マンガ編集者の原点 Vol.2 [バックナンバー]
「進撃の巨人」「五等分の花嫁」「戦隊大失格」の川窪慎太郎(講談社週刊少年マガジン編集部)
マンガ編集者は特別な仕事ではない
2022年8月15日 14:00 21
マンガ家が作品を発表するのに、経験豊富なマンガ編集者の存在は重要だ。しかし誰にでも“初めて”がある。ヒット作を輩出してきた優秀な編集者も、成功だけではない経験を経ているはず。名作を生み出す売れっ子編集者が、最初にどんな連載作品を手がけたのか──いわば「担当デビュー作」について当時を振り返りながら語ってもらい、マンガ家と編集者の関係や、編集者が作品に及ぼす影響などに迫る連載シリーズ。第2回で登場してもらったのは、講談社週刊少年マガジン編集部の川窪慎太郎氏。「進撃の巨人」「五等分の花嫁」を手がけた人物だ。
取材・
浦和のジョナサンに行くのが憂鬱だった「ゴッドハンド輝」
川窪氏は2006年に講談社に入社。週刊少年マガジン編集部に配属され、最初に手がけることになったのは
「1年目で先輩の下についてサブ担当として入らせてもらい、最終話が掲載された2011年まで担当しました。立ち上げた大先輩に加えて、当時はもう1人先輩がいたので、僕は3人体制のサードみたいな感じでした」
作品の担当が3人とは多い気もするが、よくあることなのだろうか。
「2人ぐらいが多いんですが、3人体制も決してないわけではなく、勉強になる作品や編集の役割が多い作品だと3人入ることもあります。『ゴッドハンド輝』の場合は編集として学ぶことも多いし、医療の取材もしないといけないので担当も多かったですね」
のちに「進撃の巨人」を立ち上げることになる川窪氏の初担当作は、順調な滑り出しとまではいかなかったようだ。
「自分の手に余るというか、荷が重かったです。山本さん自身がすでに僕と出会った時点でベテランでした。『ゴッドハンド輝』の前に『疾風伝説 彦佐』という連載もされていて(山本晃名義)、そちらもかなり長く描かれていたんですよね。『ゴッドハンド輝』も僕が入った時点で30巻くらい出ていてうまくいってる状態で、作家的にも作品的にもできあがっている。かつ医療マンガだったので、自分としてはレベルが高すぎたというか、正直ついていけなかったです」
山本との打ち合わせでは、新人編集ならではの忘れられない思い出があるという。
「浦和でずっと打ち合わせしていたんですけど、まず浦和に行くのが憂鬱でした(笑)。ちょっと特殊だと思うんですけど、『ゴッドハンド輝』って週刊連載だけど3週分ぐらい一気に打ち合わせするんです。うまくいけば山本さんが3話分のネームを持ってきてくれて、うまくいかないときでも2本。理由は、まとめてやらないと取材が間に合わないから。できあがったネームが医学的に正しいのかを確認してもらわないといけないので、当時大学病院に取材に行っていました。毎週取材だとスケジュール的によくないので、3本くらいまとめて取材するためにそうした進行にしていたんです」
浦和に行くのが憂鬱だった理由。それは、「自分が役に立たない」ことを感じていたからだった。
「編集が3人で行って山本さんにネームを見せてもらって、若手の僕がまず感想を言うんですよね。それを山本さんは笑顔でうなずきながら聞いてくださる。で、僕の感想が終わってチーフが感想を話し始めると、そこで山本さんは初めてペンをとるんですよ。さっきまではテーブルに置いていたペンを。そのとき『俺の意見って大したこと言えてないんだな』って痛切にわかって(笑)。すごくよく覚えています」
長大な医療マンガで培った方向感覚
すでにベテラン編集と作家の信頼関係ががっちり組まれている中に、新人編集として入っていく──胃が痛い話だ。だが、そこで同時に得たものは、その後の編集人生に息づく貴重な感覚だった。
「打ち合わせと同時に取材にも行かないといけなくて、大学病院の救命救急の先生に相談していました。当然めちゃくちゃ忙しい方だし、職業柄、急な予定変更も多く、制約の中で取材をしないといけなかった。先生は山本さんのネームに描いてあることが医学的に正しいのか、現実に起こり得るのか見てくださるんですけど、当然間違っているときもあるわけです。大ベテランの山本さんが熱心に勉強をして描かれていても、『こういうことは起こらないですよ』と言われたりする。だからそこで僕らがやるべきは代替案を取材することなんです。
