映画「僕が愛したすべての君へ」「君を愛したひとりの僕へ」が、10月7日に2作同日公開される。原作は2016年6月に刊行された乙野四方字による同名小説。並行世界を行き来することができる世界で、1人の少年がそれぞれの世界で別々の少女と恋に落ちるラブストーリーが描かれる。2つの世界が絡み合い、お互いがお互いの世界を支え合うという設定が話題を呼び、シリーズ累計発行部数は40万部を突破した。映画では異なる監督・スタジオが制作を担当。また両作の主人公・暦役として宮沢氷魚が出演し、「僕が愛したすべての君へ」のヒロイン・和音役を橋本愛、「君を愛したひとりの僕へ」のヒロイン・栞役を蒔田彩珠が演じている。
コミックナタリーでは映画の公開を記念し、その見どころを紹介。観る順番で結末が大きく変わるという、挑戦的なアニメ映画を味わうための足がかりにしてほしい。
2つの映画で完成する、「僕愛」「君愛」の世界
文 / 太田祥暉(TARKUS)
真正面から「もしも」に立ち向かった新感覚のアニメ映画
「もしも〇〇だったら……」と、選ばなかった未来について考えたことがある人は多いのではないだろうか? 例えば、あの高校に受かっていたらとか、あそこで勇気を振り絞って告白をしていたらといった運命を左右する大きな出来事。もしくは、今日の朝ごはんのおかずにウインナーを付けるか否かといった、些細な出来事。そんな数々の選択の果てに今の僕らは立っているわけで、もし違う方向に進んでいたら自分はどうなっていたかと考えることもあるだろう。
「もしも」について最も想像しやすいものは、アドベンチャーゲームの選択肢かもしれない。主人公(プレイヤー)は無数の選択肢と対峙し、ベストと思われるものをチョイスしていく。その結果、幾つかのルートに分岐。選ばれる未来や結ばれるキャラクターたちが変わってくる。現実もゲームと同じで、選択が異なっていれば出会っていなかった人もいるだろうし、知り合っていたにしても関係性が別のものになっていたかもしれないのだ。
近年のアニメやライトノベルを俯瞰してみると、そんな「もしも」を描いた作品がいくつか見受けられる。例えば、「Re:ゼロから始める異世界生活」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のように、タイムリープによって別の選択を掴もうとするもの。ひとつの未来の先を見てから、分岐点に戻ってやり直す主人公の選択が描かれる物語だ。また、「僕たちは勉強ができない」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のように、メインルートの結末を読者に提示したうえで、分岐点以降に発生し得たサブヒロインとの結末を描いた作品も存在する。しかし、この場合はあくまであり得た「もしも」であって、外伝的扱いと見てよいだろう。
そんな中、乙野四方字による2作の小説を原作とした「僕が愛したすべての君へ」「君が愛したすべての僕へ」は、真正面からこの「もしも」に立ち向かった。両親の離婚という問題に際し、母親に付いていくことを決めた少年・高崎暦を描くのが「僕愛」、父親についていくことを決めた少年・日高暦を描いたのが「君愛」である。この2本は異なる物語のようで、同じ設定や同じ描写が混在。2本観ることで完結する、まったく新しい感覚のアニメ映画になっている。
観る順序によって作品への理解の仕方、捉え方が変化
さて、前述のように「もしも」によって、世界は無数の並行世界に分裂している。しかし、その中には「事故死した」「生きている」といった生死にまつわる大きな事項だけでなく、「焼きそばを食べた」「食べてない」くらいの些細なことがあるのも事実だ。並行世界は人生における1つひとつの選択によって分岐していくものだが、ほんの僅かな分岐によって生まれた世界であれば日常的に行き来していることもあるかもしれない。暦の父親が勤務する研究所では、そんな並行世界にまつわる研究が行われていた……という前置きで、「僕愛」と「君愛」の物語は開幕する。
「僕愛」で描かれるのは、暦と高校でのクラスメイト・瀧川和音とのラブストーリーだ。ある日、暦はただのクラスメイトであったはずの和音に親しく声をかけられる。その訳を聞くと、今の和音はここから85番離れた並行世界からやってきたと明かし、そのうえで2人が恋人関係にあったと告白。その場は解散したが、その日から暦は急速的に和音に惹かれていく。
対して「君愛」で描かれるのは、暦の父が勤務する研究所で出会った少女・佐藤栞とのラブロマンスである。お互いに恋心を抱くようになり、「いつか結婚するのでは」とお互いに予感していた2人。しかし、暦と栞、お互いの親が再婚することとなり、状況は一変する。義理とはいえ、兄妹では結ばれることはできないのでは……。そう悟った2人は、研究所に置かれていたIPカプセルを操り、兄妹にはならない並行世界で駆け落ちをしようと試みる。だが、栞が向かった並行世界では、自らの事故死によって魂の向かう先が消滅。栞の意識は、事故現場に幽霊となって取り残されてしまう。
