ナタリー Super Power Push - 山下達郎
6年ぶりオリジナルアルバム「Ray Of Hope」堂々完成
若いアーティストはジジイに媚びちゃダメですよ
──達郎さんは今の若いアーティストの音楽は聴いてるんですか?
聴きますよ、もちろん。日本のロックで言うとアナーキー、ブルーハーツ、eastern youth、The Birthday、MO'SOME TONEBENDER、そういう系列ですね。今はONE OK ROCKとかPay money To my Painとか。
──ロックですねえ。世間には達郎さんのフォロワー的なアーティストもたくさんいると思うんですが。
そういうの全く興味ないです。
──(笑)。ヒップホップとかはどうですか?
ヒップホップは熱狂的にコレっていうのはないですけど、いいなと思う人はたくさんいますよ。日本のヒップホップは、みんなインテリなんですよね。RHYMESTERみたいに、基本みんな大卒で頭良くて。
──そのほかに最近気になるアーティストはいます?
去年、ライジングサンっていうフェスティバルに出て、すごく評判だったのが相対性理論。僕、それでCD聴かせてもらいましたけど、素晴らしかったですね。ただ、彼らみたいなのは僕らの世代の音楽にちょっと憧れがあったりするようだけど、絶対先達に媚びちゃダメですよ。ジジイの餌食にならないように気をつけないと(笑)。僕らのときは年上の世代に憧れるなんてことは一切なかった。全部倒すべき敵だったからね(笑)。
ライジングはエレカシの後で、斉藤和義の前だった
──ライジングサンロックフェスティバルのステージは僕も拝見しましたけど、本当に素晴らしかったです。29年ぶりの野外イベント出演で、ライジングを選んだのはなぜですか?
夏フェスはどっかでやろうと思ってて、どこがいいか僕はわかんないからバンドのメンバーやライブのスタッフに訊いたら、全員から「ライジングサン」って言われたので。実際やってみてもすごくやりやすかったですね。
──ほかのバンドのステージは観ましたか?
いや、あのときは全然観るチャンスがなくて。こっちはケンカしにいってるつもりでビンビンにテンパってましたからね(笑)。
──あはは(笑)。
エレカシの後で、斉藤和義くんの前だったからね。気合入りますよやっぱり。
──今もほかのアーティストとの勝ち負けみたいなことを意識するんですか?
そればっかりですよ(笑)。若い頃のトラウマがそうさせてるんですけどね。若いころはああいった複数出演者のイベント形式のライブでいい思い出がないもので。去年やったワーナーの武道館ライブも、ちょっと気負いすぎたって反省してます(笑)。最近の人たちにそれがないのはなぜなのかなって思うんだけど。平和な時代に生きてるんですね、きっと(笑)。
──でもフェスではすごく楽しんで演奏されてるように見えましたよ。
うん、何がびっくりしたかっていうと、お客さんがね、僕らが30年ぐらい前に野外で演奏してた頃の、そういう空気がちゃんと残ってた。あれは非常に心地よい空間でしたね。しかも老若男女、年寄りから若い人までズラッといる感じが非常に新鮮だったし。こういうロック音楽の場やニーズって、まだちゃんとあるんじゃんって。それが確認できただけでも出た価値はありましたね。
──いわゆる“ヤマタツ世代”じゃない、若いリスナーが聴き入っていましたね。
昔と時代が変わって、いろんな音楽が共通に受け入れられる土壌ができたんでしょうね。ようやく音楽評論家のプロパガンダじゃないもので成立できるようになった。健全になったと思いますよ。何がロックで何がロックじゃないとか、それで差別されるような、そういう時代でしたからね、僕らの若い頃は(笑)。
批評はもう相手にしていない
──あの、余談なんですけど、達郎さんってネットはよく使ってるんですか?
もちろん。通信はニフティサーブの頃からです。そもそも24、5歳のときにNECのマイコンキットがあって、それを通販で買って、ハンダ付けして。それで何ができるわけでもないんですけど。電卓とか、単純なゲームとかその程度でしたけどね。
──コンピュータミュージックについては?
シーケンサーよりコンピュータが先だったので。若いころからシンセは坂本(龍一)くんとかすぐれた先達がいて、そういう意味では恵まれてたというか。
──じゃあ今も情報収集はネットを使って?
いわゆるディスコグラフィとかミュージシャンのプロフィールとか、そういうデータベースはすごく活用してますね。番組で曲をかけるときのデータ収集もネットなしじゃできませんし。ただし、全てが真実とは限らないので、そのへんはきちっとチェックしないと。
──ネットの普及によって、リスナーの生の反応も自由に見られる状況だと思うんですが、そういうものは?
一切見ませんね。人間ってね、どんなに強靱な精神でも、結局1000の賛辞より1個の罵倒のほうが気になる動物なので。昔から評論とかほとんど読まないし、特に匿名的なものに影響されるのが大嫌いなので。でも、逆にあんまり野放図な賛辞っていうのも怖いですから、良いことも悪いこともともに聞かないようにしてますね。
──確かに達郎さんがネットの批評を見て一喜一憂してるっていうイメージはないですね。
しませんよそんなの(笑)。そういうのは若い頃に散々やりましたからね。もうそれこそシュガー・ベイブの頃から「歌さえなければ最高だ」とか書かれたり。
──あはは(笑)。
だから若い時分はこうやって取材受けてるときに評論家に蹴り入れたことありますし。バット持ってそいつんちにゲバルトかけに行こうとしたこともあるし。
──えっ?(笑)
若い頃は熱血派でしたからね。その時代にもう傷つくべきところは十分傷ついたんで、もう今さら傷つきようがないんです。僕はもうそういうのは抜け切っちゃってるから。あ、でも若い人はまだまだ悩んだほうがいいですよ。苦悩と蹉跌は人間を大きくしますからね(笑)。
CD収録曲
- 希望という名の光 (Prelude)
- NEVER GROW OLD
- 希望という名の光
- 街物語 (NEW REMIX)
- プロポーズ
- 僕らの夏の夢
- 俺の空
- ずっと一緒さ
- HAPPY GATHERING DAY
- いのちの最後のひとしずく
- MY MORNING PRAYER
- 愛してるって言えなくたって (NEW REMIX)
- バラ色の人生~ラヴィアンローズ
- 希望という名の光 (Postlude)
初回限定盤付属ライブディスク「JOY 1.5」収録曲
- 素敵な午後は(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- THE THEME FROM BIG WAVE(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- ONLY WITH YOU(1986/10/9 郡山市民文化センター)
- 二人の夏(1994/5/2 中野サンプラザ)
- こぬか雨(1994/5/2 中野サンプラザ)
- 砂の女(1994/5/2 中野サンプラザ)
- アトムの子(1992/3/15 中野サンプラザ)
山下達郎(やましたたつろう)
1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供なども数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコンウィークリーチャート100位以内を記録。2011年8月10日に6年ぶり通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」をリリース。
2011年8月10日更新