当然現実の医療とマンガではギャップがあって、“医学的な正しさ”だけを追求してもマンガ的には面白くなくなっちゃう。だから、取材をやる中で、未来のことを少しずつ意識するようになるんです。『これがもしネタとしてあり得ないと言われたらどうする?』『ほかにどういうストーリー展開があり得るか?』と。こちらも、ネームとは別にサブ案を持っておく。目の前のことだけではなく、少し先のことを考えておくという準備の仕方は少しずつ学べたし、マンガにもそれが生きていくようになりました」
医療マンガは、物語の中で起きていることが自分にも起こり得るという緊迫感があるからこそ、読者がハラハラしながら面白く読めるという面がある。それだけに、医学的な正しさとマンガとしての面白さの両立は、担当する編集者にとっても想像以上に困難で、踏みしめがいのある道だったようだ。
「若手の頃って、どうしてもネームが単体で面白いのか面白くないのか、読みやすいのか読みにくいのか、そういうところだけ見ちゃう。だけど本当にやったほうがいいのは、これまで積み重ねてきた30巻分のストーリーの中で、この話はどんな意図を持っているのかを考えることなんですよね。『主人公は前にこういう気持ちだったのに、これはおかしくないか』とか、『主人公が追い求めているものと、このセリフとは矛盾しないか』とか。長いストーリーなら特に、過去も未来も含めた全体像の中で今渡されたネームを読まないといけない──今はそういうふうに言葉として言えるけど、『ゴッドハンド輝』を担当している間にそこまでいけたかはわからないですね。ただ医療取材のおかげで、少しずつそういう感覚を体得できた気はしました」
大変な作品だ。「自分では二度と医療マンガは担当できない気がします」と笑う川窪氏だが、その経験で得たものは大きく、その後長大な作品を担当するときには「ゴッドハンド輝」で培った方向感覚がきっと生きることになったのだろう。さらに、「ゴッドハンド輝」でもう1つ印象的だったのは、作家のキャラクターとの向き合い方だったという。
「山本さんは、作家としての目線とはもう1つ別の、俯瞰した視点を持っている印象がありました。例えば『自分はこうしたほうが面白いと思うんだけど、輝はこういうことしてくれないんですよね』とか、『展開上はここで拒否してくれたほうが面白いんだけど、輝はそうしてくれない』とか。自分の都合のいいようにストーリー展開できたら楽なはずなんですが、やっぱりキャラクターは嘘つけないというか、そういう視点でマンガを作っていました」
「進撃の巨人」諫山創が“ゾーン”に入るとき
「ゴッドハンド輝」で大作、しかも医療マンガの編集の厳しさを知った川窪氏。その後、自身でも連載を立ち上げるようになり、最初に作家と企画から練り上げて世に出た作品は
「諫山さんとは、まずプロット打ち合わせをして、何日後かにネーム打ち合わせをするんですけど、プロット打ち合わせでは抽象的な話をいっぱいするんですよね。もちろんあらすじについても話すんだけど、『こんなシーンを描けたらいいな』とか『こんなことを(キャラクターに)言わせられたらいいな』『でもそんなシーンになるかな?』みたいに。現実にはないシーンでこれはあくまで仮の話ですが、アルミンがエレンを引っ叩くところを描きたいと諫山さんが言ったとする。そういうとき、『でも引っ叩くような流れだっけ?』みたいなところから始まります。キャラクターはいったん置いて、人がどういうときに人を引っ叩きたくなるかについて話す。『怒ったときですかね?』『今アルミンがエレンにそんなに怒りを抱く要素あるっけ?』『ないかなあ。でもあのときにこう言っていて、それを否定されたら引っ叩くかも?』そういう仮定の積み重ねです」
マンガ家と編集者とのストーリー打ち合わせは千差万別だが、一般的には回ごとの展開や山場を大筋で決めることが多い。そうした方法とは異なるやり方だ。
「『そういえばアルミンって過去に○○したけど、どういう気持ちで言ってたんだろう?』『こんな気持ちで発言しました』『そのとき、エレンはどう思った?』『こう思ったと思います』『じゃあ2人はちょっと違うこと考えてるんだ。ミカサはどう思って聞いてた?』──。直接のあらすじには関係ないけど、無限の可能性、“if”をぽんぽん話し合うんですよね。過去、未来、今、ほかのキャラクター……とにかくいっぱい話していって、その中にアルミンがエレンを引っ叩く可能性のあるものを諫山さんが取捨選択して、ネームにするんです。ほぼ毎回こういう打ち合わせですね」
