春とヒコーキ緊急記者会見!タイタンの学校現役生の直球質問にNGなしで回答、爆笑問題やウエストランドの裏話も

現在2024年春入校の7期生を募集しているタイタンの学校特集に、春とヒコーキが3度目の登場! 1回目はウエストランドと対談、2回目はしびれグラムサムによるインタビューときて、今回は“緊急記者会見”の場を用意した。もちろん何かやらかしたわけではない2人を、タイタンの学校現役生が質問攻めに。「バキ童でバズったことを本当はどう思っている?」「3年間のニート生活の実態は?」「タイタンのよさって何?」。これから芸人を目指す後輩たちのために“NGなし”で真摯に答えてもらった。

取材・文 / 狩野有理撮影 / 玉井美世子

「タイタンの学校」とは?

タイタンの学校

爆笑問題、ウエストランド、キュウ、まんじゅう大帝国といった芸人や、アーティスト、文化人など多彩な面々が所属するタイタンが2018年に開講したコミュニケーションカレッジ。放送作家の高橋洋二、元ハガキ職人で放送作家の野口悠介、芸人として活動中の勝又:などが講師に名を連ねるほか、タイタン代表の太田光代社長、「踊る!さんま御殿!!」「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(共に日本テレビ)で知られるテレビプロデューサーの菅賢治、放送作家のテリー伊藤らの特別講義を受けることができる。ラップ、書道、動画作成、演技・演出といった科目を含む総合講義に加え、芸人コースでは定期的に開催されるライブを目標に日々ネタを磨いていく。

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春とヒコーキ 緊急記者会見!
春とヒコーキ

春とヒコーキ

かわいい後輩のため真摯に答える

春とヒコーキが「タイタンの学校」特集に登場するのは今回で3回目。これまでとは気分を変えて語ってもらおうと、お笑いナタリーは通常のインタビューではなく記者会見風の場をセッティングした。2人に質問をぶつけるのは、タイタンの学校に現役(6期)で通うコンビ5組。お笑い芸人としてこの春デビューするべく切磋琢磨している彼らが「どうしたら売れるか?」を探るため、ときに厳しく2人を追及する!

記者役はこの5組!

記者役を務めてくれたタイタンの学校6期生の5組。

写真後列左から、レーズンダイナマイト(左:翼丸、右:しょうちゃん)、グコウケン2(左:藪男、右:関)、ロビィ(左:齋藤竜也、右:岡田直樹)。
写真前列左から、ミシンガサ(左:今史明、右:ノギ尾)、上海おこめワールド(左:山下岡本、右:杏仁)。

違う事務所に入りたかったって本当?

土岡哲朗 今日は春とヒコーキの「なんでも答えます会見」にお集まりいただきありがとうございます。

ぐんぴぃ どんな質問にも真摯に答えていきたいと思います!

──春とヒコーキのお二人は、聞いたところによると別の事務所に入りたかったそうじゃないですか!? それなのにどうしてタイタンの学校に入ったんですか?

土岡 そうなんです。僕たちはフリーで2年間活動しながら、確かにほかの事務所のオーディションを受けていました。でも「キモすぎる」ということで落とされてしまって、どうしようかと路頭に迷っていたところタイタンの学校が始まると聞いて、以前から爆笑問題さんは大好きでしたし、養成所に入って事務所所属を目指すのもいいなと思ったんです。

ぐんぴぃ 僕は太田さんの2ちゃんのスレで信者をやっていたこともあります!

