ナタリー Super Power Push - 山下達郎
6年ぶりオリジナルアルバム「Ray Of Hope」堂々完成
日本のポップミュージックが直面するエイジング問題
──菊地さんが言う“加齢”というのはつまり、今作には80年代のシティミュージックにはなかった生々しさが吹き込まれているということですか?
今回の「Ray Of Hope」は、永遠の青年だった人……、当たり前ですが、容姿はとっくに加齢が来ている。だけど歌うと永遠の青年だよねって何十年も言われてきた人が、一気に、その歌も歳相応に聞こえるようになったという。これははっきりとナイスエイジングだと言えるのではないかと思います。
──アンチエイジングではなくて。
はい、ナイスエイジング。今までずっと天使みたいに無垢なバイブスを放っていたのが、今回の作品にはちょっとエグい、老年性のエロティシズムみたいなものが聴き取れる。まあ、シティから密室へ。というだけで軽くエロいわけですが、谷崎潤一郎とかそういう種類の、国文学的な老人性のエロという。「SONORITE」のときには気のせいかもと思ったんだけど、今回はけっこうはっきりと感じました。これは小田和正もそうだけど、自分が老いたっていう自覚ですね。それがあらゆるところに張り巡らされてて、ものすごく血が通ってる感じがします。例えば人によっては悪臭だと感じるけど、人によってはたまらない魅力の臭いってありますよね。ブランデーと葉巻と、獣の匂いを混ぜたような、芳醇で美しい加齢臭というのが適正かと思います。
──確かにポップミュージックの作り手が続々還暦を迎えつつあるという状況は、日本の音楽史上初めてのことですしね。
「どう老けるか?」は、ポップスという音楽のアポリア(哲学上の難問)です。ロックもジャズも楽々老けられる。しかしポップスは聴いた人々を青春時代に一気に飛ばさないといけない。さっき言ってた神々もいろんな老け方をしています。桑田佳祐が老けていく、細野晴臣が老けていく、大瀧詠一に至っては現在、老けているのかどうかすらわかりづらい。そういう状況の中で、あの山下達郎がとうとう老けたっていうのは、日本のエイジングの問題に対する、すごくポジティブな提言になっていると思いました。
──どういう意味合いを持ちそうですか。
達郎の歌って、聴くとウワーっと時間のない空間に連れてかれちゃって、誰もが青春に戻る、みたいな力があるわけじゃないですか? そんな達郎もついに老いを自覚した。歌が弱くなったとかいう意味ではないですよ。さっきまで話していたとおり、老人性が、否応なく混入されたと思いました。詞とかにも散見されますし。しかもあの驚異的なクオリティを保ったままで。もちろん信者的なファンの方々は、そんなこと考えもしないだろうし、多くの人がどう思うかはわかりませんが、ワタシ個人はそれは第二には素晴らしいし、第一にはとても意義のあるパラダイムシフトで、刮目に値すると思ってます。
──老いをポジティブに捉えるということ?
先程言ったとおり、ポップミュージックというのは、アメリカの病理である“無限の青春”を約束してくれる音楽だという出自がありますから。一生青春なんだと。40代でも女子、50代でも女子、このままいくと60代でも女子なんだという、不老不死のような、極端でシンプルすぎる、危険な文化状況の中、人はどうやって歳をとってくのかっていう問題が、少なくともポップミュージックの世界では棚上げにされたままです。でも人は日々歳をとっていくし、もっと極端に言うと日々死に近づいてるんだっていうことを、ポップスの、しかも永遠の青春を約束してきたミュージシャンがどうやって見せるかっていうことはそろそろ誰かが提示しなきゃならなくて。山下達郎は今回それをどの程度意図したか。全く意図していない可能性も大いにあるという可能性も承知で言いますが、それを実践しています。しかも同じスタイルのままで。そこが偉大だと思うし天才だと思います。「そんな、老いなんか感じない!」というファンの方には抵抗のある話かもしれませんが、ファンの中にも、加齢ウェルカムな人々もいると思います。“ちょいワル親父”感みたいのはさすがにないと思いますが、今後も死ぬまで100%絶対にない、とは言い切れないな、と感じました。とにかく加齢は、大変な可能性です。
「希望という名の光」はポリリズム
──アルバムの楽曲それぞれについてはどうですか?