一見すると、両親の離婚によって運命が分岐してしまった1人の少年の物語として、「僕愛」「君愛」を解釈することができる。だが、本作の妙は、「君愛」の暦が起こした選択が、並行世界の「僕愛」の暦たちにも影響を及ぼしていることがある、ということだ。その逆もしかりで、1つの映画として楽しむことも十二分に可能であるものの、2本観ることでその全貌が把握できるようになっているのである。
観る順序によって作品への理解の仕方と捉え方が変化するのも、本作のミソであろう。もちろん観る順序によって、得られる情報の順序は変化する。暦の父が研究者とだけあって、序盤から並行世界にまつわるSFギミックが炸裂する「君愛」を最初に観ると、SF青春劇としての側面が強くなるだろう。「僕愛」から最初に観た場合、和音とのラブストーリーの印象が強く、恋愛ドラマとしての側面が強くなるかもしれない。
もっとも、この楽しみ方は乙野による原作小説がハヤカワ文庫から同時刊行された際にも推奨されていたもの。「僕愛」から読み始めればビターな、「君愛」から読み始めれば甘くてハッピーな雰囲気で物語を締めくくることができる。小説ならではの楽しみ方でもあった部分だが、映画化によって「小説→アニメ」「アニメ→小説」というメディアの分岐が生まれたことも面白い。公開に合わせて刊行された第三の物語「僕が君の名前を呼ぶから」と合わせて楽しむのも一興だろう。
2人のヒロインにまつわる恋愛模様に注目
さて、「僕愛」「君愛」に話を戻そう。本作の魅力は、並行世界によるSFギミックだけには留まらない。和音と栞、2人のヒロインにまつわる恋愛模様も、目を引くポイントの一つだ。
「僕愛」において、クラスメイトとして登場した和音は、あることをきっかけに暦と不思議な関係に発展していく。その過程で自然と研究所の同僚になっていくのだが、その関係性が微笑ましくてたまらない。健気な暦と、そんな彼を支えようとする和音。2人は並行世界の研究を重ねる中で、ある事件に巻き込まれていく。
一方「君愛」で和音に暦は出会わないのかといえば、答えは否である。大学卒業後の和音は研究所に入所。そこで暦の「後輩」として登場するのである。そんな彼女に対し、暦は栞を救うためのたった1つの方法を提示。暦のライバルとして一緒に研究を重ねていくこととなる。
対して、「君愛」でメインヒロインとして登場する栞は、意識を飛ばされた先の並行世界で事故死していた。元の世界の肉体は脳死状態となり、暦にのみその意識が半ば地縛霊のような状態で視認できるようになってしまう。そんな彼女を救うため、暦は一念発起。彼女しか目に入らないような状態で、研究にのめり込んでいく。
父が働く研究所で知り合った女の子という設定上、「僕愛」で暦と栞は知り合うことがないのでは、と思う方もいるだろう。もちろん、そんなはずはなく、物語のキーポイントで栞が登場する。その登場の仕方も面白いが、なぜそうなったのかは「君愛」を観ておくとより楽しめるようになっている。
並行世界をシームレスに描写
本作を観ていて「なるほど」と感じた点がある。それは、並行世界の描写がシームレスに挿入されることだ。
初見でどちらを観るか、というのは視聴者の好き好きだが、例えば「僕愛」から観たときに「君愛」でも同じ場面が流れることがある。それは、日高暦が高崎暦と入れ替わったことを示すもので、どこからどこまで自分は“日高暦”の物語を追っていたのだろうと感じる瞬間が存在するのだ。
これは制作スタッフに関してもいえること。「僕愛」と「君愛」は別スタジオ・別監督によって制作されているのだが、どこの描写まで「僕愛」側で担当しているのだろう……と観終えてから考えていた。そんな楽しみ方をしてみるのも、本作ならではのポイントなのかもしれない。
ゲームでこそバージョン違いの同時発売はあり得たが、ここまで大きく異なりつつ密接に関係する物語が映画という媒体で同日公開されることは、あまり類をみないケースであろう。須田景凪やSaucy Dogによる主題歌・挿入歌と合わせて、ぜひ劇場で「僕愛」「君愛」を楽しんでみてはいかがだろうか。
もちろん、「僕愛」から観る場合と「君愛」から観る場合、先に情報を知る順番と、観終えた後にどういった気持ちになりたいのかをじっくり考えたあとで。
プロフィール
太田祥暉(オオタサキ)
編集者・ライター。編集プロダクション・TARKUSに所属。学生時代より同人活動としてエンタメ系ZINE・PRANK!を編集し、2018年より商業媒体でライター活動を始める。アニメやライトノベル、特撮、VTuberを中心に書籍や記事の編集・執筆を行い、ASMR作品のシナリオなども手がけている。