森重樹一(ZIGGY)×清春(sads)|五十代、終わりなきロックンロールライフ

今の50歳は昔の30歳だよね

──ZIGGYの「ROCK SHOW」は、かなりL.A.メタル的な味付けになっていますよね?

清春 そう、それは思いました。

森重 「このL.A.メタルは何?」と言いたくなるくらいだよね。少なくともジャーマンメタルではない(笑)。

清春 僕はあんまり詳しくないんで、L.A.方面しか知らないだけなんですけど。

森重 まあジャンル感云々と言うより「カッコよけりゃいい」と考えた結果こうなったんだけどね。あの時代(1980年代)のL.A.メタルにはわかりやすいカッコよさがあったから。昔、L.A.メタルを扱ってた「ロック・ショウ」という雑誌が、自分にとっては強力なバイブルだったんですよ。あの雑誌が一番写真もきれいだったし、カッコいい人しか載っていないわけ。そういう意味では自分の嗜好は……本質的にはヴィジュアル系だよ。だってパンキー・メドウスのグラビア切り抜いて下敷きにはさんで中学に持って行ってたんだから。

──えーと、補足しておきますと、パンキー・メドウスは1970年代に登場したAngelというバンドのギタリストで、真っ白なステージ衣装がトレードマークでした。

森重 パンキーは、俺が最初に顔で惚れたロックミュージシャン。スティーヴン・タイラーじゃないから。俺とかROLLY、HEESEY(THE YELLOW MONKEYの廣瀬“HEESEY”洋一)とかの世代は、あのへんを中学時代に目にして「あっ、俺はこれをやる!」となったクチなんだ。

──世代という言葉が出ましたが、清春さんももうすぐ五十代の仲間入りじゃないですか。

清春 そうなんですよ。僕もついに10月末をもって。

森重 素晴らしいね! 俺、よく思うんだけど、今の50歳というのは俺の感覚では昔の30歳だよね。

清春 おおお(笑)。

森重 今はさ、医療が進歩して高齢化も進んでるから、その下の世代がお年寄りと比べて若いままになってると思うんだよ。俺はだから、50歳になったとき、改めて30歳になったような気がした。だから、還暦でようやく不惑ということになるわけ。

左から森重樹一(ZIGGY)、清春(sads)。

清春 なるほど(笑)。

森重 だから今の俺は、ようやく35歳。ムシのいい解釈だけど(笑)。

清春 勇気付けられますね、なんか。その計算でいくと29歳の僕としては(笑)。

森重 だって、どう見たって50歳には見えないじゃん。もうすぐ俺と合わせて105歳だろ? これはちょっとおかしいんだよ。

清春 僕らが高校生のときに見てた大人とは違いますもんね、実際になってみると。

──確か、「サザエさん」の磯野波平さんは54歳という設定なんですよ。

森重 俺、それを超えたんだ!(笑) 要するに長谷川町子さんが「サザエさん」を描いた当時、世の五十代というのはああいうアピアランスも込みでの家長としての役割があったんでしょうね。でも今、あんな五十代を見つけるほうが難しいよね。俺の同級生にもいないよ(笑)。

ようやく自分が真っ当に音楽をやれる感覚が戻ったのが50歳

──今だからこそ「50歳は30歳」と言えるにしても、実際に50歳になろうとしていた頃、森重さんの中にもある種の困惑や焦りみたいなものはあったのでは?

森重 いや、50歳になるときにはもう、腹が決まってたからね。40歳のときのほうがしんどかったかな。42歳ぐらいのときがピークに具合悪かったから。酒は止まんねえし、ホントにもう死ぬんじゃないかと思ってた。で、45歳で酒を止めて、50歳になったときには、もう全然、40歳のときよりいいやと思えたもん。

──当時はソロ活動を続けていて、今のような形でのZIGGYの青写真もなかったわけですよね?