アンチ達郎みたいな人にとっては、「どうせタイアップソングだろ」「どうせ全部同じ、金太郎飴だろ」というのは、クリシェ(決まり文句)ですよね。
──はい。
それに対して、新しいスタイルに向かってタイアップも捨ててやり込める、というやり方を、山下達郎はしていません。確かに金太郎飴ですし、タイアップ集です。このアルバムも音楽的には格別新しいことはしてないし。けど、じゃあダメかっつうと、全くダメじゃない。「『サマーウォーズ』の最後にこの歌流れてきたらそりゃボロ泣きだよ! 泣くしかねえじゃん!!」としか思えない力があるわけです。これは大変な力で、日本人で持っている人は絶無に等しいのではないかと思います。
──確かにこれは泣けますね。
そういう、エッセンシャルな力を見せつけてくれる人が日本にはすごく少ないんで、やっぱすごいなって思いますね。「ケンタッキーフライドチキンが40周年だから」っていう依頼を受けて作った曲にハートが揺さぶられる。
──自分は職人だからお題があったほうが作りやすい、みたいなことは、本人も常々話してますしね。
そんなこと胸張って言うのはこの人だけですよね。
──しかもどの曲もすさまじくいい曲で。
タイアップだろうが金太郎飴だろうが毎回感動しますからね。あと面白いと思ったのは、このアルバム、最初と最後に「希望という名の光」のゴスペルっぽいコーラスが、プレリュード / ポストリュードとして入ってるでしょ。このコーラスが、震災で傷を負った人に向けた希望を象徴してるというか、アルバムにそういう意味を付加してるわけ。でも、これ別に入れないという選択肢もあったと思います。
──え、そうですか?
「希望という名の光」はもともと映画「てぃだかんかん」の主題歌で、震災とは全く関係ない曲なわけだから。それがたまたま「人生に希望を持とう」っていう歌だったわけですが、「人生に希望を持とう」といったニュアンスのフレーズは、何もこの曲にだけあるわけでもないし、言ってしまえばとって付けたような企画とも言えます。しかし、ワタシ、これ、本当にすごいなと思うのは、音楽的に言うとポリリズムで。
──はい。
この曲はもともと4拍子なわけ。でも跳ねてるんで、コーラスだけ抜いて聴くと3拍子に聴こえるんですよ。今、実際にかけてみようか(曲をかける)。これ……(指を鳴らして)ワンツースリー、ワンツースリー、って聴こえるでしょ。だけど曲中で聴くと4拍子なの。
──本当だ。3拍子と4拍子のクロスリズムになってたんですね。
そう、別に難しいポリリズムじゃないんだけど、こういうふうに聴こえる可能性があるんだってことを、こんなシンプルなものでわかりやすく示したっていうのは身体的な直感にしてもすごいと思うし、ほかにこんなことできる人はいませんよ。もちろんそれなりの重いものを込めて行ったことだとは思いますが、「気楽に振ってホームラン」という感じがあります。ポリリズムがきれいに出てるという意味で、ですが。
どんな態度で聴いても感動させられてしまう
──そんな軽いマジックがかけられたトラックなわけですが、菊地さんがさっきこれを「入れない選択肢もあった」っておっしゃったのは、どういう意味ですか?
制作ノートで山下達郎は、震災を経たこの国の「人々の心を少しでも癒し励ませれば」と、そこで自分も何か行動しなきゃ、と書いています。これはもう、言わば将棋で言うアナグマであって、誰も絶対に文句が言えない、絶対善のようなことです。しかし山下達郎がそんなことを、よしんばちょっとシリアスに考えたとしても、なんの特別な行動もしなくて良いとワタシは思います。
──クールでいてほしい?