土岡 正直に言うと、年齢のこともありました。そのとき僕らは27歳と29歳で、ちょっと遅めだったんですよ。芸人募集って25歳までのところが多くて、30歳までのところもあるにはあるけど、おじさん扱いされちゃうだろうなと思って躊躇していたら、まさかのタイタンの学校は65歳まで入れた(笑)。実際、入ってみたら全然僕ら若いほうでしたね。

ぐんぴぃ 当時は学校ができたてで、僕たちは2期生だったんですよ。今もまだ6期生ですよね? ほかの歴史ある養成所は先輩がたくさんいるというメリットがあると思いますが、逆に先輩があんまりいないうちに早く売れちゃえばいい感じのポジションになれるんじゃないかっていう目算もありました。

記者会見を開く春とヒコーキ。左から土岡哲朗、ぐんぴぃ。

記者会見を開く春とヒコーキ。左から土岡哲朗、ぐんぴぃ。

──当時の生徒は何人くらいいましたか? 6期生は60人くらいですが。

ぐんぴぃ 35人ほどでしたね。アキラ59っていう59歳のおじさんや、ノン老いる小林っていう老人ホーム経営している社長のおじさんがいました。

土岡 同期のはずなんですけど、めちゃめちゃ焼肉をおごってくれるんです(笑)。コミュニケーションスクールとして一般コースもあるので、幅広い年齢、経歴の生徒と出会えるタイタンの学校ならではかもしれません。

ぐんぴぃ その社長、「いいよ、井口さん」って大先輩のウエストランド井口さんにも奢ろうとしてました(笑)。

──創設2年目ってできたてほやほやですよね。養成所の歴史がないことに不安はなかったんですか?

ぐんぴぃ 今思うと、そこは謎の自信があったのかもしれないですね。歴史はないけど自分たちならできるだろうっていう。今はウエストランドさんの「M-1グランプリ」優勝をはじめ、シティホテル3号室さんが「キングオブコント」準決勝に行ったり「マルコポロリ!」(関西テレビ)の企画で優勝したりと、ネタのイメージが付き始めていると思いますけど、文化人のイメージも強かったじゃないですか、タイタンって。そもそも爆笑問題さんがお笑いはもちろんですけどお笑い以外のことでも評価されてきた人たち。実際、タイタンの学校にはお笑い以外の教養的な講座がたくさんあって、そういうのも学べてお得かなって思ったんです。それこそYouTubeが流行り始めていた頃で、デジタルコンテンツ制作の講座もあって活動の幅が広がりそうだなと。

真空ジェシカ・ガクのカリスマ時代を見ていた

──お二人は落語研究会出身ですよね。なぜ落語家ではなくお笑い芸人になろうと思ったんですか?

ぐんぴぃ 手前味噌になりますが、土岡は学生落語の中で伝説的な扱いをされていました。土岡以前、土岡以後で分かれると言っていいくらいに……。落研ではみんな古典落語をそのままやっていたんですけど、土岡は自分で書き直してやっていたんですよ。落語を書き直すのは難しいことなんですけど、それをたやすくやってのけ、めちゃくちゃ面白くしてしまう。みんなも土岡を真似て書いてみるけど、全然うまくいかなかった。「落語界の未来のために落語を続けてくれ!」と思っていたはずです。

土岡 それは言い過ぎですけど、同期からは「落語をやっていてほしい」とは言われました。

──それだけ評価されていたら落語家になりたいと思いませんでしたか?

ぐんぴぃ それは、人付き合いが無理だから(笑)。師弟関係とかが無理なんです、この人は。

土岡 そうね。落語家って師匠の着物を畳んだり、お茶淹れたりするところから始まるんだけど、まあそんなことはできるはずもなく。もともと落語への強いリスペクトがあって落研に入ったわけではなくて、だからネタも勝手に書き換えたりできてたんですよ。

──それでお笑いの世界に?

土岡 落研の部員は落語もですけど、そもそもお笑い好きの集団だったんです。部室で楽しくしゃべっていた延長をこの先もずっとやっていたいなというのがお笑いの道を選んだ理由の1つです。友達ができなかった高校時代を経て、大学でお笑い好きの人たちと仲良くなれたし、落語でしたけどネタを作って披露するのも楽しかったから。もう1つ、消極的なほうの理由を言うと、30社くらい受けたけど内定が1個も取れなかったので「じゃあ芸人でいいや」と(笑)。

春とヒコーキ緊急記者会見の様子。

春とヒコーキ緊急記者会見の様子。

──お笑いの世界に飛び込むのも勇気がいりませんか?