森重 うん。当時はすぐにZIGGYを始めようとは思っていなくて……自分としてはリハビリのつもりだったのね。酒を止めるときに、もう俺、歌もあきらめなきゃ無理だと思ってた。と言うのも、それまではずっと、飲みながらしか歌えないと思ってたから。音楽にちょっとずつ戻っていくにしても、早くても3年、遅ければ5年はリハビリにかかるよなって。だから、ようやく自分が真っ当に音楽をやれる感覚が戻ってきたのが50歳だったんじゃないかな。

清春 すごいですね、それは。

森重樹一(ZIGGY)

森重 で、「これならやれるかもしれない」と思えた。「俺の曲、悪くねえじゃん」とね。むしろ「なんでこんなZIGGYっぽい曲を俺がZIGGYでやらないんだろう」みたいな。前よりも周りの人たちの音が聴こえるようになったしね。清春くんはサウンドへのこだわりも強い人だから、常に周りの音を意識してやってきたはずだけど、俺はテメエさえOKならそれでいいと言うか、リードシンガー症候群の見本みたいな男だったからね(笑)。「どんなオケでもいいし俺には関係ねえよ」という独りよがりなところがあった。だけど音のディテールを聴けるようになってくると、すごく意識も変わってきたからね。1999年に「BUTTERFLY」っていうソロアルバムをスライダーズ(THE STREET SLIDERS)のリズム隊と一緒に作ったんだけど、みんなでジャムってるときにZUZU(Dr)さんが「とにかくキックの音を一番前に出して」と言っていて。なんの音もキックの音より前に出ないように、とにかくキックの速度は一番だからって。実際、スライダーズってルーズなバンドだと思われがちだけど、むしろちょっと突っ込むぐらいのビート感なんだよね。歌がそれに対してちょっと後ろにあると言うか、斜に構えたような感覚なのがカッコよく聴こえると言うか。それを自分の中でずっと意識してきてたところがあって、気付いたらどんどん歌が後ろに下がっていったんだけど、自分なりにちょっと開眼して、やっぱりもうちょっと前に出していこうと思うようになった。それは50歳を過ぎてからじゃないかな。

清春 ああ、「逆に前に」なんですね。僕もどっちかと言うとリードシンガー症候群に近いですけど(笑)、自分も歌はちょっと遅いほうがいいと思ってるんですよね。でも昔はもう、とにかく突っ込んでいきたかったんですよ。

森重 わかるわかる。誰よりも先に行きたいもんね。

清春(sads)

清春 速いビートで。ただ、年数を経てからそれを聴くと「無闇に速いだけだな」と思うようになって。で、ソロになって演奏がうまい人とやるようになると、自分の歌もバンド時代とはまたちょっと違うものに聴こえるんですね。昔は合ってたはずなのに、演奏がきっちり合いすぎてて歌だけが外れて聴こえる、みたいな。そこで一瞬、「えっ?」と思わされるんです。

森重 わかるよ。なんか自分の歌がオケに馴染み切ってないように感じられたり。

清春 僕は昔からあまり鍵盤を使ってこなかったので、ピアノの人とかとやるとまったくダメになっちゃって。

森重 そこは声質との相性だと思う。今回のsadsのアルバムも聴かせていただいて思ったんだけど、声の粘りの問題じゃないかなと俺は思う。やっぱりギターのほうがどうしてもダイナミクスのレンジが狭いし、ピアノのほうが圧倒的なオーケストレーションがあるので。

清春 そうなんですよね。

森重 その中で声の占有する空間としての相性のよし悪しというのは当然あるように思う。清春くんに関しては、鍵盤の響きよりも、ギターみたいな弦楽器のほうが本人的に気持ちいいのかもしれない。俺はピアノと2人でやると、ピアノの倍音と声の倍音とがすっごくきれいにハーモナイズするところがあって。そこはもう十人十色と言うか、ボーカリストというのはその人となりも含めて楽器みたいなものだから、みんなその楽器が一番よく鳴るアンサンブルを求めるんだよね。

──そういう意味では先日「YOSHIKI CHANNEL」(YOSHIKI(X JAPAN)によるニコニコチャンネル公式アカウント)で清春さんが歌った「紅」はすごかったです。

清春 そうなんですよ! YOSHIKIさんのピアノに合わせて。

森重 「紅」を歌ったの? それはすごい。

清春 いやー、緊張感ありました。

森重 それを観ていた人たちにはすごく新鮮なものに聴こえたはずだと思う。清春くんの声をピアノ1本で聴くというのは多くの人にとって想定外であるわけだから。ある意味、定型のパターンを持ってるからこそ、逆にサプライズを提供しやすくもあるように俺は思うな。