いや、クールではなくて、「希望を持って生きていこう」なんてことをあえて言わずに、このゴスペルコーラスも入れずに、こんなのは前から録りためてたアリモンをまとめただけですよって言ってざっと出す。なのにそのタイアップ曲集が、震災で心を痛めた人たちを猛烈に癒した。チャリティだとか、そのために作られた励ましソング、癒しソングとかではないのに。というのが、多分一番粋なストーリーだと思います。反戦歌や社会派ソングなんかではない、常に歌うことができるラブソングを、日々の勤めのように作り貯める。それがもっとも有効で豊かな、非常の蓄えであってほしいです、ワタシは。
──なるほど(笑)。
ポップソングっていうものは、傷に対して応急処置をするためのものじゃなくて、もっと日々食ってるパンとか米みたいな、人間の根源的な栄養素であるべきです。だから震災が起きたからって慌てて何かやったりするのはおかしい。ライブやって収益金を寄付するとか、それは別に醜くもないけれども、何よりも平時からずっと、チャラい80年代も、暗い90年代も、混迷の00年代も、ずっとポップミュージックを作り続けてきた。それが一番粋でダンディなことでしょう。
──理念的にはそっちのほうがカッコいいですもんね。
しかし、もう一度ひっくりかえすようですが、アリモンのコーラスだけ抜いてアルバムの最初と最後に置いちゃう、という若干の安易さね、そこも今の山下達郎の愛嬌というか、すごく愛せる要素だと思いますね。しかもさっき言ったように、4拍子の曲のコーラスだけ抜いたら3拍子に聴こえるっていう驚きで、やっぱりもう、音楽そのものの力によって聴いちゃうんだよねえ(笑)。
──あはは(笑)。
まあ、これはだいぶミュージシャン特有の意見かもしれないですけど。それにしても「てぃだかんかん」の主題歌だったこの歌が、3拍子のゴスペルコーラスになった途端に、いきなり震災後の人たちを癒してしまう。ある意味、応急措置のようなことをして、文句なく感動させるというのはすごいですよ。
──それほど強い力があると。
さっき言ったように、DISる気満々で立ち向かったとするじゃない、このアルバムに。いくらでも批判できると思うわけ。「いつ聴いても同じだよ」とか「全然新鮮じゃねえよ」とか。でも口でそう言いながら、聴いてるともうダメ。感動しちゃって。
──あはははは(笑)。
参りました、すみませんでしたっていう。こんなにタイアップ曲だらけでビジネスライクなアルバムなのに、こんなに感動させられるんじゃもうしょうがないじゃない? ジョン・レノンがやってたことはなんだったの?と思うくらいの(笑)。まあそういう意味ではさすが山下達郎ですよ。本当に素晴らしいアルバムだと思いますね。
CD収録曲
- 希望という名の光 (Prelude)
- NEVER GROW OLD
- 希望という名の光
- 街物語 (NEW REMIX)
- プロポーズ
- 僕らの夏の夢
- 俺の空
- ずっと一緒さ
- HAPPY GATHERING DAY
- いのちの最後のひとしずく
- MY MORNING PRAYER
- 愛してるって言えなくたって (NEW REMIX)
- バラ色の人生~ラヴィアンローズ
- 希望という名の光 (Postlude)
初回限定盤付属ライブディスク「JOY 1.5」収録曲
- 素敵な午後は(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- THE THEME FROM BIG WAVE(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- ONLY WITH YOU(1986/10/9 郡山市民文化センター)
- 二人の夏(1994/5/2 中野サンプラザ)
- こぬか雨(1994/5/2 中野サンプラザ)
- 砂の女(1994/5/2 中野サンプラザ)
- アトムの子(1992/3/15 中野サンプラザ)
山下達郎(やましたたつろう)
1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供なども数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコンウィークリーチャート100位以内を記録。2011年8月10日に6年ぶり通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」をリリース。
2011年8月10日更新