書き続ける中で出てきたこだわり
──小説の書き方は独学なんですよね。
はい。最初は大学ノートに書いていったんですけど、「この話をこっちに持ってきて……」というのがグッチャグチャになって(笑)。それでパソコンを買って、WindowsのWordを覚えるところから始めました。途中でデータが消えるハプニングに何度も心折れそうになりながら、それを乗り越えたときに「せっかくWordを覚えたしな……」という思いが出てきて。苦労がもったいないから書き続けているっていうところもあると思いますね(笑)。
──過去の文学賞受賞作などを参考にされたことは?
全然ないですね。人の何かを継承しようなんて考えるべきじゃないと思うので。テーマかぶりのチェックも特にしません。この世には膨大な量の小説がありますから、「かぶっていない」って確信を得る前に僕の命のほうが先になくなっちゃいます(笑)。ほかの作品とテーマがかぶっていたとしても、自分の内側から出てきたものって絶対に読めばわかる。そこは読者に伝わるはずだと信じています。
──小説を書き続けている中で見つけた、自分なりのこだわりはありますか?
ストーリーの部分で言うと、逆転、ビックリ仕掛けみたいなのは入れたいと思っていて、「鬼の御伽」でもどんでん返しを用意しています。
──確かに「パーフェクト太郎」「新訳 泣いた赤鬼」共に予想もしなかった展開が待ち受けていますし、「めでたしめでたし」では済ませられない複雑な思いが芽生える結末で、読み終わったあともしばらく「正しさとはなんだろう?」と考え込んでしまいました。ほかにこだわっている部分は?
文章に関しては、主人公に合った文体にすること、でしょうか。過去作で言うと「蟻地獄」は理屈っぽいほうが主人公の狡猾さが出ると思ったので、面倒くさいけどわざと皮肉るような書き方にしたんですよ。「月の炎」は小学生の男の子が主人公だから、この子の性格が表れると思ってストレートな文章にしています。
──今作「鬼の御伽」の戦闘シーンが鮮明なこともそうですし、「トリガー」の出発点が銃をぶっぱなす映像だったことをお聞きして、板倉さんは映像を文章に落とし込むことにもこだわりがあるのかなと感じました。
ああー。確かに「トリガー」はけっこうカット割りを想定しながら映像的に書いたので、当時の読者からは「視点がコロコロ変わって読みづらい」みたいな指摘があったんです。それじゃあ今度は1人の視点からずらさず書いてみようと取り組んだのが「蟻地獄」でした。「鬼の御伽」でも、その光景が登場人物の目にどう映っているかというのは意識して書いた部分です。
自分の好きなことしか書けない
──執筆活動の延長線上での目標、野望などがあればお聞かせください。
あんまり夢を見ても絶望が返ってくるだけなので、マイペースでやっていこうかなと思っています。
──えっ! なぜそんなに悲観的なんですか……?
例えば大ヒットを期待して思い通りにいかなかったら、がっかりするじゃないですか。そんなことにヒヤヒヤするんだったら次のことを考えていたほうがいいなって。僕、プロデュース脳がないんですよね。「これを売るためにはどうしたらいいか」とか、わからない。自分の好きなことしか書けないので、「こういうのが流行っているからそのテイストで書いてみよう」というのもできないです。そこは器用にやっている人のほうが大衆に受け入れられるんでしょうけどね。
──「自分の好きなことしか書けない」というのはファンにとっては頼もしい言葉でもあると思いました。とはいえ、今回の「鬼の御伽」はなじみのある物語がベースになっているので、幅広い読者が手に取ってくれそうです。
そうだといいんですけどね(笑)。あんまり欲をかくべきではないんですけど、これがきっかけで小説を読む人が増えたらいいなとは思います。
──「桃太郎」を真剣に書いてみるという“ボケ”から始まった「パーフェクト太郎」は、お笑いと小説が完全に違うものとおっしゃっていた板倉さんにとって新しい試みでもあります。
そうですね。「小説を書くぞ」っていうスタートじゃなくて、芸人的な発想が乗っかっていますから。ただ、朗読劇をやった時点でお笑いとしての「パーフェクト太郎」は一応完結しているので、小説に形を変えて世に出るこの作品は芸人としての僕の作品とはまた違うものになっていると思います。
インパルスのすべてのコントを手がける板倉俊之の5作目は、誰もが知る童話「桃太郎」と「泣いた赤鬼」を元にした物語。桃太郎出生の真実に迫る短編「パーフェクト太郎」、正義とは何かを問う中編「新訳 泣いた赤鬼」の2編で、人間の業、鬼の宿命を板倉独自の解釈で浮かび上がらせる。