ナタリー PowerPush - ピコ
ネット発 “両声類”シンガーの魅力に迫る
ニコ動での活動は路上ライブとなんら変わりはない
──ピコさんが活動を始めた頃と今とでは、ニコ動界隈の状況というのは変わってきてますか?
けっこう変わったと思います(笑)。昔はこう、みんなでワイワイ、ああでもないこうでもないって試行錯誤を重ねて、じゃあライブやろうぜって企画して、箱も200人ぐらいの小さいキャパで、チケットも委託とかではなく自分たちで管理してがんばって売って成功させて、っていうような流れがあって、なんというか泥臭い感じで良かったと思うんです。
──そういうふうに自分たちでライブを企画してチケットを売って、っていう形は、普通に世の中で音楽活動してる一般的なバンドと特に変わらないですよね。活動のきっかけがインターネットだというだけで。
そうですね。結局その場所が駅前かインターネットかっていうだけで、僕はニコ動での活動は路上ライブとなんら変わりはないと思ってるんです。そこで知り合ったバンド仲間と一緒に対バンしようよ、っていうだけの話ですから。
──なるほど。
場所としてネットを使ってるだけなんですけど、それに対して偏見みたいなものを持ってる人がまだ多いなっていうのは感じますね。僕も最初はほんとに小さなライブハウスからスタートして、200人、300人とだんだん動員が増えて、今やっと1700人っていう(SHIBUYA-AXの)ステージに立てるようになった。これは僕がネットで今まで地道に活動してきたからこそだと思っているんですけど、そこに対して「いや、でもネットでしょ?」みたいに言う人がやっぱりいるんです(笑)。
──その偏見をなくしたい?
僕はリアルのステージに進んでいって、その偏見をなくしていく第一人者になれればな、とは思ってます。
批判も含めて、お世辞じゃない率直な意見が欲しい
──ところでネットでの活動と、路上やライブハウスを比較したとき、ネットのほうが“叩かれる”ことが多いんじゃないかと思うんですけど。
確かに、顔も見えないし名前もわからないので誹謗中傷が書きやすいっていうのはあると思います。でも僕が一番求めてるのはとにかく率直な意見なんですよ。批判も含めて、お世辞じゃない率直な意見が欲しくて。その意見は、自分がどれくらいのレベルにいて、音楽でやっていけるのかどうかってことを判断する材料になりますからね。ネットでストレートにコメントがもらえるのは良いことだと思います。
──じゃあそれでヘコんだりとかは?
ヘコみますよ(笑)。ヘコむんですけど、その批判も自分のために言ってくれてることだと思えば、次はその人にも納得してもらえる歌を歌おうって気持ちになるし。それが自分の糧になりますからね。
──タフですねえ。
ええ、意外と僕は頑丈みたいで。それに単純に僕の場合は後がないですからね。
──後がない?
ここまで歌い手としてがんばってきて、もし今「辞めます」ってことになったとき、自分に何が残るかといったら、ねえ……(笑)。この不景気な世の中ですし、少しでも可能性のあるところにすがりたいと思っちゃう。やっぱり仕事として、食べていきたいと思ってるので。そこはやり抜いていくしかないですよね。
“アーティストのピコ”と“ニコ動のピコ”を両立させたい
──では、最後にアーティストとしての今後の抱負を聞かせてください。
「目指せ武道館」という大きな目標を掲げながらがんばっていけたらと思います。そして“アーティストのピコ”と両立して“ニコ動のピコ”っていうのも変わることなく、今後も可能な範囲で続けていきたいです。スタイルを変えることなく大きなステージにいけたらって思ってるので。
──じゃあメジャーになってもネットを捨てるわけではない、と。
大きなステージで歌っている自分もいるし、ニコ動で遊んでる普段どおりの自分もいる。それがピコなんですよ。CD音源だったり、ジャケットだったり、ライブでのパフォーマンスだったりではきちんとアーティストとして活動して、普段のブログやTwitter、ニコ生やニコ動での活動は今までと変わらずという感じです。
──なるほど。Twitterなどで、普段の、今までの自分を自然に出せるのはピコさんの強みですよね。
それも今までのニコ動からの流れだし、やっぱり自分にしかできないことをやっていきたいですからね。応援してくださってる人たちがそういうレールを敷いてくれたんだって、そういう風に思ってます。
ピコ
2007年12月より自分の歌を動画投稿サイト「ニコニコ動画」に投稿。その特徴的な歌声から「両声類」と呼ばれ、多数のファンを獲得する。2009年7月にインディーズより1stシングル「タナトス feat.ティッシュ姫」、同年9月に1stアルバム「INFINITY」をリリースし、2010年3月にはSHIBUYA-AXにてワンマンライブを実施。2010年10月にシングル「Story」でキューンレコードよりメジャーデビューを果たした。