ナタリー Super Power Push - 山下達郎
6年ぶりオリジナルアルバム「Ray Of Hope」堂々完成
ナタリーが贈る山下達郎特集、最後の企画は満を持しての本人インタビュー。「Ray Of Hope」制作時のエピソードはもちろん、ソロデビューから36年にわたってその活動を支える、確固たる信念について大いに語ってもらった。
取材・文 / 大山卓也
震災前は、明るく和やかなアルバムを作ろうと思っていた
──「Ray Of Hope」聴かせていただきましたが、素晴らしいアルバムですね。タイトルからはだいぶシリアスな作品を想像していたんですが、それだけではなくすごく軽やかな部分もあって。当初は「WooHoo(ウーフー)」というタイトルを予定していたのを、震災後に変更されたそうですが。
昨年の段階では、明るいアルバムにしたいと思ってたんですよ。震災が起こる前も、もう既にリーマンショックとかそういうものがあって世の中は不況でね。ツアーをやってても、ファンの人の表情にそういう閉塞感とか危機感っていうのが出てたんですよね。だからそれをもうちょっと明るく和やかにしたいなって。
──暗いムードを盛り上げようと?
うん、「WooHoo」なんてナンセンスなタイトルもそういうつもりでつけてたし。でも、地震が起こっちゃったんで、そのタイトルじゃ軽薄だなと思って、「Ray Of Hope」に変えたんです。
──アルバムのテーマにも変化がありましたか?
ちょっと変わりましたね。やっぱりちょっと静謐な、落ち着いた感じにしようと思って。チャラチャラしたところは削って、いくつかの曲は若干詞も変えたり、いろいろマイナーチェンジはしましたね。
音楽で人を助けることはできなくても寄り添うことはできる
──「希望という名の光」という楽曲が、アルバム全体を貫くテーマになっていますね。
あれは去年のシングルなんだけど、サンゴの養殖を手がける夫婦を描いた「てぃだかんかん」っていう映画の主題歌で。あの曲が震災後にラジオで結構オンエアされたんですよね。
──希望に向かう内容が、震災後の世の中にマッチしたんでしょうか?
おそらく。歌っていうのはそうやって自分の手元を離れた後に意味合いを変えて、聴く人の意志が加わるものなんですよ。今回は特にそれを感じました。一番の典型は「クリスマス・イブ」なんだけど、この曲はそれと同じような歩き方を始めたっていうか。それで、じゃあアルバムもこれをメインテーマにしようと。
──じゃあ達郎さんの意志だけではなく、ラジオでたくさんオンエアされたという事実を受けて。
そうです。
──「求められてる」と感じたんですね。
うん、震災後にメディアで流れてた曲っていうのは例えば「Imagine」だったり「We Are The World」だったり「上を向いて歩こう」だったり。でも僕自身はそういう最大公約数的じゃない、もっと別の歌を聴きたいと思ったし、ほかにも僕みたいな人がいるだろうから、そういう人に僕の歌が役立つんであれば聴いていただこうと。
──達郎さんって、そういう歌の役割とか世相を反映したメッセージというものからは遠いところにいる方なのかと思っていたんですが。
こういう時代ですもの。音楽に限らず文化っていうのは、ある程度平和でなければ行えないものなので。腕を切り落とされたときに歌なんか聴けないし、盲腸になったときに音楽なんか聴けない。特に僕らみたいな商業音楽は、世の中が平和で安定してるからこそきちっと供給もできるし聴いてもらえるものなんですね。だとしたら、大災害が起きて、こういう状態になったら逆に音楽はどういう形で存続すべきかっていうのを、我々表現者は考える義務があるし、それを提供する責任があるんです。音楽は、人を助けることはできなくても寄り添うことはできると思うので。
──そういう思想は、震災を受けて達郎さんの中で新たに生まれてきたものなんですか?
いや、昔から考えてましたよ。僕は昔から、自分の音楽は大衆に奉仕するものだと思って作ってきましたから。
震災後に書いた楽曲には裸の自分が出ている
──このアルバムに収録されている「MY MORNING PRAYER」は、震災中に書かれたそうですね。
そうです、震災の真っ最中に(笑)。
──この曲は達郎さんには珍しく、フォークソング的とも言える非常にストレートなナンバーで。ある意味このアルバムの1つのハイライトだなという気がしたんですけど。
自分じゃ恥ずかしいですよね。裸見られてるみたいな。
──でも、そういう裸の表現みたいなものが必要だと感じた?
あのときはもうそれしかないと思いました。3月11日もレコーディングをしてたんです。そのときに震災が起こって。当初はギターリフで始まるもっとチャラチャラした曲だったんですけど、それを全部ボツにして、10日間で書き直してレコーディングし直したんです。原発事故の報道がリアルタイムで伝わってきて、西のほうに逃げる人も増える中、六本木のど真ん中でスタジオに居座って作った、その精神状態を反映した曲です。なんの装飾もない、本当の直球勝負の曲なので非常に恥ずかしいんですけど。
──いや、ダイレクトに伝わる感動的な楽曲だと思います。ここまで時代の空気を反映した曲は達郎さんには珍しいですよね。
同世代を生きる人たちにどう共感してもらうか、彼らの喜怒哀楽を自分の喜怒哀楽とどうオーバーラップさせていくかっていうのが、僕にとっての音楽の作り方のすべてで。多分全然逆の人もいて、雲の上の人みたいなスタンスで音楽を鳴らしてる人もいると思うんだけど、僕がやってきたのはそういうものではないですからね。
CD収録曲
- 希望という名の光 (Prelude)
- NEVER GROW OLD
- 希望という名の光
- 街物語 (NEW REMIX)
- プロポーズ
- 僕らの夏の夢
- 俺の空
- ずっと一緒さ
- HAPPY GATHERING DAY
- いのちの最後のひとしずく
- MY MORNING PRAYER
- 愛してるって言えなくたって (NEW REMIX)
- バラ色の人生~ラヴィアンローズ
- 希望という名の光 (Postlude)
初回限定盤付属ライブディスク「JOY 1.5」収録曲
- 素敵な午後は(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- THE THEME FROM BIG WAVE(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- ONLY WITH YOU(1986/10/9 郡山市民文化センター)
- 二人の夏(1994/5/2 中野サンプラザ)
- こぬか雨(1994/5/2 中野サンプラザ)
- 砂の女(1994/5/2 中野サンプラザ)
- アトムの子(1992/3/15 中野サンプラザ)
山下達郎(やましたたつろう)
1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供なども数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコンウィークリーチャート100位以内を記録。2011年8月10日に6年ぶり通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」をリリース。
2011年8月10日更新