所属。これまでの主な担当作品に「DEATH NOTE」「D.Gray-man」「めだかボックス」「All You Need Is Kill」「大斬-オオギリ-」など。