「ミューズの真髄」文野紋インタビュー|トラウマに夢でうなされる、克服できていないコンプレックスがある……。そういう人に届けたい、23歳OLの人生リセット・ストーリー

美大受験に失敗して以来、自分に自信をなくしてしまった主人公。やがて彼女は、数年ぶりに絵と向き合うことを決めるが、唯一の家族である母親は自分を理解しようとしてくれない。主人公はそんな母親に別れを告げ、大きなキャンバスを手に裸足のまま家を飛び出す──。月刊コミックビーム(KADOKAWA)で連載中の「ミューズの真髄」は、そんなドラマチックな幕開けから始まる23歳OLの人生リセット・ストーリーだ。

コミックナタリーでは「ミューズの真髄」の著者・文野紋にインタビューを実施。1巻発売後に届いた反響や、作品やキャラクターに込めている思いなどを聞いた。3ページ目には「ミューズの真髄」の第1話を無料公開している。

取材・文 / 青柳美帆子

キャラクター紹介

「ミューズの真髄」1巻より、瀬野美優。

瀬野美優(せのみゆう)

23歳の事務員。高校生のとき美大受験に失敗し、それ以来自分をさらけ出さず、母親の言いなりで生きてきた。鍋島との出会いをきっかけに前向きな気持ちを取り戻し、再び絵と向き合うことを決意。しかし「絵を描きたい」という気持ちを母親に否定され、家を飛び出すことに。

「ミューズの真髄」1巻より、鍋島海里。

鍋島海里(なべしまかいり)

広告会社勤務の男性。古着屋で掘り出し物を見つけるのが好き。美優は合コンで出会った鍋島を「わかってる人」だと感じ、好意を寄せるが、勇気を出して心の内を語ってみたところ、彼から傷付くような言葉を返されてしまう。だが鍋島の本心は……。

「ミューズの真髄」1巻より、龍円草太。

龍円草太(りゅうえんそうた)

高円寺でバーを経営している。絵が好きで、キャンバスを抱えていた美優に声をかけた。美優が抱いた第一印象は「柄の悪い人」。しかし彼が美優の忘れ物を届けてくれたことで、一転「めっちゃいい人」に。その後も美優の心が折れそうなとき、ふと背中を押してくれる存在になる。

「いまだに夢に見るコンプレックス」に向き合う話

──1月11日に文野紋さんの初連載作「ミューズの真髄」の単行本1巻が発売されました。Twitterでも第1話を「美大コンプの女が裸足で家を飛び出す話」として投稿され、1.3万リツイートの大きな反響になっています。主人公の美優(みゆう)は美大受験に失敗して以降、鬱屈した日々を送っているが……というスタートです。

就活だったり、受験だったり、部活だったり、大人になっても引きずっているトラウマって、きっとみんな持っていると思うんです。そういったトラウマやコンプレックスと向き合う話を作りたいと思ったのが「ミューズの真髄」です。

第1話より、主人公の美優がキャンバスを持ってベランダから飛び降りるシーン。文野紋は、ここが話を組み立てるとき最初に決まったカットであり、第1話の中でも気に入っているシーンだと話してくれた。

第1話より、主人公の美優がキャンバスを持ってベランダから飛び降りるシーン。文野紋は、ここが話を組み立てるとき最初に決まったカットであり、第1話の中でも気に入っているシーンだと話してくれた。

──文野先生自身、美大を受験していて、進学を諦めた経験があると伺いました。

油絵を描いていて、国立の美術大学に進学したいと目指していたんですが、2年浪人したけど受からなくて。私立美大は学費が高いので、家庭の事情から美大進学を諦めました。その経験から5年以上経っているのに、いまだに美大を受験する夢を見るんですよ……(苦笑)。その話を自分の絵の先生にしたら「私もいまだに見るよ」と話してくれたことがあって。「これはいつか描いたほうがいいテーマなのかもしれない」と思いました。

──美優にとってのトラウマは「美大受験」ですが、美大を受けたことがない読者でも、自分にとっての「トラウマ」と重ねて読めると感じました。読者からの反響はどんなものがありましたか?