キャラクターが辿るかもしれないあらゆる可能性を探る──途方もない作業に聞こえる。
「だから、プロットの打ち合わせであらすじが全部決まって、そこからネームに入ることってない。過去の話を全部してテーブルの上に出してきて、その中に正解かはわからないけど、何かがある気がする。それでネームになってるんです」
まるで宝探しだ。必要な道具をいったんすべて並べて、それを全部使って“答え”にたどり着く。そして川窪氏は、尊敬する作家・村上春樹の表現を用いて、諫山の作業過程についてこう説明する。
「諫山さん、最後はいわゆる“ゾーン”に入るんです。僕が好きなのでどうしても村上春樹的な言い方になるんですが(笑)、“地下に潜る”とか“井戸を掘る”みたいなイメージで、深く潜って下のほうから何かを取り出して、地上に戻ってくるとストーリーになっている──うまく言えないのですが、その過程を全部見ていると、『諫山さん、とんでもないことやってるな!』って思います。かつ、キャクター1人ひとりの人生をちゃんと考え抜いて描いているのは、すごいなと思っています」
誰のプライベートにも踏み込まない
一方で川窪氏の作家との付き合い方も、ある種特徴的である。それは、「作家のプライベートに踏み込みすぎない」。個人的に、どちらかというと編集者には「作家さんと編集は一心同体になってナンボ!」というタイプが多い印象を持っているのだが、川窪氏のスタンスはどのような背景から築かれたのだろうか。
「作家に限らず、誰のプライベートにもそんなに興味がないんですよね(笑)。たぶんもう3~4年くらい、部員とはあまりご飯食べに行ってないです。それは性格だけに由来しているわけでもなくて、一応自分の中ではルールというか、考えていることがあります。川上未映子さんが村上春樹さんにインタビューしている『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮文庫、2019年)という本で小説家や編集者について語っているんですが、めちゃくちゃ噛み砕いて言うと、村上さんは編集者を本質的には必要としていないんですよね。ハッキリ言っているわけじゃないですけど、たぶんそう思っているのだろうと僕は感じました。
僕は村上春樹を敬愛しているし、仕事として編集者をずっとやってきて、今後の可能性としては村上春樹をサポートする編集者になる可能性もごくわずかとはいえゼロではなかった人生だと思っていたんです。でも実際はゼロだったんです。それはきっと村上春樹さんは小説家だけれど、僕は編集者ではないからなんだろうと思いました。僕はどこまで行ってもサラリーマンなので、人事異動で明日まったく違う部署に行く可能性もあるし、編集職でない部署に行く可能性もある。あの本を読んで勝手に「そういうことなんだろうなー」と痛感したんです。そういう意味で、『自分は作家の人生を背負えない』という考えになるんですよね」
編集者を本質的に必要としない、独立した存在である“作家・村上春樹”と、彼を敬愛する会社勤めの“編集者”。一緒に仕事をする可能性があっても、同一の次元では語ることができないところに煩悶があり、川窪氏の“人に必要以上に踏み込まない”スタンスの理由もそこにあるのかもしれない。複雑な思考だが、見えたのは「嘘で接したくない」「誠実でいたい」という人間としてのあり方、生真面目すぎる信念だった。
「マンガの例で言えば、出会ったときにマンガ家が20歳だったとして、25歳、30歳くらいまでは面倒を見てあげられるかもしれないけど、40歳まではきっと見てあげられないし、50歳、60歳になったら100%関わりはないだろう。もっと言えば3年経ったら自分は全然違う仕事しているかもしれない。そう思うと、僕は作家とは一心同体にはなりようがないし、なるためには専属のマネージャーになるしかない。それを選ぶつもりも勇気も自分にはないから、一線を引かないと自分の中で嘘になるなと思うので、一心同体というスタンスはないですね」
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