土岡 大学卒業後、3年間ニート生活だったので僕にとっては就職するのも芸人になるのも、どっちもハードルがめちゃくちゃ高くなっちゃったんです。大変さがちょうど一緒になったので、だったら好きなことをやろうと吹っ切れましたね。

ぐんぴぃ 僕は当時芸人というものをそんなによく知らなくて。テレビでお笑いは観ていましたし、落語をするのも好きでしたけど、芸人の数がそんなに多くはないと思っていたんです。

土岡 ライバルはサンドウィッチマンさんとトレンディエンジェルさんぐらい。じゃあイケる!みたいなね(笑)。

ぐんぴぃ 芸人になってライブに出て初めて「こんなにいるの!?」ってびっくりしました。「あ、こんなにテレビに出られてないんだ」と。でも、お笑いの道に行こうかというときに僕が後押しされたのは、ライブで観たランジャタイさんと街裏ぴんくさん。当時からすごく面白かったんですけど、こんなに面白くてもテレビに出られないというのが衝撃でした。でも、こんな人たちがめちゃくちゃやっている世界に一緒にいられるならテレビに出られなくてもいっか、と思ったんですよね。だから、今お二組ともご活躍されていて本当にうれしいです。

──学生時代は漫才やコントは全然やっていなかったんですか?

ぐんぴぃ ほぼやらなかったですね。一度だけ、“クイズボンバーラフ”というコンビ名でやったことはあったかな。クイズボンバーラフは爆笑問題の英訳なんですけど。

土岡 ずっと爆笑さん好きだったからね。

ぐんぴぃ そうそう。その1回くらいで、基本的には落語をちゃんとやっていました。大学の同級生に真空ジェシカのガクさんがいたんですけど、当時から異常に面白くて、今は真空ジェシカって川北さんがカリスマ的なキャラクターですけど、ガクさんもカリスマだったんですよ。ああいう人がやるものだと思っていたので、大学でお笑いなんかやれたもんじゃなかったです。

土岡 お笑いサークルの大会とかでバンバン優勝してたよね。

ぐんぴぃ 大学のときにお笑いをやらなかったからこそ、よく知らないまま芸人になれたんだとも思います。

ニート生活中のアラームはあの国民的長寿番組

──土岡さんに伺います。ニート時代はどういうタイムスケジュールで過ごしていたんですか? 生活費をどうやって調達していたかも教えてください。

土岡 大学最後の1カ月でニートになることが決定して、その期間ずっと「笑っていいとも!」(フジテレビ系)でテレビが付くようにオンタイマーを設定していたんです。「いいとも!」が始まってみんなが楽しそうにしゃべっている声がおぼろげに聞こえてきて、だんだん目が覚めるっていう。で、13時になるとそのまま同じチャンネルで「ごきげんよう」が始まりますよね。でも僕、「ごきげんよう」がなぜかめちゃくちゃ苦手で。「いいとも!」で目覚めて、二度寝して、嫌いな「ごきげんよう」でうわあ~!!と起きる、というサイクルでした。そこからうだうだしながらコンビニに行ってごはんを買い、アニメを15作品くらい観てましたね。そしてTSUTAYAに行ったりして時間をつぶしていました。

質問に答える春とヒコーキ。

質問に答える春とヒコーキ。

──お金はどうしていたんです?

土岡 バイトも何もしていませんでしたけど、貯金額が常に10万円を割らないシステムになっていて……。

──そんな都合のいいシステムが!? きちんと説明してください!

土岡 何も恥じるべき行為はしていません!(笑) 常に親が口座をチェックしていて、10万円を切ったら入金してくれていました。もちろん家賃も親持ちです。

ぐんぴぃ オートチャージね(笑)。僕はお金がなくなると土岡から借りていて、5万借りたら土岡の貯金が5万減るじゃないですか。そしたらまた振り込まれて、10万に戻るという(笑)。

──いい相方をお持ちですね!

ぐんぴぃ いやあ、本当に助かりました。

土岡 ニートの3年間、いや芸人で食えてない時期もずっとだから8年間くらいそれで食わせてもらいました。

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「バキ童」への本音