「Arc」と「トニカワ」の対照的な結婚観
──そういえば単行本の11巻には、司が自分の結婚観について、星空に語って聞かせる場面もありました。これもまた非常に重要なシーンに思えたのですが。
はい。あそこも最初から描こうと決めていたシーンです。司いわく、人が結婚するのは、その命が永遠ではないからだと。どれだけ偉業を成し遂げて、財を築き、その名を歴史に残そうと人はある日突然いなくなる。だからこそ、そこに儚くとも不滅なものがあったと信じるために、あえて指輪を交わし誓いの言葉を述べるのだと。この時点で星空は、妻である司が実は1400年生きているという事実に、まだ気付いてないんですけどね。
──面白かったのは、「Arc アーク」ではまったく逆の価値観が示されるでしょう。
ああ、確かに。もろにそういう場面がありましたね(笑)。
──劇中、岡田将生さん演じる科学者・天音は、結婚相手となったリナに不老化の処置を施します。その際、彼女に指輪をはめながら、こう言って微笑むんですね。「死が2人を分かつまで。この一節は、いずれ、誓いの言葉から消えるだろうね」。つまりここでは、老齢や死が、テクノロジーで乗り越えられるべき対象として捉えられている。
このパートだけ取り出せば、確かに対極的な世界観かもしれません。これに関しては、最初にお話ししたように、それぞれの物語が内包しているタイムスパンの問題も大きいと思うんです。例えばリナは、記者会見場で「人類にとって死は不可避なものだからこそ、人生に意味を与えてくれるのではないですか?」と質問をぶつけられて、「それは、ほかに選択肢がなかったこれまでの人類を慰めるためのプロパガンダに過ぎません」とまで言い放ちます。でも考えてみれば、この時点のリナや天音はまさに今、不老の人生をスタートさせるわけですよね。約1400年、老いることも死ぬこともできず、世界の移り変わりをただ眺めるしかなかった司とは、感じ方が違って当然とも言える。
──「Arc アーク」はいわば、不老不死のビギナー状態を描いていると。
そうそう(笑)。まだ気分が高揚している。「トニカクカワイイ」の司は、どんな深手を負っても死ぬことすらできない身体なので。そこには恐怖はない。おそらく星空に出会うまでは、ものすごい虚無や絶望を抱えて生きていたと思うんです。
──なるほど。
一方で不老を手にした「Arc アーク」の登場人物たちは、逆に徹頭徹尾、死への恐怖に染め抜かれているように僕には見えます。テクノロジーを使って必死で死を遠ざけようとしているけれど、ワクチンと同じで、長期的にどんな副作用が表れるかは未知数ですし。威勢のいいことを言っていても、映画全体を通してどこか弱々しく、怯えているようでもある。石川監督がどこまで意図的に演出されていたかはわかりませんが、100年スパンの物語としては、そういう影がまたリアルで面白いんですよね。
不老不死が当たり前になった社会のリアルが見える
──ちなみに畑さんは普段から、映画はけっこうご覧になる方ですか?
最近は忙しくてあまり時間が取れませんが、小さい頃から映画を観るのは大好きですね。僕らはもろ(クエンティン・)タランティーノ監督の直撃世代なので(笑)。彼が映画監督になる前、アルバイトしていたレンタルビデオ店の作品を観まくったという有名なエピソードがありますよね。僕も近所にあったレンタルビデオ店のソフトを片っ端から順次借りて観ていた時期もありました。中学生の終わりぐらいかな? まだ大規模店舗が登場する前の、小さなお店でしたけどね。大学生からアシスタント業の時代、24〜25歳くらいまでは、その時期に映画館でかかっている作品は総当たりで全部観てました。
──その時期の蓄積が、今のお仕事に生きている部分も?
それはもう、めちゃめちゃあります。印象的なカットやカメラワークを作画の参考にするケースもありますし。もっと大きいのはストーリーテリングですね。一時期はそれこそ、大好きな映画を繰り返し何度も観返して、自分でシナリオに起こしてみたりもしました。スティーヴン・スピルバーグ監督の「ジョーズ」と「E.T.」。実際にそういうメソッドがあって、やってみるとすごく勉強になるんですよ。「E.T.」の脚本なんて、びっくりするほどよくできていて。物語ってこういうふうに作るんだって感動したのを覚えています。
──さて、「トニカクカワイイ」の連載は、今春いよいよ第2部に入りました。こちらの結末についても、すでに構想はお持ちなんでしょうか?
1400年間も生きてきたヒロインの命にどう決着を付けるか。不老不死に対する僕なりの結論みたいなものは考えています。たぶん読者の方々も、なるほどと納得していただけるんじゃないかなと。ただし、それはあくまでもマンガ家として見出した着地点であって。いち生活者としての僕自身の皮膚感覚は、むしろ全然「Arc アーク」の登場人物に近いような気がするんですよ。
──ははは(笑)。そこは畑さんの中でもアンヴィバレントというか、2通りの考え方に引き裂かれていると。
僕も含めて大部分の人間は、やっぱり死ぬのが怖いですからね。もし不老化処置が実用化されたら、たぶん必死で飛びついて有頂天になっちゃう(笑)。人の考えや感じ方って、積み重ねた時間や経験でいくらでも変わります。リナと司、どちらの生き方が人間としてより正しいかとか、そういう単純な話じゃないんですよね。
──実際「Arc アーク」の劇中でも、リナの生き方は年齢に応じて微妙に変わっていきます。例えば30歳と90歳、130歳とで、不老不死に対する彼女の受け止め方がどう移行していくのか。その着地のさせ方もまた、本作の見どころと言っていい。
うん。あと僕がいいなと思ったのは、この映画の作り手たちは不老不死のテクノロジーに対して、すごくニュートラルな感じがするんですね。観客を安易な結論に誘導したりせず、今後そういう技術が当たり前になった際に、社会がどんな変化を見せるか、人の心に何が起きるかを、リアリティを持って見せてくれる。そこがすごく気に入りました。
──「トニカクカワイイ」の愛読者にもオススメですね。
ええ、ぜひ(笑)。観ればきっと楽しめると思います。繰り返しになっちゃいますけど、連載のラストでは「あ、永遠の生を生きるってこういうことなのか」という、自分なりの結論が出せると思うんですね。そのときにもう一度、2つの作品を見比べると面白いかもしれない。そうやって行き来してもらえたら、もう作者冥利に尽きますね(笑)。