「面白かった」や「元気になる」といった前向きなコメントをいただけることがすごく多くてうれしいです。前に出した短編集の「呪いと性春」と比べて前向きな話なのもあって、そういうコメントをいただけているのかなと。

──確かに、じっとりとした空気感が印象的な「呪いと性春」とはまた違った方向性です。

個人的な好みで言えば、バッドエンドやいわゆるメリーバッドエンド(※一般的な幸福ではないかもしれないが、本人たちにとっては幸福のような結末)が好きなんです。ただ、連載のように長い期間キャラクターを応援する作品だと、いろいろな面を見せていたいと思っていて。なので、今までに比べると「物語全部で、ちゃんと前に向かっていくような話にしたい」と意識しています。

「呪いと性春 文野紋短編集」©文野紋/小学館

「呪いと性春 文野紋短編集」©文野紋/小学館

──「呪いと性春」は学生主人公のものがほとんどですが、「ミューズの真髄」は社会人主人公です。

はい、20代で会社員をやっている設定です。私は会社に勤めた経験がないので難しいかもというイメージがあったんですが、今回初めて女性の担当編集さんとマンガを作っているので、会社員エピソードを聞きながら描いています。

異性の内面は、よくわからない「天災」

──第1話で登場した男性キャラクター・鍋島は、美優の心を強く揺さぶったキャラでした。ところが1巻収録の第4話では鍋島の視点から物語が描かれ、読者は「えっ、そんなこと考えてたの!?」と驚く。

鍋島はもともと、古着にまつわる違う連載の登場人物として考えていたキャラでした。服を着る理由って人それぞれあって、女性だったら「武装する」という話も聞きますよね。知り合いの男の子が「ユニクロを着るのが怖い」と言っていたことがあって……。

──ユニクロが怖い?

カッコいい人がユニクロを着ていたらそっちのほうがカッコいいに決まってる、服以外の部分が際立ってしまうからユニクロを着るのが怖い、人とかぶらない古着しか怖くて着れない……という。彼の話から「服を着ることでコンプレックスを隠しているキャラ」のイメージができました。古着の連載企画自体は実現しなかったんですが、コンプレックスと向き合って進んでいく女の子と、また違うコンプレックスを抱えている男の子を出会わせたら面白いかなと「ミューズの真髄」に登場することになりました。

第4話より。周囲からは“イイ男”に見られている鍋島だが、その心の内は……。

第4話より。周囲からは“イイ男”に見られている鍋島だが、その心の内は……。

──鍋島のコンプレックスは第4話で少し明かされますが、第1話の時点でも感じとることができるのが面白いと感じます。鍋島の部屋の雰囲気が、美優が思っているような男性じゃないのかもと感じる余地がある。思ったよりも生活感があると言いますか。

古着YouTuberとかを見ると、お店みたいな古着部屋の人もいるんですよね。でも、鍋島はそうじゃないのかなと。生活の中に増えちゃった古着を並べてるイメージです。さっき話したユニクロが怖い男の子の部屋を見せてもらって、参考にさせてもらいました。

──第4話は期間限定で、Twitterでも公開されていらっしゃいました。

第4話は、特に女性読者さんから「かわいい」というコメントをもらったのが印象的でした。実際鍋島がいたらすごく迷惑じゃないかなと思いますが(笑)、これまでキャラクターに着目してコメントいただくことがあまり多くなかったので、新鮮でうれしかったです。

──第2話で美優と出会う龍円はどのように生まれたのでしょうか。1巻の時点では掴みどころがなく、美優や鍋島とは対照的なキャラなのかなという印象も受けます。

私にとって異性って、「なんだかわからないけど、踏み込んでくる存在」という存在なんです。大雨や嵐みたいな、自分の力でどうしようもなくて抗えない、それが来るか来ないかはもうあっち次第で、わからないけど襲いかかってくるもの。鍋島は行動や理屈が比較的わかりやすい男性ですが、龍円は美優視点では本当にわからない「天災」のようなイメージのキャラです。でも、「コンプレックスが本当にない人」はいないと思っているので、彼の内面には何かあるけど、主人公視点ではわからないことも多いかもしれないというイメージで描いています。

第2話より、龍円。キャンバスを置いたままいなくなってしまった美優をわざわざ探し、荷物を届けてくれる。

第2話より、龍円。キャンバスを置いたままいなくなってしまった美優をわざわざ探し、荷物を届けてくれる。

──鍋島もそうですが、短編集「呪いと性春」にもすこし歪な価値観の男性キャラが登場しています。そういったキャラが文野先生自身お好きなんでしょうか。

鍋島も、なんだったら美優も、けっこう「ダメ」なところがあるのかなと思っています。男性キャラに限らず、そういう欠点があるキャラには愛着が湧きますね。最近、ポレポレ東中野で東海テレビのドキュメンタリーがイベント上映していて、週に何度も通っていたんですが、中でも「ホームレス理事長 -退学球児再生計画-」が好きでした。高校をドロップアウトした球児のためのNPO野球チームのお話なんですが、球児たちはみんないろんな事情があって、未成年なのにタバコを吸っている子もいるし、監督も体罰で捕まった経験があったり、理事長もNPOの運営が全然うまくいかなくて取材班に「お金貸してください」なんて言っている。みんな欠点があって「どうしようもない人だな……」と思ったりもするんですが、いいところもちゃんとあって、応援したい気持ちも芽生えてくる。そういうキャラクターや作品が好きなのかもしれません。